【原神】からかい上手のナヒーダさん #13 - 朝食と幻想の結晶【二次創作小説】

眠りの中で、柔らかな香りが鼻をくすぐる。それは草花の香りとも、何か温かい食べ物の香りとも取れる。意識が徐々に現実へと引き戻されていく。
ゆっくりと重い瞼を開くと、目の前に広がるのは岩壁。そう、洞窟の中だ。狭いくぼみで眠りについたことを思い出す。ナヒーダと一緒に——。
慌てて身を起こし、隣を見る。しかし、彼女の姿はない。代わりに、先ほどから漂ってきた香りの正体が見えた。少し離れた場所で、ナヒーダが何かを調理している。
「あ、起きた?」
俺の気配に気づいたナヒーダが振り返り、優しく微笑んだ。
「おはよう。よく眠れたかしら?」
彼女の声は朝の静けさに溶け込むように柔らかい。俺はまだ眠気の残る頭で状況を理解しようとする。
「ああ…まさか料理してたのか」
目をこすりながら言うと、ナヒーダは嬉しそうに頷いた。
風が弱まった通路を進んだ先に、いくらか広いスペースを見つけたようだ。そこは岩肌が天然のテーブルのような形状になっており、休憩にうってつけの場所だった。ナヒーダが持参していた食材を取り出し、朝食の準備をしていたのだ。
「ちょっと料理してあげるわ」
彼女は張り切った様子で、小さな携帯用の調理器具を使いこなしている。普段はおとなしく見える彼女だが、こういう時は意外と活発だ。
「ほら、あなたは座って待ってて。自信作を味わってもらうから」
俺は狭いくぼみから完全に出て、岩のテーブル近くまで歩いていく。手伝いを申し出るべきか迷いつつ、
「え、でも俺、一応料理手伝えるけど……」
そう言いかけると、ナヒーダは首を横に振った。
「いいの。あなたが手を動かすのは戦闘のときだけで十分よ。たまには甘えてもいいじゃない?」
そう言われると断りづらい。俺はしぶしぶ地べたに腰を下ろし、ナヒーダの手際を眺める。
彼女は素早い動きで野菜を切り分け、香辛料を混ぜ合わせていく。草元素の神として、植物に関する知識は誰よりも豊富なはずだ。その知識が料理にも活かされているようで、見ているだけで絶妙な調合が感じられる。
しばらくすると、なんとも香ばしい香りが広がってきた。洞窟の冷たい空気の中で、その温かい香りがより一層心地よく感じられる。
「はい、完成。さあ、召し上がれ」
彼女が差し出した皿には、色とりどりの野菜と、何かの実が煮込まれた料理が盛られていた。
「おお……うまそうだな!」
見た目も美しく、食欲をそそる。一口頬張ると、その旨味に驚く。スメール特産のハッラの実の甘みがしっかり活きていて、それを補うスパイスも絶妙だ。思わず「うまい!」と声を上げる。
ナヒーダは嬉しそうに微笑んだ。
「よかった。気に入ってくれたなら、毎日でも作ってあげるわね」
何気ない一言だったが、その言葉に俺は箸を止めた。
「ま、毎日……? ……えっ、それって、任務が終わってからも……?」
瞬間、心臓がドクンと跳ね上がる。まるで"一緒の暮らし"を連想させるような響きに戸惑っていると、ナヒーダはニヤリと口元を緩めた。
「あら、嫌だったかしら?」
小悪魔めいた笑みを浮かべている。これは、またしてもからかわれているのだろうか。
「べ、別に嫌ってわけじゃ……いや、でも毎日って……かなり気合の入った話じゃないのか?」
そう返すと、ナヒーダはくすくすと笑った。
「ふふっ、そんなに深い意味はないわよ。あなたの反応が面白くてつい言っちゃっただけ」
やはりからかいだったか。少し気恥ずかしさを感じる。
「な、なるほど……そうかよ。まったく、ドキッとさせるなって」
表面上は軽く受け流すような返事をするものの、内心、まだ胸の高鳴りがおさまらない。ただの軽口だとしても、もしも本当にナヒーダが毎日ご飯を作ってくれるシーンを想像すると、なんだか妙に顔が熱くなるのを止められない。
なぜこんなにドキドキするのか、自分でも説明できないまま、俺は彼女の料理をかき込み続ける。味を集中して味わうことで、余計な考えを払拭しようとしているのかもしれない。
「うん……ホントに美味いな。エネルギーが満ちる感じだ」
「ふふ、どんどん食べてね。少しでも疲労回復になればいいんだけど」
ナヒーダは穏やかな笑顔で、俺を見守るようにして座る。彼女も自分の分を少しずつ食べているが、どうやら俺の反応を楽しんでいるようだ。
薄暗い洞窟の中だというのに、こうして食事を共にしていると、なんだか普通の生活を送っているかのような錯覚を覚える。死域という深刻な環境下でも、彼女がそばにいるだけで空気が和むのだから不思議だ。
(毎日……か。もしもこの任務が終わって、いろいろ落ち着いて、それでも一緒にいられたら……)
そんな想像が信じられないほど甘くて、俺は慌てて口を拭い、目を逸らす。ナヒーダはそんな俺の表情に気づいたのか否か、楽しそうに微笑んでいる。結局、彼女のからかいに翻弄されながらも、無言のまま料理を平らげるしかなかった。
食事を終え、簡単な後片付けを済ませると、二人は再び洞窟の奥へと向かうことにした。昨夜の仮眠と朝食で体力も回復し、冒険を続ける準備は整った。
洞窟の通路は相変わらず複雑に入り組んでいるが、ナヒーダの草元素の力が道標となる。彼女は時折、死域の汚染がないか確認しながら進んでいく。
彼女の背中を見つめながら歩いていると、ふと朝の会話が頭に浮かぶ。毎日料理を作ってくれるというからかい。それは単なる冗談だと分かっていても、何故だか心に引っかかる。
(彼女は草神だ。任務が終われば、スメールに戻って神としての務めを果たすはずだ。俺はまた旅に出る。これは一時的な同行に過ぎない)
そう自分に言い聞かせていると、先を行くナヒーダが突然足を止めた。
「あら……」
彼女の声に、俺も前方に視線を向ける。そこには、これまでの洞窟とは明らかに異なる光景が広がっていた。
壁面がまるで結晶のように白く輝く空間。宙に浮かぶ霧の粒が結晶の光を反射し、虹色にも見える幻想的な光景が広がっている。
ナヒーダは目を丸くして感嘆の声を漏らした。
「まあ、なんて綺麗……。地下なのに、まるで宝石の森みたいだわ」
彼女の声には純粋な驚きと喜びが込められている。草神であるにもかかわらず、こういった自然の驚異に心から感動する姿に、俺も引き込まれる。
「本当だな。こんな見事な光景、地上でもそうそう見られないかもしれない」
二人で足を止め、その輝きに見とれる。結晶から放たれる光は、洞窟の天井にも反射し、まるで星空のような輝きを作り出している。その光景は、先ほどまでの肌寒い洞窟の印象を一気に変えてしまうほどだ。
しばらくその美しさに見入っていると、ナヒーダがひそひそ声で提案してきた。
「ねえ、この場所、あまりにも神秘的でしょう? 誰にも教えずに二人だけの秘密にしてみない?」
その言葉に、少し驚く。普段、ナヒーダは知識の共有を好む傾向がある。彼女が何かを「秘密にしよう」と言うのは珍しい。
「秘密……まあ、そうだな。確かに迂闊に人を呼ぶと採集、つまり壊されそうで嫌だし……そうするか」
そう言いながら、どうにも胸がくすぐったい気分になる。秘密を共有するって言葉には、特別感があるからだ。たとえ洞窟の一部を秘密にするという単純なことでも、「二人だけ」という言葉に何故か心が躍る。
ナヒーダはまるで満足そうに微笑み、きらめく岩壁に指をそっと伸ばした。
「みて、これ、結晶に私たちが映ってるわ。まばゆいから、よく見ると二人の輪郭が浮かぶの」
彼女に言われて覗き込むと、確かに鏡のようにぼんやりと俺たちの姿が反射していた。結晶の表面は不規則で歪みがあるため、はっきりとした姿ではない。それでもナヒーダの緑がかった髪や、俺のシルエットがぼやけながらも同時に映り、その結晶のきらめきと重なり合っている。
「この結晶に私たち二人の姿が映り込むわ。まるで未来の私たちを見てる気持ちになる……変な妄想かしら?」
ナヒーダの言葉に、胸がドキリとする。それとも、これもまた俺をからかうための言葉なのか。
「ん……いや、その、やめてよ。妙なこと言うと、俺も意識しちまうじゃん」
少し困惑しながらも、心のどこかで彼女の言葉に共感している自分がいる。結晶に映る二人の姿は、確かに何か別の世界、別の時間を覗いているようにも見える。
彼女は悪戯っぽく笑う。朝の「毎日料理を作る」という言葉と重なり、奇妙な胸の高鳴りを感じる。
「そんなわけないだろ……」
俺は力なく否定するが、胸の奥でどこか照れくさい感覚を抱えたまま、結晶に映る二人のシルエットを凝視してしまう。現実には考えられない未来だとしても、この神秘的な空間にいると、そんな非現実的なことさえ実現するかもしれないという錯覚に陥る。
「……馬鹿らしいけど、ちょっとそう思うと面白いかもな」
思わず素直な気持ちが口から漏れる。大人げない感想だが、この幻想的な光の中では、そんな素直な言葉も言えてしまう。
「ふふ、やっぱりあなたもそう思う?」
楽しげに髪を揺らすナヒーダをちらりと見やると、結晶の光が彼女の雰囲気をさらに神秘的にしている。その姿は神としての威厳を感じさせつつも、どこか親しみやすさも併せ持つ。まるでこの場所にいたのが運命だったみたいにすら思えてくる。
不思議な空気の中、俺は壁に手を触れて、その冷たさを感じた。冷たいはずなのに、心は妙に温かい。これは単なる幻想なのか、それとも何か特別なことが起きているのか。
もし死域が完全に去ったら、こんな綺麗な場所をみんなに見せてあげてもいいかもしれない。だが、心のどこかでは「二人だけの秘密にするのもアリだな」と誘惑に駆られる。そんな自分に苦笑しながら、ナヒーダとともにゆっくりとこの輝きの中を歩き回り、しばし言葉もなくその美しさを味わった。
結晶の間を歩きながら、俺は時折ナヒーダの横顔を見る。彼女は純粋に風景を楽しんでいて、顔には平和な笑みが浮かんでいる。草神としての彼女は、普段は知恵と冷静さを備えているが、こういう美しい自然の前では、まるで無邪気な少女のように目を輝かせる。
そんな彼女の姿を見ていると、魔物や死域との戦いで感じていた緊張感が徐々に溶けていくような気がした。
「ねえ、一つ約束してもいいかしら?」
突然、ナヒーダが真剣な表情で言った。
「何だ?」
「この場所で見たこと、感じたこと——それを忘れないで」
彼女の言葉には、いつものからかいの調子はない。真摯な願いのように聞こえる。
「ああ、約束するよ。こんな場所、一生忘れないさ」
そう答えると、ナヒーダの顔に安堵の表情が浮かんだ。
「ありがとう。それでこそ、私たちの秘密の場所よね」
彼女の笑顔に、俺も思わず微笑む。この結晶の洞窟を「私たちの秘密の場所」と呼ぶことに、何故か特別な意味を感じてしまう。
やがて、二人は前進すべき時が来たことを悟った。任務はまだ終わっていない。死域の浄化という目的を果たすには、先へ進まなければならない。
名残惜しさを感じながらも、結晶の洞窟に別れを告げ、俺たちは再び洞窟の奥へと歩みを進めた。しかし、心の中にはこの場所の光景と、「二人だけの秘密」という言葉が、温かく残り続けていた。