第1話 ~夢幻魔界~
――時は5年前に遡る。全てが始まったのは、あたしが通信制高校に通っていた16歳の頃だった。
ここは、京都市内のとある図書館。スクーリングがない日は、大抵自室かこの図書館に居る。
2階建ての大きな図書館で、地下にはレトロな雰囲気のカフェもある。3時間前、このカフェでドーナッツを食べたところだ。
借りる本を立ち読みしつつ選んでいると、閉館を知らせる音楽が鳴り始めた。
あたしは数冊の本を両手に抱え、足早に1階の受付へと向かう。
頭頂部でキレイに結い上げた栗色の長い髪が、肩や背中を撫でるようにサラサラと揺れた。
「貸出ですね。カードをお願いします」
受付の人にそう言われ、財布からカードを取り出す。表には草花のイラストとIDが、裏には「
本の貸出手続きが終わると、あたしは持っていた白いトートバッグに借りた本や財布などを入れて、図書館を後にした。
家は、ここから電車で3駅ほど離れた所にある。
春だから、完全に日が暮れるまでには少し時間があるけれど、家の最寄り駅に着く頃には暗くなっているだろう。
ピロンッ!
家路を急いでいると、突然スマホの通知音が鳴った。
SMSの通知? 何だろう?
ロック画面から通知バーをタップし、指紋認証でロックを解除する。
『萌華、久しぶり!』
『来週の土曜日、出張で京都に行く予定なんだけど会える?
――別居している実のお父さんからだった。
織田原家は6人家族だ。今一緒に住んでいるのは、血の繋がっていないパパと実のお母さん、2歳下の弟・星也に5歳下の妹・亜美、そして12歳下の弟・
お父さんと最後に会ったのは、中学3年生のゴールデンウィークだった。体力が落ちていたあたしを心配し、「大丈夫?」と声をかけてくれたのがヤケに嬉しかったのを覚えている。
星也と亜美も、きっと喜ぶだろうな……久しぶりに会えるんだから。
念の為、2人の予定を聞いてから返信しようと思い、スマホをトートバッグに入れる。
パン屋さんを右に曲がると、30mくらい先でヘルメットを被った男の人たちが、道路の工事をしていた。黄色い大きな乗り物が止まっており、「工事中」の看板も立っている。
通っていいものか様子を窺っていると、年配の男性があたしに気づき、両手を大きく振った。
「すんませーん! 工事中やから、回り道してもらわなアカンのですー!」
この道をまっすぐ行けば、駅に着けたんだけど……仕方ない。
諦めて引き返し、公園がある次の交差点を右折する。
普段は、パン屋さんの所で曲がっているから気づかなかったけれど、その公園には大きな桜の木があった。
「キレイ……」
舞い散る桜に目が釘付けになり、あたしは思わず立ち止まる。
しばらく眺めていると、突然風が強く吹いた。
花弁に彩られた視界の中――一瞬だけ、
え!? 今の何……!?
驚いたあたしは、瞼を
地面にキラリと光るものがあり、ゆっくりと手を伸ばしてそれを取る。
「桜……?」
泥などが付いて汚れているわけではない。花弁そのものが黒いのだ。しかも、微弱な光を放っている。
何これ……。
あたしはスマホを取り出し、カメラアプリを起動させる。
SNSや質問サイトに投稿すれば、詳しい人が何か教えてくれるかもしれない。
写真を撮っておこうと、画面に花弁を映したその
スマホの画面が、目も開けられないほどの強く白い光を放ち始める。
「う……うゥ……ッ!」
咄嗟に電源ボタンを押して顔を背けるけれど、光はより一層その強さを増した。
トートバッグが地面に落ちる。
『いずれ、お主にも
頭の中に響いたのは、初めて聴くはずなのに何故か懐かしいと感じる、誰かの声。
やがて光は消え、代わりにスマホのバイブレーションが振動した……。
もう、大丈夫だよね……?
しばらく経ってから、あたしはおもむろに顔を上げる。そして、目の前の光景に息を呑んだ。
丘の頂上に、漆黒の桜が咲いている。ひときわ存在感を放つそれを囲むように、
心なしか明るいと感じるのは、美しい満月と鮮やかな花明かりが、辺りを照らしているからだろう。
ちょっと待って!! ここどこなの!? 公園は!?
イヤ、公園だけじゃない。さっきまであった街並みが、忽然と消えている。
「ウソでしょ……!?」
左手には、スマホが握られていた。だけど、本や財布が入っているトートバッグは無い。
ひとまず落ち着いて、今どこに居るのか確認しないと……!
バクバクと波打つ心臓を押さえながら、スマホの側面にある電源ボタンを押す。
「……あれ?」
何度長押しても、一向に電源が付かない。
図書館で本を選んでいた時は、ずっとモバイルバッテリーで充電していた。買ったのは数年前だし、落としたりもしていないのに。
スマホもそうだけど、大事なものが入っているトートバッグを落としてきたのもかなりマズい。
「……ハァ…………」
あたしは大きく溜め息をつくと、膝に顔を
夕方から夜の間、あたしは何をしていたんだろう?
公園で白い光に包まれて、そこからここに来るまでの記憶がない。
思い返せば、黒い桜を拾ったあの時以来、ずっとそうだ。現実ではありえないことばかり起こっている。
ピィー……ヒョロロ~……。
桜の咲き乱れる丘に、美しくも哀しげな笛の音色が響き渡り、あたしは立ち上がった。
まるで、心の奥深くで疼いている傷を包み込むような――そんな調べだ。
笛の
黒い
華奢な肩が覗く桃色の
え……!? だ、大丈夫なの……!?
心配しながら少女を見上げていると、彼女が笛を吹くのを辞めた。そして被衣に手を添え、フワリと木から飛び下りる。
紅を
「――逢えて良かった、
驚きと戸惑いで言葉を失うあたしを前に、少女がゆっくりと顔を上げる。
月明かりに照らされた彼女の顔は、この世の者ではないかのような美しさだった。肌が抜けるように白く、長い睫毛に囲まれた
眉を抜き、額に丸く描いている為か――やや表情が
「な、なんであたしの名前を知って……」
同い年くらいの小柄な美少女といえど、初対面の子に名前を知られているなんてさすがに怖い。
「それは、そなたが
「あたしが……?」
思わず首を
「……僕は萌華殿の味方だし、必ず何とかする。それゆえ、落ち着いて聞いてほしい。ここは――萌華殿が生きている世界とは、違う世界なんだ」
……え? どういうこと?
待って、普通に意味が分からない。
全身から血の気が引き、心臓がバクバクと音を立てる。
「令和の京都じゃないってこと……!?」
「なるほど……萌華殿の時代は、令和というんだね」
怖い、怖い、怖い。
『あたしの時代は』って何……!? なんで令和を知らないの!?
もちろん、浮世離れした不思議な土地だとは思っていた。だけど、令和の日本ですらないなんて、いくら何でも理解が追いつかない。
ただ……少なくとも、彼女が令和を生きる普通の女の子ではないということは明らかだった。
「ここって、何なの……!?」
お願いだから、「ドッキリだ」とか「演出だよ」とか言って。いつまでもこんな所に居たくない。
そんな小さな願いを抱きながら、少女の答えを待つ。
しばしの沈黙を挟んで、彼女は口を開いた。
「ここは源平、戦国、幕末を生きる方々が集う世界――
夢幻魔界……!?
織田信長は言わずと知れた戦国武将、以仁王は
その2人が争っているなんて……!
もしも、彼女の言ったことが本当なのだとすれば、どうして
信長と以仁王以外に、歴史上の人物が居るのかどうかも気になる。
「貴女は、いつの時代から……?」
平安時代を思わせるような見た目をしているけれど、平安時代から来たのだろうか?
すると彼女は、横笛を赤いスカートに差し込み、頭から被っている薄衣を取った。
桜の花弁が風に舞い上がる中、少女は静かに口を開く。
「僕は