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【原神】からかい上手のナヒーダさん #02 - 出発の時【二次創作小説】

 
挿絵


それでもとにかく準備だけは抜かりなく済ませ、再び聖処へ戻る。入口に近づくと、ナヒーダが神殿の柱のそばで楽しげに足を組んで待っていた。まるで散歩途中の寄り道にでもいるかのような、そんな気軽な雰囲気に見える。

「お待たせ。割と急いだけど、そんなに待たせなかったよな?」

 聖処の静寂を崩すまいと、控えめな声で問いかける。ありふれた会話だというのに、どこか緊張している自分がいる。

「ええ、全然待っていないわ。あなたが一生懸命支度している姿を想像していたら、あっという間に時間が過ぎてしまったもの」

 ナヒーダはそう言って、どこか意味ありげな微笑みを浮かべた。

「そ、そりゃどうも……」

 視線が合うたびに胸がざわつく。気のせいか、ナヒーダの洗練されたような物腰がいっそう魅力的に見えて仕方ない。それはきっと、彼女との二人旅(いや、任務だけど)のことをいろいろ考えすぎて、変な意識が芽生えてしまったせいだ。ここがずっと冒険を共にした仲間なら何も気にしないのに、相手が草神なんだからそりゃ緊張も倍増するってものだ。

「それじゃあ、行きましょうか、旅人。……あ、何か忘れ物はない? 大丈夫?」

 ナヒーダは心地よい声色で尋ねる。瞳にはいつもの知的な輝きと、ほんの少しだけ見せる茶目っ気が混ざっていた。

「大丈夫、だと思う。あんまり急かすなよ……」

 小さな危険信号を感じながらも、言葉通り「大丈夫」と信じたい気持ちが勝る。

「ふふっ、別に急いでいないわよ。ただ、楽しみだなって思って」

 楽しみって……貴重な植物の調査をするようなテンションで言わないでくれ。死域の駆除なんだぞ、とツッコみたい気持ちを抑えつつも、妙に嬉しそうなナヒーダの表情を見ていると、俺自身も少しだけ心が弾んでくる。恐ろしい死域の存在に不安を感じているはずなのに……本当に不思議なもんだ。

「あの…今回は初めて訪れる洞窟だな?ちなみに場所はどの辺りなんだ?」

 改めて地図のことを思い出し、そう尋ねた。案外近場なのかもしれない。

「雨林エリアの北西部よ。レンジャーの報告によると、マッシュラプトルがいるエリアから少し南に離れた崖の下に入口があるそうね」

「なるほど」

 高台から洞窟の入口を窺うイメージができた。なぜそんな場所に死域が…と疑問に思いつつも、問いただすのはやめておく。どうせこの後でもっと詳しく教えてくれるだろう。

「それじゃあ俺たちの"二人きりの任務"とやらを始めるとするか。行こう、ナヒーダ」

 ここはスメールの中心地。周囲の民たちにも気を配りながら立ち振る舞わなければならない。せっかくナヒーダの名声を保つためにレンジャーを遣わせず二人で行くのだから、むやみに騒ぎ立てるわけにもいかない。

「ええ、よろしくね……あなた」

 最後の「あなた」という響きに、なぜか胸がドキリとする。彼女はそれをわかっているのか、笑みを湛えたまま俺に並ぶ。正直言って、ただの任務なのに妙にデートみたいな雰囲気だと思った自分がいるのも否定できない。

「……あの、ナヒーダ。こうして二人で出かけるとなると、もしも噂が広まったら…」

 少し気になって声をかけると、ナヒーダはクスッと笑った。

「あなたは知恵の主たる神様と、洞窟に篭もるの?そう聞いたら変な誤解をする人もいるかもね」

 まさに俺が心配していたことを、なんでもないことのように口にする。相変わらずの余裕だ。

「いや、そういうことじゃなくて!俺の方はともかく、ナヒーダの評判が落ちないかと…」

「心配しないで。ちゃんと考えてるわ」

 ナヒーダは足を止め、ふと空を見上げた。

「知恵の主と呼ばれる私が、あなたと行動を共にしている理由は簡単よ。『洞窟の調査と、死域の駆除』という公務。これなら誰も不審に思わないわ」

 嘘ではない。だが実際には彼女の力だけで終えられることを、わざわざ俺と二人で行くことには触れていない。なるほど、知恵の神だけあって抜け目がない。

(いやいや、落ち着け俺。こんな神聖な場所で変な妄想するなって。大丈夫、呼吸を整えて……)

 深呼吸をして、ナヒーダと視線を合わせる。淡い緑色の瞳がこちらを映し、一瞬だけ、底知れない深さを感じさせた。しかし次の瞬間には、明るい笑みが淡い光を伴って揺れている。まるで「あなたとなら大丈夫」という胸の奥に響く保証を得たようで、俺も不思議と安心感がわいてきた。

 こうしてスメールの草神ナヒーダと、ただの旅人である俺の、不思議な二人きりの洞窟探検が始まろうとしている。死域という危険な存在を相手にするはずが、どうにも予想外のときめきが混じってしまう。いや、これも神様の術中ってやつか? 何だかんだ言っても、そもそも彼女に断れるわけないよな。まったく、どこで誰が傍観しても「翻弄されてるのは俺のほう」って感じだろう。

(だけど、この先に何が待っていようとも、絶対にナヒーダを守り抜く。俺はそう決めたんだ)

 自分の荷物を確かめながら、ナヒーダと肩を並べて歩き出す。ふとナヒーダが俺を覗き込んできて、くすっと笑う。その笑顔はまるで「私、あなたの動揺なんて全部お見通しよ」と言わんばかりだ。悔しいけれど、笑顔には勝てない。それが草神様という存在なら、尚のこと抗いようがない。

「遠足に行くんじゃあるまいし、あんまり俺をからかわないでくれよ?」

 思わず口から洩れた一言に、ナヒーダの瞳がさらに輝きを増した。

「うふふ、どうかしら。あなたの可愛い反応を見ると、ついつい意地悪したくなっちゃうのよね」

 からかうような声音が聖処の中に響く。不思議と神聖な空間の雰囲気を壊すでもなく、うまく溶け込んでいるように感じられた。そんな彼女の言葉に、またしても胸の奥がざわつく。軽く頬が熱くなるのを感じながら、俺たちはスラサタンナ聖処を後にした。

 聖処を出ると、すぐにスメールシティの喧騒が耳に届いた。商人たちの威勢のいい掛け声、行き交う人々の足音、賑やかな音楽。以前はこの音さえも、見えない壁に阻まれていたのだと思うと、今のスメールの平和がより一層尊く感じられる。

「えっと…」

 ナヒーダは人混みを見て、少し考えるように指を唇に当てた。

「やはり表通りは避けた方がいいかもしれないわね。あなたが目立つわけではないけれど、草神と旅人が連れ立って歩いていると、どうしても目につくでしょうから」

「確かに、それは避けたいな」

 頷きながら、裏路地を指さす。スメールシティは複雑な街並みだが、冒険者としては抜け道も把握していた。

「あっちから行けば、人目につきにくいし、早く雨林地帯に出られる」

「さすがね。あなたの地理感覚は頼りになるわ」

 ナヒーダが嬉しそうに微笑み、先導するように歩き始める。彼女の白に近い緑の髪が、薄暗い路地でも不思議と輝いている。俺は少し離れて後を追った。

 街の喧騒から離れ、やがて雨林の入口に差し掛かると、先ほどまでの熱気とは打って変わった涼しさが肌を撫でる。木々の間から漏れる陽光が、ナヒーダの姿を淡いスポットライトのように照らしていた。

「洞窟の入口に行くには、しばらく雨林を抜けないといけないわね」

「あぁ。危険な魔物もいるだろうから、気をつけないとな」

 剣の柄に手をかけ、緊張感を高める。ナヒーダは少し歩調を落として、俺の横に並んだ。

「ふふっ、あなたがそばにいてくれれば、怖くはないわ」

 そんな言葉を投げかけられて、思わず「あたりまえだろ、俺が守るから」と返そうとしたが、ふと考え直す。

「…本当はそんな頼りない俺じゃなくても、ナヒーダなら十分に身を守れるんじゃないのか?」

 素直な疑問をぶつけてみたくなった。草神という立場、そして世界樹の力を操る彼女なら、一人でも何不自由なく旅ができるはずだ。

 ナヒーダは少し意外そうな表情を見せた後、くすっと笑った。

「もちろん、完全に無力というわけではないわ。でも…」

 彼女は言葉を切り、遠くを見つめるように視線を移した。

「一人でいるより、あなたといる方が楽しいもの。それに、知恵の主として常に正しくあれという縛りから少しだけ解放されるのは、気持ちがいいわ」

 その言葉に、胸が暖かくなる。ナヒーダは国の代表である草神として、常に民の期待を背負っている。人々がそれを意識していなくても、彼女はいつも「草神」としての自分を演じているのかもしれない。それが少しでも解放されると言うなら、俺にとっても悪い話ではない。

「そっか。ならもっと気楽にいこうぜ。俺もスメールを代表する草神様じゃなくて、ただの友人ナヒーダと旅をしてる方が気が楽だ」

 思いがけない自分の言葉に、ナヒーダがわずかに目を見開いた。そして、いつもより柔らかな笑顔を見せる。

「ありがとう、旅人。それじゃあ、今日からしばらくは、草神ナヒーダではなく友人ナヒーダとして接してね」

「あぁ、任せとけ」

 なんだか肩の荷が下りたような気分になる。こうして自然体で接することができれば、これからの洞窟探検もきっとうまくいくだろう。…そう思いたい。

 洞窟の入口を抜けて少し進むと、そこは早くも足元がおぼつかないほどに薄暗い空間だった。ごつごつした石壁が続き、照らし出す松明の明かりだけが周囲をかろうじて映し出している。俺――旅人は足元を注意深く見やりながら、ナヒーダの進む道を確認した。

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