バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

2-1-1

「ねえテオ氏」
「なんだ」
「……本当にあそこに行くんですかぃ?」
「ああ」
「……見るからに、おどろおどろしいんですがぃ」

 テオたち一行は、小高い丘の上からそこを見下ろしていた。

 今まで通ってきた道とは明らかに違う植生。
紫や黒や、見ていて不気味に感じる色合いを持つ丘の上で、イルは、端的に言えばビビっていた。

「ああっ! ウミ氏! それは触っちゃだめな色してますよぃ!」
「え? 平気だよ?」

 好奇心旺盛な小さな同行者、ウミがゼンマイ型に巻き上がった緑紫色をした植物を引っこ抜いている。
ウネウネ動く様は、明らかに植物とは違う、動物性の動きを見せていた。
それは本当に植物か? イルは訝しんだ。

「目的のためだ。行くしかないだろ」
「行くしかないだろ……って」

 イルは叫んだ。
力の限り叫んだ。
彼の叫び声に釣られて、遠くに見える森から見たことのない翼を持つ生き物が飛び立ったとしても、構わずに叫んだ。

「魔王城はそんな気楽に行くところじゃないですよぃ!!!」

 よぃ! よぃ……! よぃ……。ぃ……。
叫んだ声に残響が。跳ね返った音で木霊が周りを飛び回る。

 眼下に見下ろす黒一色で建立された城。
それこそが、テオたちの目的地。魔王城であった。

(あいつらもあいつらですよぃ! テオ氏の善性に頼ってばかりじゃないですかぃ!)

 内心憤るイル。
その理由は、二ヶ月ほど前に遡る。




 賑やいだ酒場には、いつも決まった人が来る。
顔馴染み、常連。言葉にすれば、大体こんな感じの人らが。

 喧騒交じりの雑談だけで済むなら可愛い方。
怒声や罵声、時には掴み合い取っ組み合いの喧嘩まで。

 酒場の女中も慣れたもので、ある程度までなら見逃して、それ以上は憲兵を呼ぶという、場の見極めを経験則で行っている。

 そんな喧騒がいい隠れ蓑になり、時には密談すら行われる。
人前では話せないことも、酒場の喧騒の隅に追いやられてしまえば、大抵は見えないものである。
 あるいは見えたとて、見ないふりをするのが暗黙の了解。
秘密の話が漏れてしまえば、月のない夜道に気をつけるのは漏らしてしまった方なのだから。

「……また、一人死んだ」
「自殺ですかぃ」
「税が重すぎる」
「アホみたいな名前をつけておきながら、持ってく金の量が多い」
「生活どころか、生きていても苦痛しか感じない」
「俺等の全てを持って行くのは、王族や貴族が贅沢に染まっているからだ! その贅沢のほんの一部でも民に下ろしてくれれば、我々は豊かとはいかずとも生きていて少しでも楽になれるはずなのに!」

 木のジョッキを机に叩きつける男。
その音に酒場の何人かが視線を向けるが、彼らは一様に視線を背ける。
酒場で見聞きした全てのことは、忘れることが長生きの秘訣。

 そんな彼らをかき分けて近付いてくる人物がいた。
その人は酒場の中でも異様に見える格好をしている。

 身丈が高く、この辺ではやたらとは見ない白銀色の髪はざんばらに切られ、旅人が好んで纏うマントを靡かせている。
それだけでも目立つのに、それに加えて異様に映るのは、その顔面。
白いシンプルな仮面を身に着けているのは、通りすがり人々に二度見られるような異質さがあった。

 その人物は、慣れた様子で酒を頼み、ジョッキ片手に机を囲む男たちの元へ歩みを進める。

「ピンチョス、声を控えろ。よく響いている」
「おっと。これは失敬。だがよ、お前の方が目を引くんじゃねぇのか、テオよ」
「わたしが面を外した途端、違う意味で目を引くことになるだろうな」

 ピンチョスと呼ばれた男は、テオの容姿を皮肉る。
テオはどこ吹く風。飄々と彼の言葉を受け流す。

「テオ、いつ動くんだ?」

 彼らの一人が身を乗り出して問いただす。
待ち切れない、というよりは、焦れた末、我慢ができなくなったと言いたげな雰囲気だ。

「おい。まさか、まだ待てとか言うんじゃねぇだろうな?」
「またか? いい加減、俺等はお前があちら側じゃねぇのかって思い始めてるんだが?」
「まさか。考えているさ」

 男たちの圧を、テオは肩を竦めてニヒルに受け流す。

「だが、決定打が無い」
「決定打ってなんだよ。攻め入る口実のことか? もう既に、たくさん人が死んでいる!」
「重税を苦にした自殺、だろう? 相手方が直接手を下したわけじゃない。大勢が動きたくなるほどの人数が死んでいるわけでもない。このままでは、民意を味方につけたとしても、その後は大義のない反逆人として終わるぞ」
「身近な人が死んだというのは大義にならないのか!」
「ならない。少なくとも、大衆を味方に付けるにはまだ足りない」

 ピンチョスは苛ついた様子でぐっと酒を煽る。

「クソがよ! お前がそう言うなら、俺ぁ明日にでも城に火を付けに行ってやる!」
「やめろ。無駄死にしたいのか」
「無駄死にするのはお前の優柔不断さが招いた結果だ! そうなりゃお前の一生を呪ってやる! 後悔して生きればいい!」
「だからなんでそうなるんだ。落ち着け」

 呆れたようにテオが宥めるも、ピンチョスは憤慨冷めやらぬ様子。
怒りに任せて口にする言葉も支離滅裂で、どうしたものかとテオがため息を付いた時、男たちの中から陽気な声が上がった。

「ま、ま、ま。決定打が無いってことは、作ればきっかけとなるって事ですよねぃ? テオ氏」
「……そうだ。その通りだが、簡単に言ってくれるなよ、イル」

 糸目の胡散臭い顔を持つ男。
イルと呼ばれたその男は、にんまり笑う。

「それならちょいと、きっかけを作ってしまいましょうかぃ」
「適当言うんじゃねぇよ! それができてねぇから、この仮面優男はぐだぐだぐだぐだ、いつまでも踏み切れねぇんじゃねぇかよ!」

 ピンチョスが指差した先にはテオの顔面。
イルはその指をそっと抑え、下げさせる。

「そうですねぃ。アプローチは色々ありますがぃ。とりあえず、どこでもいいから国力のある国と繋がりを作っちまいましょう」
「……は? それがどうしてきっかけとやらになるんだよ?」
「よく考えてくださいよぃ。国力のある国を味方につける。その国がこの国に不満を持っているところだと尚いいですねぃ。そうしたら、こっちはちょいっと耳打ちをすればいいんですよぃ」

 イルは耳打ちをするような体勢をジェスチャーする。

「相手の国に不利になることをこの国が考えていると、ねぃ。それで戦争でもしてくれれば儲けもの。戦争とならずとも、こちらが戦力を出すと約束すれば、後方支援位はしてくれるでしょぃ」
「あくどい事を考えるんだな、イル。失敗した日には、その首と胴体が離れていそうな作戦だ」
「ですがねぃ、テオ氏。多分一番現実的じゃないですかぃ?」
「大義はどうする」
「相手の国の面子を立てる。こんなのはどうですかぃ」

 イルはテオから視線を移し、ピンチョスの顔をじっと見つめる。

「決定打なんて、所詮は口実に過ぎないんですよぃ。建前ってやつですねぃ。だから、何でもいい。真実だろうがなんだろうが、あっしらにとっては開戦の言い訳ができればそれでいいんですよぃ」

 不満顔のピンチョスを見て、イルは鼻で笑う。
小馬鹿にしたような笑いに青筋を立てるが、イルは正論で封じ込めた。

「どうせ、失敗すればみんな死ぬんですよぃ。それなら、少しでも勝ち筋が見える方向へ持っていきたいと思うのは、おかしいことではないですよぃ」
「あ、エールもう一杯おかわりで」
「テオ氏? あっし今割といいこと言ってたはずなんですがぃ?」
「喉渇いた」
「そうですかぃ、空気読んでくだせぃ、この自由人!」

 ったぁん! と高い音を立ててジョッキを机に打ち付けるイルに、ピンチョスは哀れみを込めて肩を叩いた。

「ってことぁ、あれだな。その国力のある国とやらに繋ぎを取らなきゃならんのか」
「そうなりますねぃ」
「どこの国ってのも重要だな。お前はどこでもいいって言ったがよ」

 ピンチョスは難しい顔をして唸る。

「国力のある国は遠くまで行けば結構あるな」
「だが、そこの国がこの国に悪感情を抱いているかっていうと、そうじゃない」
「遠すぎて眼中にないが正しいんじゃねぇか?」

 彼らが話し合う中、恐る恐る手を挙げる人。

「ひとつ、条件に合いそうな国が思いつくんだけど」
「どこだ? 言ってみろリュメイユ」

 リュメイユは小太りな体を揺らし、簡素な地図の外側を指さす。
ピンチョスは頬を引きつらせた。

「……リュメイユ、正気か?」
「でも、ここしか無いよな?」
「そうだが、そうなんだが……!」

 ピンチョスは頭を抱えた。

「よりにもよって、魔国かよ……!」


――――――――――――――――
――――――――――
―――――

「――それでも、テオ氏が頼まれたからって、バカ正直に乗り込んでくること無いじゃないですかぃ!」
「とはいえなぁ……。適任はわたしだろう?」
「なんかまとめ役に近いところにいるからそうかも知れないですがぃ!」

 キャンっ! と犬のように喚くイルの声が途中でくぐもる。
テオが、勢いをつけて腹部を抱え込んだから。

「て、テオ氏? まさかとは思いますがぃ……」
「よし、ウミ。ちゃんと掴まったか?」
「うん、オッケーだよー」
「口は閉じてろ。舌を噛む」

 ウミが口を手できゅっと押さえたのを見て、イルはさらに喚く。

「テオ氏、テオ氏! ちょっと待ったりしませんかぃ?! 思い詰めたらだめですよぃこれからもっといい人生が――」
「うるさい、口閉じろ。舌を噛んでも知らないぞ」
「テオ氏ってあっしに割と雑ですよねぃぃぃいいいああぁぁぁぁぁ!」

 二人を抱えたテオは、丘を飛び降りた。
はしゃぐようなウミの黄色い悲鳴と、恐怖から出るイルの悲鳴が重なり合い、一行は魔王城へと降り立っていった。

しおり