【原神】からかい上手のナヒーダさん #14 - 迷宮と風の調べ【二次創作小説】

結晶の洞窟の美しさを堪能した後、俺たちは再び歩き出した。前方には死域がまだ存在するはず。任務を完遂するには、さらに奥へと進まなければならない。
しかし、洞窟は進めば進むほど複雑になっていく。結晶の部屋を出て少し歩くと、通路は狭くなり、天井も低くなっていった。壁面は湿気を帯び、ところどころから水滴が垂れている。足元の水たまりに踏み込むたびに、水音が洞窟に響く。
さらに奥へと進むと、通路が突然複数方向に枝分かれした。左右前後に伸びる細い通路が、まるで蜘蛛の巣のように広がっている。左右どちらへ行っても似たような岩壁が続き、遠くからは一定の水滴音が鳴り響くだけ。
初見では一瞬で迷子になりそうな複雑さに、俺は踏み込むのを少しためらう。どの道を選べばいいのか、まったく判断がつかない。
「……どうする? こんなの、適当に進んだら完全に道に迷う予感しかしないぞ」
不安そうに周囲を見渡しながら、ナヒーダに相談する。彼女は少し考え込むような表情をしていたが、やがて何かひらめいたように顔を上げた。
「目を閉じて、私の指示通りに動いてみる?」
その提案に、俺は首を傾げる。
「目を閉じる? 見えなきゃ余計に迷うだろ」
正直、意味が分からなかった。ナヒーダは知恵の神だから、もっと論理的な解決策を提案すると思っていた。地図を描くとか、目印を付けるとか。
しかし、彼女は落ち着いた笑顔で頷いている。その表情には自信が満ちていて、何か確かな理由があるようにも見える。
「大丈夫。私に任せて」
そんな彼女の姿に、なんとなく納得してしまう。これまでの任務でも、ナヒーダの判断は的確だった。彼女を信じて進むことにしよう。
「仕方ない。任せるよ」
俺は渋々目を閉じる。すると、周囲の闇がさらに深まったように感じた。耳に入る音、肌に触れる風、鼻をくすぐる湿った空気の匂い——視覚以外の感覚が研ぎ澄まされていく。
「では、まっすぐ前に三歩進んで」
ナヒーダの声がすぐ側から聞こえる。その指示に従って、慎重に足を踏み出す。
「まっすぐ、次は右、少しだけ段差があるから気をつけて……そうそう。はい、次は左よ」
俺は言われるままに足を運ぶ。何も見えない状態で進むのは、想像以上に不安だ。手探りで壁を触りながら、ナヒーダの声を頼りに一歩一歩進む。
「う、うん……。こっちか……?」
状況を確認しようにも、一切視界がないから心細い。眠りたくないのに暗闇に誘われるような、不思議な感覚に包まれながら歩みを進めた。
どれくらい歩いただろうか。三分、五分——時間の感覚さえあいまいになっていく。時折、ナヒーダが方向を修正してくれる。その感覚だけが、この暗闇の中での唯一の確かな存在だった。
やがて、ナヒーダの声が再び聞こえる。
「ここよ、到着」
その言葉に、ようやく迷路が終わったという安堵感を覚える。
「……開けてもいいのか?」
「どうぞ」
そろりと目を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは——見覚えのある岩肌と通路。
しばらく状況を理解できなかった。ここは……さっきの場所?
周囲を見回すと、確かに出発した地点に戻ってきている。複雑に枝分かれした通路の入り口だ。
「あれ……? 嘘だろ、まさか元の場所に戻ってきたのか!」
絶句する俺に、ナヒーダはくすくすと笑い始めた。
「ふふっ、ごめんなさいね。あなたが私を信頼してくれたのは嬉しかったわ」
その言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。彼女の表情を見ると、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「嬉しかったわって……え、何、もしかしてわざと!?」
あまりの衝撃に声を上げる。ナヒーダは悪戯に目を細め、「そろそろ騙されたことに気づいて?」と言わんばかりの顔をしている。なんてこった、まんまとやられた……。
「そんな……もう俺、頑張って歩いたのに!」
彼女のからかいに、今回ばかりは本気で落胆する。あれだけ緊張して、慎重に一歩一歩進んだというのに、結局は振り出しに戻されただけだった。
「ごめんなさい。でも、あなたが目を閉じて私に任せる姿が可愛かったの」
ナヒーダは申し訳なさそうな表情を見せつつも、どこか楽しそうだ。
「か、可愛いとか……! ちょっとふざけんなよ!」
怒りと恥ずかしさが入り混じった感情が込み上げてくる。こんな厳しい任務中に、からかいなんて——。
怒りをぶつけて通路を走り出してみるが、迷いに迷って同じような場所を行き来するばかり。どの通路を選んでも、同じような景色しか見えない。方向感覚が完全に狂ってしまった。
五分は経過したが、出口は見つからない。むしろ、最初の場所からさらに奥へと入り込んでしまったかもしれない。不安感が増していく。
ナヒーダの姿も見えなくなった。彼女と離れてしまったことに、想像以上の焦りを感じる。
「ナヒーダ! どこだ?」
呼びかける声が洞窟に響き渡る。しかし、返ってくるのは自分の声のエコーだけ。
こうなっては仕方ない。プライドを捨てて、助けを求めるしかない。
「ナヒーダ、助けてくれ!」
情けない声を上げる。洞窟の迷路に閉じ込められた今、彼女の力に頼るしかないことを痛感する。
しばらくして、どこからともなく彼女の声が聞こえてきた。
「迷子になったのね」
振り返ると、通路の角からナヒーダが現れた。彼女の表情には、少し心配の色が混じっている。
「もう許してやるから早く案内してくれよ」
頭を下げる羽目になった。プライドは既に粉々だ。それでも、彼女を見つけられた安堵感の方が勝っている。
「ふふ、それじゃあ今度こそ本気で案内するわ。大丈夫、ちゃんと出口まで連れていくから」
ナヒーダは優しく微笑み、手を差し出した。
「最初からそうしてくれればいいのに……!」
文句を言いつつも、その手を取る。小さな手だが、確かな力強さを感じる。
腹立たしいやら悔しいやらで、心底参った気分だが、やっぱり俺はナヒーダを頼るしかない。彼女が合流後、落ち着いた調子で歩き始め、今度は真剣に道を選んでくれるようだ。
「私の後についてきて。今度は本当よ」
ナヒーダは先導し、迷路のような通路を進んでいく。彼女の背中を見つめながら歩く。小柄な体だが、その姿はどこか頼もしい。
前回とは明らかに違う道を進んでいる。通路の形状も異なり、天井の高さも徐々に変わっていく。彼女の記憶力と方向感覚は、やはり人間離れしている。
「ねえ、まだ怒ってる?」
歩きながら、ナヒーダが振り返って尋ねる。
「……まあな」
正直に答えると、彼女は少し申し訳なさそうな表情を見せた。
「本当にごめんなさい。でも、あなたが私を完全に信頼している姿を見たかったの」
その言葉に、少し意外な気持ちを抱く。
「信頼してるか確かめたいなら、もっと別の方法があるだろ」
「でも、さっきの目隠しゲームがちょうど分かりやすかったもの」
彼女の言い分には一理ある。視界を奪われた状態で誰かを頼るというのは、最大限の信頼を示す行為だ。
「まあ…信頼はしてるさ」
ぶっきらぼうに答えると、ナヒーダの顔に笑みが広がる。
「ありがとう。それを聞けただけでも、私のいたずらは価値があったわ」
そう言って彼女は再び前を向き、歩き続ける。俺も黙って後を追った。
こうして二度目の冒険(?)の末、ようやく迷路エリアを脱出することに成功した。出口と思われる場所に到達すると、通路は再び広がり始め、天井も高くなっていった。
「ここから先は、まっすぐ進むだけよ」
ナヒーダの言葉に、ようやく安堵の息を吐く。迷路から抜け出せたことへの安心感と、彼女のからかいへの怒りが入り混じった複雑な気持ちだ。
迷路を抜けた先の通路では、不思議な現象に気づいた。洞窟を抜ける風がまるで笛のような音を奏でていたのだ。
低く響く風の音が狭い空間で共鳴し、耳を澄ますとまるで歌っているようにも感じる。それは単なる風の音ではなく、メロディを持った音楽のように聞こえる。
「きれいな音……まるで風が歌ってるみたい」
ナヒーダが静かに呟いた。彼女の表情は穏やかで、いつものからかいの色はない。純粋に風の音に聴き入っている。
「そうだな……不気味に聞こえるようで、意外と落ち着くというか」
確かに、最初は不気味に感じたこの音も、聴いているうちに心地よく感じ始める。まるで洞窟そのものが歓迎の歌を歌ってくれているかのよう。
ナヒーダは微かに首を傾げ、目を閉じて風のハーモニーにじっと耳を傾けている。その姿は静謐で、まるで風の音と一体化しているようだ。
草元素の神として、自然の声を聴いているのだろうか。神秘的な雰囲気を纏った彼女の姿に、俺まで息を飲む。彼女の白と緑の髪が風に揺れ、その輪郭が風の音色と共に揺らめいているように見える。
しばらく静寂のなかで風のささやきだけを聴いていた。時間が止まったようなひと時だった。
やがて、ナヒーダはそっと目を開いた。彼女の瞳には、何か神秘的な光が宿っているように見える。風の調べを聴き、何かを感じ取ったのだろうか。
気がつけば、俺はずっと彼女を見つめていた。その美しい姿に魅入られていたことに、自分でも驚く。
ナヒーダが不思議そうな表情で俺の方を見た。
「どうしたの? 私の顔に何かついてる?」
その問いかけに、ハッと我に返る。
「えっ、いや、ただ……なんか綺麗だなって……」
つい本音が漏れそうになり、あわてて視線を逸らす。自分でも言葉が出てきたことに驚いた。普段なら絶対に口に出さないような感想だ。
ナヒーダが一瞬ポカンとしたような表情を見せた気がする。彼女もまた、この率直な言葉に驚いたのかもしれない。
しかし、すぐに彼女の顔には穏やかな笑みが浮かんだ。くすっと笑い、風に揺れる髪を耳にかける。
「ありがとう。あなたがそんな顔するなんて珍しいわね」
彼女の言葉に、恥ずかしさがこみ上げる。さっきのからかいへの怒りも、この瞬間に消え去っていた。
「……ねえ、気持ちが落ち着いたなら、ゆっくり先へ進みましょうか」
ナヒーダはなおも優しく微笑みをたたえたまま、俺に続くように足を踏み出す。その後ろ姿を追いながら、さっき漏らしてしまった言葉の意味を考える。
(綺麗だなって、本当にそう思ったんだよな……)
相変わらず、いつからこんなにも彼女に惹かれていたのか、自分でもよくわからない。初めて会った時から、彼女の知性と冷静さに感銘を受けていた。旅の中で見せる無邪気な一面や、時折垣間見える神としての威厳。そのすべてが、少しずつ俺の心に染み込んできたのかもしれない。
少なくとも、先ほどの風のメロディを一緒に楽しめたことで、また少し距離が縮まった気がする。
(ああ、こんな状況じゃなきゃ、もっと楽しい気持ちで旅ができただろうに)
死域の脅威がここまで深い入り組んだ洞窟にまで広がっている現状を考えると、心から気を抜けるわけにはいかない。この凪の時間も長くは続かないだろう。
けれどナヒーダの隣に立って風の歌を聴いたこの時間は、死域とは別の穏やかな一面を教えてくれた。俺はその余韻を抱えつつ、再び警戒心を取り戻して先を急ぐ。
風の音は徐々に小さくなっていく。
迷路でのからかいと、風の歌 —— 短時間で、様々な感情を経験した。怒り、哀れ、感動、安らぎ。ナヒーダとの旅は、常に予想外の展開が待っている。
次に何が起こるかは分からない。だが、彼女と共にいれば、どんな困難も乗り越えられる気がした。