第八十五話 あなたも心配とかするんですね。
仕事を終え、夕飯でも食うか〜と呑気に飲み残されていたコーヒーを自席で飲んでいた。終業時刻故に班室内で各々帰宅の準備をしていた班員であったが、隣に居たヒューノバーから総督府外で夕食をどうかと誘われた。誘拐事件があったのもあり、ヒューノバーから誘われるのは意外だなと思いつつも、二つ返事で承諾した。
一度帰って支度をするから、と班室前で別れて自室に向かおうと最初の角を曲がった。手首を誰かに掴まれ、驚いて振り返るとシグルドの姿があった。
「ど、どうしました? シグルドさん」
「……リディアから、マイクロフトのこと、聞いたのか?」
いつもの飄々としたシグルドではないことに、リディアが話したのだと勘付く。肯定すればシグルドは、そうか、と呟いて手を離した。若干項垂れているシグルドに、彼らしくないなと心配になった。
「リディアさんから私に話したこと、聞いたんですね」
「ああ」
「……マイクロフト、ご存知だったんですね。リディアさんが調べてみろって言った時から」
「一応、義父に当たるからな」
あの時は表には出さなかったのだろうが、複雑な心境だったのだろう。リディアのすぐそばで彼女のことをずっと見てきたのだ。リディアが悩んでいることだって、きっと知っていたのだろう。
シグルドに向き直り、マイクロフトはどんなヒトだったのかと聞いてみる。
「……俺のことは、多少敵視してたかもな。なんせデキ婚だったから」
「まあ、父親からすれば娘を掻っ攫って行った男ですもんねえ」
「一応、高校卒業してから籍はいれたんだが、それでも男親には印象良くねえことくらいは分かるよ。俺も今は親だからな」
腕を組んで目を閉じながら、頭を捻っている。シグルドに二十年前の事件のことを聞いてみた。
「二十年前って、リディアさん実家に帰っていたんですよね。出産のために」
「そうだよ」
「その当時、マイクロフトにおかしな様子とかは無かったんですか?」
「ン〜……俺には元々アタリ強かったからなあ。仕方ないことだけど。でも、リディアもおかしな様子は微塵も無かったって言ってたよ。いつも通りの親父だったって、話せるまでに回復した時に聞いたからな」
そりゃ真っ先に聞くか。重体だったリディアが生きていたのは奇跡と言ってよかったとは聞いた。そういや、と話は脱線するが聞きたかったことを聞いてみた。
「双子のお子さんの世話、ひとりでしてたんですか?」
「え? ああ、うん。まあうちの親にも手伝ってもらったりはしたが、基本ひとりでやったな。や〜、大変だったよ」
「リディアさんきっと感謝しているでしょうね」
「……当時はそれどころじゃなかったろうが、だといいんだがね」
双子も今は成人し心理潜航の学校に通っているらしい。四人も子供に恵まれ、普通なら幸せと言ってもいいかもしれないが、リディアにとってマイクロフトは胸につっかえているわだかまりだ。ずっと、父親のことを忘れられず、私に自分を覚えているかと聞いてくれと頼むほどなのだ。忘れられるものでもないだろう。
「私、リディアさんに言われたんです」
「うん」
「……もし次マイクロフトに出会った時、自分を覚えているか、聞いてほしいって」
「……あいつ、泣きそうだったろ」
「……はい」
「親父が生きているって知った時、複雑だっただろうな。……自分たちを置き去りにして人間の純血派に属してるって聞いた時、あいつ、生きててよかったとしか言わなかったけどよ。自分のことを否定しているような立場に居るんだから」
親父のこと、ぶん殴ってやりてえよ。とシグルドは腕を組んで顰めっ面で呟いた。
「お袋さんだって、妹たちだって、子供が産まれること、楽しみだって喜んでたんだ。親父だってそうだったって言ってたよ。けどよ、マフィアに襲撃されて家族全員ぼろぼろで、そんな時に居てやれるのが部外者の俺って、アンタが居てやるべきだろうってずっと思ってたよ」
事件後に目覚めリディアの第一声は、家族の心配だったそうだ。ぼろぼろの体で、両親や妹たちの心配をして、目覚めた時にはもう、誰も居なかった。
「あいつが泣くの、あの時初めて見たよ。見てらんねえほど取り乱してた。俺は何も言えなかったよ」
それからは、リディアに聞いた話と同じだ。体の回復を待ち、総督府に拾い上げられ、そこで初めてマイクロフトが喚びビトだと知ったと。心理潜航捜査班に属してからは、あまり感情を表に出さないようになったそうだ。今よりもずっととっつき難かったらしい。
「ミツミ、俺からも言っておく。マイクロフトにもし次出会えたら真っ先に俺に教えろ。ぶん殴りに行ってやるから」
「生爪剥ぎましょうよ」
「お前急に恐ろしいこと言うな」
くく、とシグルドは笑って、頼んだよ。と私の肩を叩くと班室に戻って行った。
居住区に向かいながら、リディアとマイクロフトを会わせる術はなかろうかと考える。そもそもあちらの本拠地も知らないし、今現在国外の可能性が高いだろう。そう思うとどうしたって難しいものだ。
けど、たったひとり生き残ったリディアに、どうにか会わせてやりたい。こちらからコンタクトを取れやしないだろうか。と考えつつ自室にたどり着いた。
着替えをして化粧を直して、正門で待っていると言っていたヒューノバーの元へと急ぐ。
「喚びビト!」
「うわ」
出口までの通路を歩いていると、リリィが突然現れた。またイチャモンをつけに来たのかと呆れたが、以前とは違い、今は彼女に恐怖心はなかった。
「うわ! とは何です!」
「そりゃうわってなりますよ。何かご用が?」
「……あなた、誘拐されたばかりでどこへゆこうと言うの」
「いや、ヒューノバーとデートに……」
「は、腹立たしい……けれど今日はおよしなさい」
「何故ですか?」
「父から聞きました。純血派の人間が街を彷徨いていると、また誘拐される可能性があります」
「ヒューノバー居るし大丈夫では?」
そう言うとリリィは頭に手を当ててやれやれと言った仕草をした。
「あなた、ご自分が発している言語をお忘れではないですか。アースの言葉を話す人間なんて、見つかればすぐに攫われますよ」
「ああ、そうか、日本語……」
翻訳デバイスがあるから忘れていたが、確かに訳の分からない言語を話していれば目立つ可能性が高いのか。
「でもヒューノば」
「ヒューノバーさんを過信しすぎです! わたくしも行きます」
「ヘァ?」
「何ですかいちいち間抜けな声を出して。ああ間抜けでしたね!」
「……そのう、リリィさん的には、別の女と付き合っているヒューノバー見てしんどくないですか?」
「ふん、ヒューノバーさんは見る目が節穴とは思いますが、目の保養として今回は参ります」
「メンタル鬼ですね」
一応私の心配をしてくれているらしく、こう言う優しい面もあるんだなあ、となんとなくリリィに好感を持つ。
と言うことでリリィを引き連れて正門まで行くと、ヒューノバーが呆気を取られたような表情でリリィを見ていた。
「……あの、ミツミ。どうしてリリィさんが」
「この前リリィさんと友達になりまして」
「嘘をお言いにならないで! あなたと友人になったつもりはなくてよ!」
「だから今回は親交を深めようと」
「そんなつもりございませんよ!」
「……まあ、ミツミがいいなら」
複雑な表情をしていたヒューノバーであったが、私がリリィの言葉に平然としているのを見たのもあり、今回は同行を許してくれるらしい。と言うことでヒューノバーとリリィの三人で夜の街へと繰り出すこととなったのであった。