第128話 異物のようなもの
都心部の高層ビルの窓ガラスが衝撃を受けて一斉に砕け散った。法術を使用できる警察の法術機動隊の部隊が足元に干渉空間を展開して上空に滞空してその破片を受け止めるが、路上でパニックを起こした人々には多くの怪我人が出ていることは東都第一ホテルの昼食を食べている老人が眺めているだけでも見ることが出来た。
ただ、それを見守る老人の目が大惨事を見るものでなく、歓迎すべきショーを見ているように歓喜の色を帯びているのを警察官たちが見ればこれが単なる暴走事件では無く、この老人が関係する事件だと言うことを知ることが出来ただろう。
「実にすばらしい能力だ。厚生局の役人も遼北のコミュニストの支援も無しに結構いい物を作るじゃないか。しかし、良いロケーションを選んだね。これはテロを偽装したデモンストレーション。私にものを売り込むには最適の環境だ。そう思わないかね?桐野君。これから君達がその役人共の成果を上回るものを見せてくれると言う話、信用しても良いんだね?」
笑みを浮かべて年代モノの赤ワインを楽しむ老人、ルドルフ・カーンを目の前で肉と格闘しながら頬のこけた顔で見つめる男の姿があった。下級士族上がりのその男にとって人造肉以外の肉はあまり食欲をそそるものでは無いが、顧客の手前もあり不器用になれないフォークとナイフを使って肉をなんとか切ろうとしていた。
「あの程度。ただの子供の遊び程度と分かるくらいのものはお見せ出来ますよ。その力を前の戦争でも見せ付けることが出来れば『祖国同盟』は勝利していたんじゃないかと思う程度の物をね。遼帝国にはその技術は有った。そしてその技術をこれからあなたは目の当たりにする。それを出させなかった同盟国であるあなた方の責任なんじゃないですかね?あの戦争の敗北は」
一言そう言った後、再びステーキにフォークを突き立てるのは『人斬り孫四郎』の異名で知られた甲武浪人桐野孫四郎その人だった。ようやく口に入れた高級牛肉だったが、人造肉を食べなれた桐野の下にはなぜこの肉にそれほどの金を払う価値があると考える人間が居るのか理解できなかった。
「そうだとしてもだ。法術師の力が公にされれば遼帝国が付け上がることは分かっていたからね。分相応と言う言葉をあの暗愚な
そう言ってカーンは慣れない桐野とは違ってごく自然にパンに手を伸ばす。カーンは目の前のフランス料理にまるで慣れていない男の滑稽な様を楽しみながら窓の外で怪物が暴れまわる様子を眺めていた。
「地球人至上主義者にはあれは脅威と見えますか?いや、脅威ですよね。聞いた私が馬鹿でした。あの力を欲しがって地球圏の連中も何件か我々に接触を取りたいと言ってきていますよ。しかし、陛下はまだその許可を出していない。旧地球人のあなたが我々の最初のお客様だ。光栄に思ってもらわないと」
すでに肉を口に入る大きさに切ることを諦めた桐野はフォークに刺した肉を口で引きちぎる。まだ避難勧告が出ていないものの、ビルの最上階のレストランでは階下の騒動を見下ろすべく窓に張り付く客達の姿があふれていた。
「なあに、そのようなものは脅威とは呼ぶに値しないよ。兵器は使用者の意図に従ってこその兵器。あれは兵器と呼べるような代物ではない。いうなれば自然災害みたいなものだ。厚生局もこの程度の商品を私に見せて買ってくれと言うなどとは……それこそ資金の無駄だ。一方で、君達が見せてくれたカタログの中の完成された法術師の方だが、あれが組織的に運用されれば我が国は地球側についていたかもしれないね。一国の立場を変えてしまう。それほどのスペックを持っていると私は感じたね。そうなればあの戦争の地図そのものが違うものとなった……ちがうかね?」
窓が時々衝撃波のようなものを受けて膨らむたびに野次馬になれなかった客達が窓を見つめた。
「それに私はこんな値段を吊り上げるためのデモンストレーションの為の舞台設定自体には興味が無いんだ。噛ませ犬がいくら活躍しても観客は喜ばないものだよ。出資にふさわしい代価であると言う完成品を見せていただきたい。ただそれだけの話だ。早く君達の商品を見せてくれないかね?私もそれほど暇を持て余している訳では無くてね」
カーンは穏やかな顔で目の前で今度はパンを口に詰め込み始めた桐野を眺めていた。
「出資?そうですね。あなたにはそれにふさわしい手駒を手に入れる資格がある……私には腹立たしい限りのことではありますが。お見せしますよ、まもなく。その目が驚きに包まれる瞬間を想像すると私も興奮を覚えるほどの物をね」
パンを飲み込んだ桐野は地球の銘柄モノの赤ワインでそれを流し込んだ。酒なら飲みなれているので別に味など気にせずいつも飲む日本酒のようにそれを一気に胃まで流し込んだ。その様子を暖かく見守る外惑星の資産家の偽名でこのホテルに滞在しているカーンを孫四郎は見上げた。
「なんと言ったら良いのだろう。楽しみだね……しかし、ちゃんと仕上げてあるんだろうね?あのデータ。正直君達があれほどの物を提供してくれるとは思ってはいなかったんだよ。口約束だけで信用するほど私は甘い人間では無いよ」
そう言って階下の騒動が始まる前に桐野が差し出した小さなデータディスクをカーンは手にした。その表情にゆとりのある笑みが浮かんだ。