2-1-9
イルが魔王から放たれた衝撃的な事実に固まる中、テオはと言えば。
「えぇっと……」
困惑していた。
これ以上ないほど困ったような声を出している。
テオは困惑したままに、恐る恐る魔王へ声を掛ける。
「初めまして……兄貴?」
「テオってば、どうしてそんなにお口が乱雑になっちゃったの?」
間髪入れずに返ってきたのは困惑した言葉。
それも仕方がない。
魔王の言葉が正しければ、テオは
由緒ある家柄の、最高にも近い権力者であるのだから。
(それがどうして……。こんなに荒っぽい口調になってしまったんですかねぃ)
めくるめく思い出を探すイル。
――おいち! イル、これおいちねぇ。
――テオ氏、そういう時はウメェって言うんですよぃ……☆
――これウメェね!――
心当たりしか無かった。
世の中には言葉にしなくていいことだってきっとある。
イルは口を閉ざすことにした。
魔王が困惑したまま、独り言のように呟く。
「立場は姫様なのに……。そんなに髪も短くしちゃって……」
テオは小さな動作で首を横に振る。
否定の意味が含まれた動作は、魔王の注目を集める。
「姫様なんて、よしてくれ。今、わたしは王族ではない」
「王族じゃない?」
「色々あったんだ」
色々と、そこに至るまでの要素の部分を濁して伝えるテオに、魔王は鼻で笑った。
「事情があるんだね。いいよ。詮索しないであげる」
「助かる。よってここにいるのは、たいそうな肩書を持たないただのテオだ」
「ふーん。ただのテオ、ね?」
意味深長に鼻息を吐く魔王は、肘置きに頬杖をついた。
「それなら、ただのテオはここになんの用事で来た? まさか、平民が王に、直接訴えることがあると?」
圧。
頭上からペシャンコにされる幻痛を感じるほどに強く重い圧力。
不機嫌そうに顔を顰める彼は、圧に床へと押し潰されるイルと、抗い跪く姿勢を保ちつつも、体が小刻みに震えるテオを見下ろしながら、語りかけるように言葉を吐き出していく。
「僕らはね、人間は基本的に嫌いなんだよ」
ずず、ずず。
「でもね、血の繋がりがある妹だから、せめて兄として何かしてあげたいって思う兄心だったんだけど」
語る度に重くなる圧は、魔力の重さ。
圧倒的な魔力の差。テオはとうとう両膝を床につく。
「血の繋がりを証明できる、生まれた家を否定するんなら、僕と君は他人同士かもしれないってことなんだよね?」
抗えば抗うほど削られていく体力と気力。
テオから聞こえる息が荒くなっているのが分かる。
「他人の、特に人間にかける情はないなぁ」
言葉一つ一つに重い魔力が籠る。
それは魔王の怒りを表しているようで、イルはとうとう床にうつ伏せに倒れてしまった。
床に押し潰されている状態でも、なんとかテオの様子を窺えば、テオもずいぶんと踏ん張っているように見える。
しかしその首には青筋が浮かび、相当全力で抗っているようだ。
「人間が! 憎いか!」
「当たり前だ! 君たち人間は姿が違うというだけで異端と見做す! 姿が違うだけで貶めようとする! 実の子でさえも、簡単に手をかけてしまえるほどに!」
魔族よりもおぞましいじゃないか。
魔王が矢継ぎ早に喚き散らす言葉は、まるで泣いているようだった。
「あっ……ぐぅっ……!」
とうとうテオが地面に倒れ伏す。
そう思われた直前、テオと魔王の間を、小さな影が遮る。
「もうやめて!」
ウミだった。
この荒れ狂う魔力の重みの中、彼女は軽やかに躍り出た。
「……ねぇ。なんで動けるの」
魔王でさえ理解できないと言った顔をする。
その反応から、あえてウミの周りだけを軽減させているわけではなさそうだ、そうイルは感じ取る。
よく見ると、ウミの体、その周辺。
薄い膜のような光で覆われているのが分かる。
魔王は合点がいったと言いたげに頷いた。
「光の魔力を持っているのか」
彼はウミに近付き、しげしげとその周囲を観察する。
ウミは身を反らすが、その場に踏ん張り彼を睨みつけている。
「黒の魔力、闇の魔力、夜の魔力。それらは全部、光の魔力を持つ者の前では総じて弱い。魔力の波長が合うから、居心地がいい。だからだったのか。僕らが君だけは何となく許せてしまうのは」
しげしげと眺めた魔王は、ふっと笑う。
指をパチンと鳴らした次の瞬間、周囲一帯が一気に軽くなった。
「ぶへぁっ! や、助かりやしたぜぃ……」
「はぁ……、きっつ……」
イルとテオの力が抜ける。
床に座り込む二人を背に、ウミはまだ魔王を睨んでいる。
彼は薄っすら破顔し、ウミの頭を軽く撫でた。
「君。光の君。名前は?」
「……
「
彼はウミの背後、座り込んだ二人の目の前に立ち、見下ろした。
「……ただ、対価もなしに叶えるのは、僕の気持ちが収まらない。だから、僕の願いを叶えてよ。そうしたら、僕は君たちのお願いを叶えてあげる」
ようやく息が整ったテオが、彼に問いかける。
「わたしたちは何をすれば?」
「僕たちはね、魔力を多く必要とするんだ」
話が見えない。イルの疑問を言葉にする前に、魔王がゆらり、ゆらりと玉座に向かって歩いていく。
「だから、肥沃な魔力を含むこの土地から、魔力を集める装置があったんだよねぇ。それを使って、僕たちの生活に必要な魔力を分配してた。だけどね」
魔王は、魔力で圧をかけてこそ来ないが、非常に不機嫌そうな溜息を吐く。
「僕たちの大切なそのアイテムを、不届き誰かが盗み出してしまった」
「まさか」
テオが何かを察した。
続く言葉に、魔王は肯定する。
「人間……か?」
「御名答」
「どうやって。貴方ほど魔力が強大な者は、今まで見たことがないのに」
魔王は自嘲する。
「僕が油断してた一瞬の間に、僕の眼も盗まれたんだよ」
「眼、ですかぃ?」
イルは訝しむ。
魔王の両の目は、そこに収まっているように見えるから。
「比喩ではあるよ。物は、水晶玉のような、小さな透明な玉。真贋、万物を見通すことができる代物。魔王に代々伝わる秘宝」
魔王は笑う。
ニコリとした笑みなのに、イルにはどうも恐ろしい笑みに思えた。
「このふたつを取り戻してほしい。それが僕の願いだ」