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「テオ!」
「ウミ。今日で最後の授業だったな」

 飯をたらふく食べさせられた後、仮面の彼と共に孤児院に来ていた。
師匠のへべれけはいい加減に収まっている。
師匠よりも酒を飲んでいたはずの彼は、一切ふらついた様子は見られない。どうやらお酒が強いらしい。

 そんな彼のもとにテコテコ走ってきたのは、異国の少女。
黒髪黒目の女の子。
 彼女は仮面の彼の腰元にダイブし、黒曜石の両目で彼を見上げた。

「テオ! 私、聖都に行ってみたい!」
「聖都?」
「うん! パレード、あるんだって!」

 彼女の黒目がキラッキラに輝いている。
恐らくは、もうすぐ行われる聖国のお祭り期間の事を言っているのだろうと察しが付く。
しかし彼は困った雰囲気。

「ウミ、聖都は……」
「聖女さま? 来るから今年はごうかなんだって!」

 彼女のその言葉に、彼は固まる。
何か、琴線に触れるような言葉でもあったのだろうか。
横目で師匠を伺うと、相も変わらず、何を考えているのか分からない胡散臭い笑顔。

「テオ氏は豪華なパレードってものを見たことがないですからねぃ。気になったんでしょうよぃ」

 なるほど。と、納得できるほど、純粋な訳では無い。
この、胡散臭さは一級品の師匠も、仮面の彼も、腹には何かを抱えていることくらい、察しはつく。
 そんな自分の考えでも読んだのか、師匠はふるりと首を振る。

「だめですよぃ。すべて暴くことが、いい商人というわけではないですのでねぃ」

 頷く。
言っていることは理解ができる。
そういうのは、お話の中の探偵の仕事であるということも。
自分は、それさえも飲み込んでやっていくのだと言うことも。

「テオ氏ー。聖都に行くんでしたらあっしも連れてっておくれよぃ」 
「イル、ついてくるのか?」
「パレードお祭り、と来れば商談チャンス! 人が集まるところに商人あり! ですよぃ」
「着いてくれば、ついでに護衛もゲット、ってところか。ちゃっかりしてる」
「そんなつもりは毛頭無いですよぃ! 旧知の仲じゃねぇですかテオ氏ー」

 仮面の彼に縋る師匠の姿。
思えば、拾われてから長い事共に旅をしてきた。
寝食も共にして、時には魔物に追いかけられて。
それ以外は何も教えてくれなかったけれど。
商人としての心得だって、質問攻めにしなくては一切教えてくれなかったけど。

 それでも、自分にとっては唯一の、かけがえのない師匠だった。

「師匠」

 だから、きちんと告げなくてはならない。 
師匠が旅を続けるのなら、自分は。

「自分はここに残ります」
「……ほ?」

 鳩に豆鉄砲。
ぽかんとする師匠は、その姿のまま固まっている。
自分に対して、初めて見せる胡散臭くない表情に、小さく笑みを作る。

「聖国には行きません。旅も、もう続けません」
「へ、あ、え? ゲヌト、一体何を言い出すんでぃ?」
「さっき、テオさんの話を聞いて思いました。自分はまだ、商人を語れるだけの知識も、世界も知らない」

 仮面の彼は、一体どんな表情で自分の言葉を聞いているのだろう。
きっと、微笑んでいる。そんな気がする。

「テオさん。ありがとうございます。自分は商人の集まるこの国で、商売をもっと学んで。それで……」

 師匠の顔を見る。二人の姿を両目に映す。
はっきりと、初めて言葉にする夢は、どれだけちっぽけな願いだろう。
それでも、今の自分には大きな、とても大きな夢であることに違いはない。

 宣言する。
夕日を背に立つ二人に向けて。
 
「いつか師匠を超える商人となります」

 数秒の間。
されど、長い沈黙。

「……よく言った」

 彼の一言が、静かに落ちる。
その言葉が、妙にくすぐったい。

 師匠は涙ぐんでいるのか、糸目からは察することができないが、ぐっと堪えるように天を向いている。

「テオ氏ぃ……。子供の旅立ちってのは、早いですねぃ……」
「お、そうだな」
「適当なこと言ってぇ! その内テオ氏も同じ気持ちを味わうんですよぃ!」
「それならわたしはまだ先のことだな。な、ウミ」
「ん? うん? うん!」
「本人分かってない! 分かってないですよぃ、テオ氏!」

 軽くあしらわれたことに腹を立てたように、キャンキャン吠える師匠。
仮面の彼は、そんな師匠を笑いながら、こちらに向かってきて距離を取った。

「あんまりからかわないでくださいよ。師匠、単純な所あるんですから」
「ぶふっ! イル、あいつ弟子に単純扱いされてら」

 彼のマントからは、旅人特有の外の匂いがする。
自然を染み込ませたような匂い。
自分からも、旅の匂いはするものの、どちらかといえば土の匂い。
彼からは花のような香りがした。

「……多分、もう会うことも無い気がするので聞いておきたいのですが」
「奇遇だな。わたしも、多分もうこの街には来ない気がするんだ。いいぞ、答えられるものなら答えてやろう」
「それではお言葉に甘えて。さっき、酒場で聞いた時はぐらかされてしまったその仮面って、何のために着けてるんですか?」

 困惑。
それよりは、困ったような、が正しいか。
彼は、一度、二度、唸るような声を絞り出す。
その横から師匠が、得意げに指を立てて解説を始めた。

「実はテオ氏は傾国の美貌を持っておいででねぃ。一度仮面を外すとその美貌に我を失った者たちがあっという間に争いを始めてしまいましてぃ……」
「適当言うな。顔に傷があるんだ。人を驚かせないために仮面を着けているだけだよ」

 旅をしているときから度々聞かされた、嘘か真か分からない師匠の冗談。
今回の冗談は嘘だったらしい。
彼は仮面の下で、分かりやすく呆れている。

「別に、傷くらいなら気にしなくてもよいのでは」

 現に、冒険者なる職業の人たちは、顔に傷がついている人だって珍しくない。
そう言えば、彼は、違うんだ。と言う。

「顔がぐっちゃぐちゃなんだよ」
「ぐっちゃぐちゃ」
「そう。傷付きの冒険者でさえギョッとするくらい、見れたもんじゃない顔をしてるんだ」

 なんでそんな傷がつくことになったんですか。
そう言いたいのを、ぐっと堪える。
聞いてほしくないラインというものは誰にだってあり、ここが、彼のラインだと何となく思ったから。

「……痛くはないんですか」

 代わりに話した質問に、彼が微笑んだ気がした。

「大昔の話だ。いい加減痛みはないよ」

 沈んでいく夕日に照らされた彼を、この先一生忘れることはないんだろうな、と、妙な確信を持つ。

 彼らがこの国を出る日に、大号泣をかました師匠の姿と共に、記憶に深く刻まれたから。

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