2-1-13
長い長い、永遠にも思えるほど長い螺旋階段も、作られたものならば、きっといつかは終わりが来る。
先頭の足が止まったのか、行進と言うには自由すぎる一列が急に止まる。
その中で、イルが目にしたものは、古びた木の扉。
それも、屈強な魔族が通るには些か小さい
ウミは余裕を持って通過できるが、テオとイルは、腰を屈めて移動しないと通れないくらいに小さな扉の前で、魔王が振り向いた。
「人間で、この部屋に入るのは君たちが初めてだよ」
「光栄だな」
皮肉かどうかも分からない言葉を淡々と吐き出すのは、古くからの友人、テオ。
(きっと、テオ氏、今複雑な気持ちなんでしょうねぃ)
嫌いと言われた人間であるにもかかわらず、血を分けた実の兄妹であると明かされ。
協力するのも
挙げ句、テオの同行者であるウミが光魔法の使い手だからという理由で、あっさりと心変わりを決められた。
そんな複雑な立場や感情を持っているであろうテオの一言。
飄々とそれを受け流し、魔王はその扉を広げた。
「ようこそ。
その室内はイルが想像していたよりもずっと明るくて、そして質素だった。
シンプルと言えば聞こえはいいが、小さなベッド、机、ひとつの椅子。
それから簡素な書棚があるだけの、まるで罪人を閉じ込めるような狭い部屋だった。
少なくとも、王と名のつく立場の者が住まう部屋ではない。
それがイルの感想だった。
「貧乏くさいって思った?」
突然話を振られ、イルはの肩が大袈裟に跳ねる。
魔王は、やはりその反応に笑い出し、肩を揺らしながら手を叩く。
「いえ、そこまでは」
「そこまでってことは、近いことは考えてたんだ」
「からかってますねぃ?」
「うん。そう」
思わず崩してしまった余所行きと、漏れ出てしまった普段の素。
魔王は気にすること無く、ベットに、椅子に、座るよう手で指図する。
「それでも、雨風しのげて、寒くも暑くもない部屋だ」
一等上等だと、彼は言う。
先の謁見時の激昂で漏らした生い立ちに、スラムの出だとの一言があったことを、イルは思い出す。
(歪な王ですねぃ)
血筋自体は立派なものとしても、生い立ちとしては誇れるものではなく、王の成り立ちも、どちらかと言えば実力主義な面が強い魔国の王。
血縁主義しか知らないイルにとって、その王は奇妙に映った。
「さて、それでは話の続きをしようか」
魔王は書棚から数十枚の羊皮紙を取り出し、それを机の上に乱雑に広げる。
「これは各国で作られた地図だよ。それぞれ周辺国の地理しか描かれてないけど、繋ぎ合わせれば大体の全容はわかるはず」
「繋ぎ……合わせ……?」
テオが困惑した風に呟いた。
無理もないとイルは思う。
その地図は各地で作られたと言う通り、各国の流儀に則って描かれている。
つまりそれは、地図毎に縮尺も様々であること。
加えて、使用されている言語が何十種類もあることを示している。
「ここまで旅をしてきたんだ。我が妹ならば余裕だろう?」
嘲るように鼻で笑う魔王の視線は地図のまま。
ぐぬ、と歯噛みするテオは、これまで長く、口語を頼りに生きてきた。
その国の言葉を書くことができなくても、しゃべることができれば、最低限生活するのに不便はない。
それに加え、テオはイルの知る限り、【大陸共通語】として使われる言葉を使ってきた。
その国の言語を学ぶことがなくても、この大陸の中であれば意味の通じる、旅人がよく使っている言葉。
その弊害が、今、ここに。
(一体、何人の旅人が、魔王城で言語の違う地図を繋ぎ合わせる状況に陥るかってことですけどねぃ)
弊害と言えど、状況が特殊すぎて、比較対象が無い。
そもそも、こんな状況に陥ることのない一般的な旅人であれば、弊害などと言うこともないだろう。
「仕方ないですねぃ……」
イルは何枚かの地図を手に取る。
それを眺め、並べ直していく。
「イル……。それ、東の言葉だぞ?」
分かるのか? と困惑したテオの言葉。
東の言葉。特に書き文字は、テオが生きてきた国々の間では難解な言葉の一つとして知られている。
テオの疑問にはサムズアップで返した。
「あっし、東の周辺の出なのでぃ」
「聞いてないが?!」
イルは初めて、自分に対して発された、焦ったテオの声を聞いたかもしれない。
「言ってませんでしたっけぃ?」
すっとぼけるイル。
上下にガクガクと揺れる仮面。
普段クールなテオの初めて見るギャップに、ポカン顔を浮かべるウミ。
表面上真顔を貫くも、小刻みに揺れる魔王の肩。
シュール。
恐らく、長く友人をやっているのに、出自を知らなかったことに驚いての反応だろうが。
(なんか……。いいですねぃ、焦ったテオ氏!)
イルは少しだけ変な扉を開きそうになっていた。