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「ちょいちょい、若者の純情を弄ぶんじゃないですよぃ、テオ氏!」
「悪い、悪い。あんまりにもいい反応するものだから、つい」
「まったくよぃ。ゲヌト、ゲヌトー? ……だめですねぃ、
顔に熱が登って、何も考えることができない。
熱に浮かされる夜のように。
酒を飲むことができたなら。酔うことができたなら。
きっとこんな感じなのだろう。
「どうしますかぃ? テオ氏がこうしたんですから責任取れくださいねぃ」
「仕方ないな……。おい、ゲヌト。これを飲め」
彼に促されるまま、手渡された小瓶の液を飲む。
「?!?!!」
瞬間、脳に駆け巡る危険信号。
舌を通して、眼球に痺れが走る。
鼻にツン、と走り抜ける苦味。
命の危機を感じた。
「ゲホッ! うえ、ゲェっ」
思わず吐き戻す。
いつの間にか差し出されていた空の皿に、それをすべてぶちまけた
吐き出してもなおも止まらない咳に、差し出された水を飲む。
ようやく落ち着いた頃に、彼の仮面を見上げる。
恐らく自分は、恨めしそうな顔をしていることだろう。
「いきなりなんてものを飲ませるんですか!」
「悪い悪い。現実に戻ってこれなかったようだったからな」
然程悪いと思っていなさそうな声で、あっけらかんと言われると、毒気が抜ける。
まだ舌に違和感がある。
「……これ、結局なんなんですか」
「気付け薬」
「気付け薬? 嘘でしょう? 毒か何かと思いましたよ」
「ああ、毒だよ」
さらりと言われた衝撃の事実に、目が点になる。
衝撃を受けるというよりも、処理しきれない出来事に固まっているという方が正しいか。
やがて、脳がその事実を理解する。
思わず立ち上がる。
「痛っ!」
弾みで椅子に膝をぶち当て、痛みに
「慌てすぎですよぃ」
蹲る自分を見下ろす師匠に僅かながらも殺意を抱く。
その後ろで爆笑している仮面の彼が、さらに恨めしい。
「安心しろ。気付け薬で人は死なない」
「体が危険信号鳴らしまくってたんですけど!」
「まあ、死なないとは言っても毒だしな」
「殺す気ですか! 師匠もなんで黙ってるんですか!」
師匠を見れば、飛び火した! と言わんばかりの顔でこちらを見ていた。
頬をかいている。
「いやぁ、だって、ねぃ? テオ氏が薬の扱いを間違えることなんて無いでしょうしねぃ?」
「お、信頼感謝」
何処かで聞いたことのあるフレーズで、何処かで見たことのある信頼感を目の当たりにしたところで、自分が毒を飲まされた事実は変わっていない。
「ゲヌト。さっきから毒だ毒だと言っているが、ならば毒は何だと思う」
「え、そりゃぁ……。人を害す、体に悪いものは
「そうだな。それなら、薬と毒は同じものだってことは知っているか?」
「……いや、流石に毒と薬は違うでしょう?」
半笑いで否定する自分に、彼は真面目くさった声で言う。
「いいや。同じだよ」
例えば。と指さされたのは気つけ薬の入っていた入れ物。
「それと同じ成分で、全部を等しく薄めると、胃もたれの薬になる」
他にも、言わずとしれた毒草が、実は傷薬になることとか。
熱冷ましで飲んでいた薬は、とある成分を多くしてしまうと、クマさえ殺せる猛毒になることとか。
「だから、薬師が薬を売るときは、これ以上無いくらいに真剣になるんだ。ある人にとっては薬でも、別の誰かには毒になることだってあるからな」
「テオ氏は流れですけど、立派な腕の薬師ですぜぃ」
「よせよ照れる」
照れてもいなさそうなノールック返事を返した彼は、じっとこちらを見据える。
「ゲヌトは、将来どうしたいんだ」
「将来」
「わたしは薬師で生計を立てている。イルも同じだ。商人として食い扶持を稼いでいる。だが、ゲヌトはいつまでも子供じゃない。どうしたって、別れが来てしまう」
その後は、どうやって生きていこうと思っている?
問いかけられて、言葉に詰まる。
あまり考えたこともなかった。
今まで通り、師匠について、その先々で商品を仕入れて売って……。
それをずっと繰り返していくだけだと思っていたから。
ただ、それでも。
「……商人には、なりたいと思います。でも、今まで通りに師匠について行く以外のイメージは湧かなくて」
「そうか。どういう商人になりたいかは思い浮かばないんだな」
「はい。……あの。テオさんは、どうして薬師に」
彼は唸った。
まるで今、理由を探しているかのようだ。
長い時にも思える沈黙のあと、やがて彼は、理由をひとつ、絞り出す。
「向いていたっていうのは、もちろんある。だが、それ以前に、わたしには選択肢がなかった」
「選択肢、ですか?」
「そうだ」
こちらを見ているようで、見ていない。
仮面越しに、どこか遠くを眺めているような。
「わたしにも師がいた。彼女に叩き込まれ、残していった生きる術が、これだったというだけだ」
言葉にして、たった数秒の成り立ちに、どれだけの思いが籠もっているのだろう。
「もし、選べたのなら、今頃何をしていたと思いますか」
あまりにも無粋な質問。
しかし彼は、小さな笑い声を上げ、穏やかな声色で返答した。
「……そうだな。イメージはまったく沸かないが……。教師でもしていたら、面白いと思わないか?」
「教えることが壊滅的なテオ氏が教師とか、天地がひっくり返ることの方がまだ想像つきますぜぃ」
「言ってろ」
言葉でじゃれ合う二人を見ていると、きっと昔からこんな感じの空気感でいられたのだろうと、想像できてしまう。
薬師には見えない怪しげな仮面の彼と、商人ではあるが、糸目と笑顔が胡散臭い師匠。
お似合いと言えばお似合いの二人である。
「どうして師匠は商人を続けていられるんですか」
「そりゃあ、才能ですねぃ。流行を嗅ぎ分けて、目利きで確かな商品を仕入れて、確かに売るだけの才能が……」
「胡散臭い顔なのにどうやって商人続けているかって聞きたかったんじゃないのか」
「あれ? あっし喧嘩売られました?」
おぉん? 緩く凄む師匠を無視し、仮面の彼に向き合う。
多分、彼の方がちゃんと答えてくれると思うから。
根拠も何も無い、ただの勘だけど。
「……立派な商人になるためには、何が必要だと思いますか」
「そうだな……。数字に明るいこととか、人当たりとか、人を見る目とか、数えれば色々あるが……」
一つ指を立てた彼の瞳が仮面越しに見えた。
それは穏やかな光を灯し、緩く弧を描いている。
「見聞を広げなさい。それはいつか、自分の武器になる」
「今でも、師匠からは知識を教わっています。それじゃあ、足りませんか」
「……分からない、と答えるしかない。イルの教え方で
それを知るためには、自分自身で道を選んで進んでいくしかない。
彼はそう言った。
「自分で道を……」
「難しいか?」
「はい。とても」
「それはまだ、イルの元で旅を続ける、一つの道しか見えていないから難しく感じるんだろうな」
「他の道を選ぶには、どうしたら」
「そうだな……」
彼は天井を見上げる。
そこに答えがあるように感じ、自分も一緒に見上げていた。
「世界を知るのが一番じゃないか」
「世界を」
世界を。
その言葉はなぜかストンと胸に落ち、いつまでも残っているように感じた。