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苦い思い出と美味しいご飯

 運動会を終えてから、一ヶ月後。

 秋が深まり、冬の訪れを感じる季節。

 夕飯時の勇者トールの住まいにて。

 室内をいい匂いが満たしていた。

 今日の献立は秋香る茶碗蒸しに、松茸ではなく、旬を迎える椎茸とかぶを使用したお吸い物。

 このメニューは調理次第で、どんなものからでも美味しいものができるといった意味を込めた料理だ。

 ワークトップの中央には剥き海老、煎り皮を剥き終えた銀杏、均等の大きさに切り揃えられた椎茸が用意され。

 その左側には、お馴染みの昆布出汁を混ぜた卵液、人数分の容器。

 右側のコンロには蒸し器が、左側側のコンロには昆布出汁を張った鍋がセットされている。

「やっぱり、秋は銀杏使わんとね」

 トールはそれをいつものように手際良く調理していく。

「ねぇねぇ、言おうか迷っていたんだけどさ……それ銀杏だよね……」

「そやで? 今日、市役所寄った時にヒロおじに分けてもらってな。秋の味覚やし、茶碗蒸しに入れようとしてたってわけや」

 銀杏はトールが運営する施設、星屑の里に生えているイチョウの木のもの。
 それを自分のツマミ用に取っていたヒロおじが、偶然居合わせたトールに手渡したわけである。

 渡した理由は、職務中に施設に赴き銀杏を集めていたことをトールに怒られてしまうと思ったからだ。

 そんなことを知らないトールは、特に気にも留めず普通に受け取り今に至る。
 
「いやなんで、食べようとしてるの? ボクは食べられないよ? 銀杏なんて臭いし」

「いやいや、下ごしらえしたら、美味しいで? 言うても木の実やしな。木の実なら向こうでも、よく食べてたやろ?」

「木の実は食べてたけどさー、ダフレシアと同じ臭いするじゃん! 銀杏はさ」

「まぁ、そう言わんと! 一回も食べたことないやろ?」

「ないけどさー」

「やろ? それにや、今は臭いする?」

「うーん、薄っすらするけど、帰り道で嗅いだほどじゃないような……」

「そういうことや! 銀杏はちゃんと調理すれば栗に少し苦味を加えたみたいな上品な味になる。まぁ、楽しみにしとき!」
 
「う、うん。トールがそこまで言うなら……今のうちに宿題してくる」

「うん、しといで!」

 疑心暗鬼になりながらも、心から信頼するトールの言葉ということもあり、その間に宿題を済ませるべく、リビングに向かう。

 そこでテーブルの上で開いたままとなっている計算ドリルに手をつける。

「どれ……儂が見てやろう」

 その様子をベランダで見ていたドンテツは炙ったエイヒレの入ったワンカップ酒をグイッと飲み干し。

 そしてベランダからリビングへと移動するとチィコの宿題を手伝い始めた。

「計算を貴方が? 勘定なんて面倒くさいとか言ってませんでした? えーっと何でしたっけて……?「金では鉄は打たん、その心意気を儂は見る!」とかでしたっけ?」

 ダイニングテーブルで一部始終を目にしていたカルファは間髪入れずに、皮肉めいた言葉を投げる。

「そ、それはあれだ! 向こうの世界ではといった感じだの! やはり生きていくには金はいるからの」

「へぇー……凄い変わりようですよねー……一体、誰の影響を受けたのか」

 カルファはドンテツが月乃屋商店の看板娘、雪子に恋心を抱いていることを知っているのだ。

 いや、寧ろここにいる全員が知っている。

 ただ、カルファ自身は別にそれがいけないこととまでは、思っていない。

 だが、まさか自分を差し追いて、あのドンテツがとは思っていた。つまりは勝手にプライドを傷つけられたわけである。

 なので、カルファはいつもに増して、嫌味な言い方をしていた。

「ええい、うるさいわい! お主だって、あのおなごの影響を受けておるではないか!」

「舞香のことですか? 舞香はいいんですよ! ソウルメイトですから! そもそも貴方のような不純な動機ではありませんからね」

「儂の動機が不純なら、お主はお腐り様か、なんかだろうに」
 
 カルファが普段からBLの話をするので、その界隈でしか使わない腐っているという専門用語がドンテツにまで通じる。

「私がお腐り様ですか! 言い得て妙ですね。褒めて頂きありがとうございます。しっかり腐っていますし、隠したいとも思っていません。寧ろ普及したいとさえ思っています」

「なんというか、一番影響を受けておるのはお主で間違いないの……いや、皆か――」

 ドンテツがふと周囲を見渡すとリビングで寝転び、足をバタつかせながら宿題をするチィコ、キッチンで鼻歌まじりに料理をするトールが視界に入った。

 料理に夢中なオカン系勇者トールはともかく、チィコですすら止めに入ろうとしない。

 この世界に来た頃なら、必ずといっていいほど止めに入っていたというのに。

 遥か年下のチィコの大人な対応を目にしたことで、ドンテツは落ち着きを取り戻していく。

「まぁ、あれだの。皆、楽しそうだしいいか」

「ふふっ、わかっているではありませんか! そういうことです。人のことをとやかく言うのは多様性が広まっている世の中では、おかしなことですからね!」

「……お主に関しては、もう少し自分を顧みた方がいいような気がするがの……」

 自信満々にブーメラン発言をするカルファに対して、ドンテツは小声で呟く。

 その声を持ち前の聴力で聞き逃さなかったチィコは宿題のわからない所を聞くフリをして、ドンテツの耳元で囁いた。

「……ドンテツドンテツ、カルファはあれでも、外では凄くちゃんとしてるよ? だから、大目に見てあげて? それに――」

「それに?」

 チィコの言葉、視線に導かれるようにその先を見つめる。
 するとそこには、お玉片手に凄い迫力を放つトールがいた。 

「あのな、カルファ。人に言うなら、まず自分がちゃんと出来てるか考えてから発言しなあかんで? まぁ、君のことやから仕事はちゃんとしてると思うけど」

 トールは聞いていたのだ。

 口も挟まず興味ありませんという雰囲気で調理を進めていたのに、実はキッチンで聞き耳を立てている母親……いや、オカンのように。

 そして、この間に料理を完成させていた。

「……はい。トール様のおっしゃる通りです」
 
「うんうん、わかったならええよ。さ、ご飯にしよか」

 トールは反省したカルファを見ると手をパンパンと叩き、準備の出来た夕飯をダイニングテーブルに持っていく。

 何も言わなくとも、チィコはキッチンへと駆け寄り、頭を垂れているカルファも続いた。

「ガハハッ! 儂らって感じだの」

「どしたん? 急に笑って。一人で持って行くのは大変なんやからドンテツも、運んでくれるー?」

「う、うむ! わかった」

 突然降ってきたお願いに戸惑いながらも、その指示に従ってキッチンに向かい、トールから料理を受け取りダイニングテーブルへと運ぶ。

 全員で協力したおかげで、ダイニングテーブルにはあっという間に料理が並び。

 席に着くとトールの「頂きます」の一声に皆が続き、その料理に舌鼓を打つとそれぞれに感想を述べていく。

「美味しいー! なんだ銀杏って美味しいじゃん!」

「やろ? ようはな。どう料理するかやねん。だから、何でも一度は挑戦するんやで? やってみないことはやってみないとわからへんからな」

「うん、わかった!」

「茶碗蒸し……優しい味です。それに温かくて何だかほっこりしますね」

「せやろ? ちょっと肌寒くなってきたから、皆あったかいもん食べたいやろうなとおもてな」

「ズズッ、ジュルッ……お、お心遣い感謝致します」

「な、泣くほど、美味しかったんか!」

 チィコは銀杏の美味しさに気付いたことではしゃぎ、少しズレてはいるが、トールに特別な感情を抱いているカルファはその味に涙した。

 ただし、トールはそのカルファの気持ちには、全く気付いておらず、料理に夢中となっているチィコもだ。

「うむ……やはり、儂ららしいの」

 そんな不思議な関係性を目の当たりにして、一人呟くドンテツであった。 

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