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【原神】からかい上手のナヒーダさん #03 - 洞窟の中で【二次創作小説】

 
挿絵


暗闇に包まれた洞窟の入り口を抜け、二人はゆっくりと先へと足を進めていた。大地の深部へと続く道は、想像以上に薄暗く、湿気を含んだ冷たい空気が肌を撫でる。足元のごつごつとした石は滑りやすく、道幅も狭いせいで慎重に一歩一歩進むしかない。壁を濡らす水滴の音だけが、静かに響き渡っていた。

「……ふう、やっぱり薄暗いな。足元、危ないんじゃないか?」

 前を歩くナヒーダを気にかけて、俺が声を掛ける。松明の揺らめく光が彼女の小さな背中を照らし出す。手に持つ火の揺らぎが壁に映り、まるで洞窟そのものが呼吸をしているようだった。

 ナヒーダは振り向き、いつものように余裕そうに微笑む。彼女の表情からは自信が溢れている。

「私? 大丈夫よ。洞窟の地形なんて、少し見ればわかるし……。むしろあなたのほうこそ危ないんじゃない?」

 その声には、どこか茶化すような色が滲んでいる。確かに俺は何度か足を滑らせそうになっていたから、相応の指摘ではあるのだが。

「いや、俺は平気だって。これでも数々の冒険をくぐり抜けてきたからな」

 口では強がりを言いながらも、直後に小さな段差にびくついてしまう自分が情けない。ナヒーダがくすっと笑みをこぼすのが視界の端に見えた。

「じゃあ、手を繋ぎましょうか?」

 唐突にそう言い出し、ナヒーダは小さな手を差し出してきた。その提案には何の前触れもなく、ただ自然な仕草で手が伸びてくる。しかもその表情は、まるで天気の話でもしているかのように穏やかだった。

「なっ……! ちょ、ちょっと待て、いきなり何言ってるんだ!」

 思わず声がひっくり返る。心臓が跳ね上がったのを自分でもはっきり感じた。神様とはいえ、ナヒーダは見た目が幼い少女のようだし、同時に俺の大事な仲間でもある。いきなり手なんて繋いだら、なんだか……色々とまずい気がする。

「ふふっ、おかしいわね。さっきまで"平気だ"って言ってたのに、いきなり動揺しているわ」

 笑みを深めるナヒーダ。俺の反応を楽しんでいるようだった。

「だ、動揺なんてしてない。手を繋ぐ必要なんかないって言ってるだけで……うおっ!」

 その瞬間、足元がずるっと滑った。微妙な段差にすっかり足を取られてしまい、バランスを崩す。ドタン!という鈍い衝撃とともに、尻もちを盛大につく。腰から背中にかけて、痛みが走った。

「いててて……」

 恥ずかしさと痛みが一気になだれ込んでくる。洞窟の暗闇が、せめてもの救いか。しかし松明の明かりが、俺の醜態をバッチリと照らし出していた。

 ナヒーダは「ほら、言ったでしょう?」と微笑みながら手を差し出してくる。笑顔には成功を祝う喜びが浮かんでいる。なんとも言えない気持ちで見上げるしかなかった。

「……はいはい、悪かったよ……」

 俺は赤面しながら、差し出された小さな手を握る。思ったより温かく、そしてやけに頼りがいのある感触が伝わってきた。いくら神様とはいえ、こんな細い腕で俺のような大柄な男を引き上げることができるのか、一瞬不安がよぎる。

 だが、ナヒーダは軽々と力を込め、俺をスッと引き上げた。さすがは草神様、想像以上の力だ。立ち上がった俺は胸の内で(ああ、なんだか悔しいな……)と少し情けなくなる一方、ナヒーダの笑顔にどこか安心感を覚える。

「最初から素直に手を繋いでおけば、転ばなくて済んだのに」

 冗談めかした軽い口調に反発したくなるものの、彼女が俺の手をしっかり握ってくれている事実には素直に感謝したかった。

「うるさいな……。でも、ありがとな」

 照れながらもそう言うと、ナヒーダは柔らかく笑った。その笑顔には純粋な喜びが宿っているようで、先ほどまでの表情とは別物のように感じる。このギャップが、また人を惹き付けるのだろう。

 手を繋いだまま、二人は慎重に歩き始めた。狭い通路を進むほどに、壁の岩肌はより複雑になり、ときには頭を低くしないと通れないところもある。だが、奇妙なことに互いの手を握った状態だと、足の運びも自然と揃い、呼吸までもが合ってくるのを感じた。

 数分が経過し、少し広めの空間に出ると、俺は周囲をよく見渡してみた。松明の光が及ぶ範囲は限られているものの、洞窟内の空気はそこまで淀んでいないようだった。石筍や鍾乳石がいくつか見えて、かなり古い洞窟なのだろうと窺える。地下水が長い年月をかけて作り上げた自然の芸術とも言える空間だ。

 ふと、俺は二人の繋いだ手に視線を向けた。ナヒーダの小さな手が、俺の手の中にすっぽりと収まっている。あまりに自然と馴染んでいるその感覚に、思わず動揺してしまう。どれだけの間、こうして手を繋いでいたのだろう。本来なら足元の安全確保のためだけに繋いだはずなのに、気づけば当たり前のようになっていた。

「私の手、冷たくない?」

 ナヒーダが唐突に言った。その言葉に、俺はハッとした。

「え? ああ…」

 咄嗟に返事をするものの、妙に意識してしまい、心臓が跳ねる。
 
 転倒のせいで元々赤くなっていた顔が、さらに熱を帯びる。それでも、正直な気持ちを伝えたくなって、口を開いた。

「温かいよ……その、神様というか、魔神だから冷たいとか思ってたけど、あったかくて普通の人間みたいだな」

 言いかけて、ハッとする。失礼な言い方になってしまった。だがナヒーダは怒るどころか、むしろ嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ」

 彼女の笑顔に、どこか胸が締め付けられる感覚がした。500年もの間、世界樹に縛られていた彼女は、きっと人との触れ合いに飢えていたのだろう。草神という立場であっても、ただの人間のように感じてもらえることが、なぜか彼女にとって重要なのかもしれない。

 そんなことを考えている間にも、洞窟の道はどんどん先へと続いていた。地下水の流れる音が次第に大きくなり、空気中の湿度も増してくる。石の表面が湿って、より足元が危険になってきた。

 自然と二人の握る手に力が入る。最初は照れくさかった感触も、今では妙な安心感を与えてくれる。なにより、ナヒーダが自分を信頼してくれているという実感が、俺の不安を和らげていた。

 洞窟はさらに奥へと続き、時折進路が分岐することもあったが、ナヒーダは迷うことなく道を選んでいく。まるで地形を把握しているかのようだ。

「どうしてそんなに自信持って進めるんだ?」

 思わず聞いてしまうと、ナヒーダは誇らしげに答えた。

「私は世界樹と繋がっているの。この洞窟に延びる木の根を通じて、おおよその構造が分かるのよ」

「へえ、すごいな」

 神様の能力は、やはり凡人の想像を超えている。
 
 その後も、洞窟の道は延々と続いていた。時折、天井から水滴が落ちてきて、冷たさに肩がビクッとすることもある。そんなときにナヒーダの手の温もりが、さらに強く感じられた。

 ときには急な下り坂があり、足場が不安定になることもあったが、二人で支え合って進むうちに、最初の緊張は薄れていった。互いを信頼し、声を掛け合いながら先へ進むこの感覚は、まるで長年の冒険の旅を共にしてきた仲間のようだった。

 ふと気づくと、先ほどよりも洞窟内が少し明るくなっていた。よく見ると、通路の壁や天井に大きなキノコが生えており、それらが仄かな黄色の光を放っている。この自然の明かりのおかげで、松明がなくても周囲を十分に見渡すことができるようになっていた。
 
「あ、これなら松明はもういらないかもしれないな」

 そう言って、俺は持っていた松明を地面に置いた。燃え尽きるまで放っておいてもいいだろう。手が空いたことで少し動きやすくなる。そうだ、この機会にナヒーダの手も離そう。もう足元も見えるし、転ぶ危険性も減ったはずだ。
 
「ナヒーダ、手も離そうか? もう足元も見えるし…」

 そう言って手を緩めかけた瞬間、ナヒーダが少し驚いたように俺を見上げた。
 
「え? でも、この先はぬかるみがあるわよ?」

 彼女がほんの少し先の通路を指さした。確かにそこは地下水が染み出しているらしく、地面が泥のようになっている。暗闇では見落としそうな危険だ。
 
「スメールの地下洞窟は水脈が複雑に入り組んでいるから、こういう場所がよくあるの。特にこの先は注意が必要よ」

「そうか…わかった」

 頭では理解したものの、胸の鼓動が少し早まるのを感じる。結局、ナヒーダと手を繋いだままということになる。彼女は特に気にしていないようだが、俺は再び意識し始めてしまう。
 
「それに…」

 ナヒーダが不意に言葉を継いだ。
 
「あなたの手、温かくて気持ちいいから、このままでも構わないわよ?」

 彼女は屈託のない笑顔で言ったが、俺の心臓は再び大きく跳ねた。やはり世界樹と繋がる草神様といえど、こういう瞬間は普通の少女のようだ。いや、むしろ神だからこそ、遠慮なくストレートな言葉が出てくるのかもしれない。
 
「そ、そう…か」

 言葉に詰まる俺をよそに、ナヒーダはくすりと笑いながら前に進み始めた。手を引かれるように俺も歩き出す。
 
 キノコの放つ黄色の光が二人の姿を優しく照らし、洞窟内に幻想的な空間を作り出している。ぬかるみを慎重に避けながら進む中、俺は改めてナヒーダの手の温もりを感じた。最初は戸惑いでいっぱいだったけれど、今はどこか心地よさすら覚える。
 
(考えてみたら、こんなに長く誰かと手を繋いだのって、いつ以来だろう…)

 ふと懐かしい感覚が胸をよぎる。記憶の彼方にある故郷での出来事だ。この感覚を思い出させてくれたことに、どこか感謝したい気持ちさえ湧いてくる。
 
 そんなことを考えながらも、俺の頬はまだ熱いままだった。これから先の洞窟探索が、一体どんな展開になるのか――期待と不安が入り混じる気持ちを抱えながら、俺たちは静かに歩みを進めていった。
 
「先に進みましょう。まだまだ道は長いわよ」

 手と手が繋がる感触を大切に、俺たちは洞窟の更なる奥へと歩みを進めていった。

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