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第3話 ~居場所~

 足の速い遮那王くんに手を引かれ、橋の向こうにある長屋や店が並んだ町を走る。

 城下町なのだろう――豪奢なお城がそびえ立っており、貴族や武家のものと思われる屋敷も多い。そして、至る所に桜の木が植えられていた。

「ハァ……ハァ……ッ」
 走り始めてからまだ3分も経っていないのに、息が上がり始めている。

 ダメだ、もう走れない……。

 体力が限界に達したあたしは、倒れ込むように膝を突いた。その拍子に、繋いでいた手が離れてしまう。

「萌華殿……!?」
 遮那王くんが振り返り、こちらに手を伸ばした。

 肩を支え、顔を覗き込んでくる遮那王くんを見上げて、心配をかけぬよう笑ってみせる。

「だ、大丈夫……ちょっと転んだだけ……ッ」

 酸欠で頭がボーッとしており、いくら呼吸をしても肺に空気が入ってこない。

「ゴメン、気づけなかった……」
 そう言う遮那王くんも、あたしほどではないけれど肩を上下させている。

 背中を撫でられ、やっと落ち着いてきたと感じたその時だった。

「苦しいの?」
 鈴の()を鳴らしたような声が、あたしの耳朶(じだ)を打つ。

 ハッと顔を上げると、フリルやリボンが付いた豪華なドレス風の着物を身につけた女性が、こちらに視線を落としていた。
 花や月も恥じらうほどに美々しいその容顔は、まるで女神のようにも見える。

 他人(ひと)の顔を見て嫉妬するようなタイプではないけれど、この人は嫉妬したくてもできないほど美しい。

 何故だろう? 初めて会うはずなのに、見覚えがあるような気がする。
 ここに来る直前、懐かしいと感じる声を聴いた時と同じだ。

「やっぱり、何かあったのね……。2人ともなかなか来ないから、心配していたのよ?」
「申し訳ありませぬ、お(いち)様。新撰組の沖田殿と(やいば)を交えておりましたゆえ」

 立ち上がり、丁寧に謝罪する遮那王くんを見て、「お市」と呼ばれた女性は優しく微笑んだ。

「良いの、咎めるつもりなんてないわ。それより――」
 と、お市様があたしの前にしゃがみ込み、視線の高さを合わせる。

「貴女に逢いたかった。私と一緒にいらっしゃい。ケガの手当てもしてあげるわ」

 白く美しい手が差し出され、金色の双眸に戸惑うあたしの顔が映る。
 だけど、かつて求めていた光が――その温かさがそこにあるような気がして、あたしは彼女の手を取るのだった。


 お市様はあたしと遮那王くんを、お城の近くにある大きな屋敷へと案内してくれた。
 『なかなか来ないから心配していた』と彼女が言っていたように、遮那王くんは元からあたしをお市様に会わせるつもりだったらしい。

 あたしたちが通されたのは、襖と障子で仕切られた比較的狭い部屋だった。それでも、現代の部屋と比べるとかなり広い。
 揺れる蝋燭の火が、2人の麗しい顔を照らす。

 畳の上に座っていると、お市様が手当ての為の道具を持ってきた。

「ちょっとガマンしててね」

 濡らした布を首元の傷に当てられ、思わず唇を噛みしめる。

「……ッ」

 お市様の手つきは、壊れやすい人形を扱うかのように優しげで、いつの間にか痛みを忘れていた。

 こんなに大切に扱われたことがあっただろうか? 記憶はないけれど、赤ちゃんの時以来だ。

 何故か、心臓の奥がキュッと締めつけられた。

 お市様の形の良い指が、傷口に塗り薬を塗っていく。
 首に布を巻き、余った所をリボンのように可愛く結んでくれた。

「ありがとうございます……!」
 最後まで労わってくれるお市様に、あたしは頭を下げてしっかりと礼を言う。

 遮那王くんの傷は、あたしの傷よりも浅かったのだろう――お市様は丁寧に血を拭いた後、薬だけ念入りに塗った。

 しばらくして、片付けを終えた彼女がこちらに体を向ける。

「名乗るのが遅れてしまってゴメンなさいね。私は、織田信長の妹・お市よ」

 金色に輝くキレイな目を細め、戦国一と謳われた美女が微笑んだ。

 お(いち)(かた)――身内の戦に巻き込まれ、2度の落城を経験しながらも誇りを持ち続けた、(あざ)()三姉妹の母だ。

「萌華ちゃんには、元の世界に帰る方法が分かる日まで、私や()(じょ)たちと過ごしてほしいの。せめて……今晩だけでも」

 唐突なお市様の提案に、あたしは視線を泳がせた。

 全く知らない世界で、さっき会ったばかりの人と夜を明かすのは、少なからず勇気が要る。
 だけど、逆に考えることもできる――全く知らない世界で、心配してくれる優しい人が2人も現れたと。

 外で夜を明かしたくはないし、ちゃんと元の世界に帰れるかも分からない。

「ありがとうございます! お世話になります……!」

 いつか戻れる日が来ることを願って、それまではお市様や侍女の人たちと過ごそう。

「良かった。……実はこれ、遮那王殿が私に頼んできたの」
「そうなんですか……!?」

 あたしは驚いて、横に座っている遮那王くんを見る。

「うん、実は僕の提案なんだ」

 なるほど、だからあたしをお市様に会わせようとしてたんだ。

 味方でいてくれる遮那王くんと、そんな遮那王くんが信頼しているお市様。
 2人のことは、信じても大丈夫だろう。

「萌華ちゃん、今日からここが()()()()()()()よ。自分の家だと思って、寛いでちょうだいね」

 『貴女の帰る場所』という言葉に、また心臓がキュッとなった。

「……では、僕は仕事がありますゆえ、そろそろお暇します」
 遮那王くんが床に手を突き、一礼して立ち上がる。
 刀の鞘に付いている丈夫そうな紐を腰に巻き、(ほど)けないように固く結んだ。

 あたしとお市様は、遮那王くんを出入口まで見送ることにした。

「萌華殿、また明日様子を見に来るよ」
「うん、ありがとう」

 ニコリと微笑んで(きびす)を返す彼に、あたしは小さく手を振る。

 遮那王くんの華奢な背中が、高下駄の鼻緒に付けられた鈴の()と共に小さくなっていく。

 彼の性格が出ているのだろう――1つ1つの所作が、上品で丁寧な子だった。

 最初はなかなか信じられなかったけど、あれは遮那王本人だ。令和の時代にあんな子が居るとは考えにくい。
 沖田さんやお市様もそうだ。現代に居る人とは、醸し出している雰囲気が違う。

 やっぱりあたし、異世界に来ちゃったんだな。

 遮那王くんを見送ったあたしたちは、先ほどの部屋に続く廊下を歩く。

「何か少し食べる?」
 蝋燭を片手に持ち、半歩前を歩いているお市様が、あたしを振り返りながら尋ねた。

 そういえば、図書館の地1階下にあるカフェでドーナツを食べて以来、何も口にしていない。少食とはいえ、さすがにお腹が空いてきた。

 何も言っていないのに、とても気遣ってくれる。本当に嬉しいな。

「はい、お願いします……!」
「分かったわ」

 静まり返った廊下は、満月が辺りを照らしてくれている為、蝋燭1本あれば事足りる明るさだった。

 部屋に着くと、お市様は蝋燭だけ部屋の中に置き、廊下の方へ戻った。

「これから屯食(とんじき)を作ってくるわ。ちょっとここで待っててね」
「ホントですか? ありがとうございます……!」

 屯食――現代でいう、おにぎりのことだ。

 お市様が襖の向こうに姿を消した直後、彼女と若い侍女らしき人の話し声が聞こえてきた。
「あら、神楽(かぐら)。ちょうど良かったわ」
「これは()(かた)(さま)……いかがなさいましたか?」

 お市様、侍女たちには「御方様」って呼ばれてるんだ。
 その呼び方って確か、身分の高い既婚女性に対する呼び方だったような……? 結婚してるのかな?

「ちょっと事情があって、織田原萌華ちゃんという娘が屋敷(ここ)に住むことになったの。私は屯食を作るから、貴女はこの部屋に寝床の準備をしてあげて」
「いいえ、屯食も(わたくし)がお作りいたします……! 御方様はもうお休みに――……」
「私が作ってあげたいだけなの。貴女は寝床の準備を」
「……かしこまりました」

 しばらくすると、寝具を抱えた侍女が襖を開けて入ってきた。

「萌華様、お初にお目にかかります。お市様が侍女・神楽と申します」
 三つ指を突いて頭を下げ、神楽さんはかえって仰々しいほど丁寧に挨拶をする。

 あたし……ただの女子高生なんだけどな。「萌華様」なんて、お店や公共施設でしか呼ばれたことないよ。

「あの、そんなに畏まらないでください。神楽さんの方が年上ですし……」
「……いいえ、萌華様はお市様がお招きになった大事なお方。丁重におもてなしいたします」

 そこまで固い意思があるのなら、もう何も言えない。あたしがフランクな接し方を強要すれば、神楽さんは困ってしまうだろうから。

 畳に敷いた敷布団の上に、着物の形をした衾と呼ばれる掛け布団を掛ける神楽さん。
 無言でテキパキと寝床の準備をしていく。

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