萌葱の意気地編 7
油断していた。
まさか勇者自らがこんなに早く最前線に来るなんて。
こちらの戦力は中・上級の魔族たちがそろって温存状態だし、相手だって60万近くの兵が残っている。
そんな状況で最前線に乗り込んでくるとは、勇者はよっぽど馬鹿なのか?
または本当に勇気ある戦士なのか?
はたまた昨日裏取引した敵の大隊長たちが王子を討ちとろうと意気込む勇者を抑えきれなかったり、裏取引の件がばれていたとか?
いや、どれも違うな。
捕虜になった敵の元大隊長たちの話によると、“勇者”とはただの肩書きであり、西の国で最も強い者が王族から与えられる称号とのことだ。
最低限の良心や社会常識は必要とされるものの、仁・知・勇の全てを兼ね備える聖人である必要はないらしい。
ならこのタイミングで勇者がしゃしゃり出る理由は――?
蟻のごとく死んでいく兵士たちに同情したわけでもなく、自身の好戦的欲求を制することが出来なくなったわけでもなく――完全に王子の命を狙っての出撃だ。
こっちの戦力だって向こうに伝わっているはずなのに、それでも王子を討ちとれるという確信を得た上でのな。
よほど腕に自信があるということだ。
「くっそ……!」
目の前に迫りくる魔獣に幻惑魔法をかけながら、俺は悔しい感情を吐き捨てる。
ちなみに知能の低い“魔獣”という生物は地球でいう“野生動物”のようなものである。
したがって魔獣は本能で生きる分、その欲求を促すような内容の幻を見せておけばいい。
食欲、睡眠欲、性欲。
これら三大欲求のうち、手っ取り早く幻を創造できるのは食欲だ。
なので俺はライオンやトラの変形バージョンのような生き物たちに向けて魔力を放ち、“自分の背中に乗っている人間はとても美味しい食料だから、絶対に食べろ”という命令にも似た幻を魔獣たちの脳に送り込んだ。
食欲は動物の本能だ。
しかもどっかで聞いた話なんだけど、地球の野生動物は人間を一度食べたらその後何度も襲う、または腹が満たされたら他者を襲わないものらしい。
どちらにせよ背中に乗っている騎手を食わせれば、その後統制のとれなくなった魔獣たちは適当にそこら辺をうろうろするなり、住処を求めて果ての森へと入るなり、好きにするだろう。
魔獣たちの危険性は大幅に下がるというわけだ。
まぁ、目の前で交尾を始められても困るし、魔獣たちを眠らせたところで俺が王子たちのところへ戻れば幻惑魔法の有効範囲から外れてしまうからな。
ここは“食欲”を促すような幻でいいだろう。
んで、そんな獣騎兵部隊のことはどうでもいいんだって!
「タカーシ様? 一度王子のところへ戻りますよ!」
「はい!」
「敵陣を突っ切るぞ。タカーシ? ついてこい!」
「はい!」
俺が獣騎兵部隊に幻惑魔法をかけその効果に満足していると、アルメさんが叫び、我に返った俺は走り出す。とほぼ同時にバーダー教官が指示を出してきたため、俺はバーダー教官の後へと続いた。
味方の陣から離れて行動していた俺たちと味方との間には400人ほどの敵兵がいたが、そんなもんはバーダー教官の敵ではない。
戦車のごとく進むバーダー教官から目にもとまらぬほどの攻撃が周囲に飛び散り、俺とアルメさんはほとんど走るだけで味方の陣の中に戻ることが出来た。
「ドドド……! ド、ドルトム君ッ! ゆ、勇者が! ゆゆゆ……勇者の軍旗がァ!」
俺はドルトム君かッ!
――落ち着け、俺。
「うん。分かってるよ。今、迎撃策を練ってるから」
――え?
何言ってんの……?
勇者相手に下級魔族だけの軍で立ち向かうつもり?
いやいやいやいや!
無理だって!
ドルトム君だって気づいているだろ?
とんでもねぇ魔力を持った奴が迫ってるんだ。
この戦場で……まだ1キロぐらい離れているのに、空気を伝ってビンビン感じるこの魔力。まじでヤバいって!
バーダー教官より、アルメさんより、そしてフォルカーさんよりヤバい魔力なんだって!
逃げよ!? さっさと逃げよ!?
さっさと逃げて、ここは上級魔族たちに任せ……あっ……。
俺たち、めっちゃいいペースで進軍してたから、今現在、ラハト将軍たちがいる前線基地から10キロ以上離れてるんだっけ……。
これ、無理して逃げようとしたら、それこそ背後から追撃されるパターンじゃね?
「ド、ドルトム君?」
「なに?」
「もしかしてなんだけど……逃げるのって……無理?」
「うん。そだね。背中を見せたら一気に蹂躙されるね」
そうだよね。それぐらいは戦いにうとい俺でも分かるぞ。
「さっき第2陣と第3陣に増援要請出したけど、多分間に合わないよ。だから僕たちで応戦しないと……でしょ? タカーシ君?」
気づきたくない事実をドルトム君から押し付けられ、俺はがっくりと膝を落とす。
しかし、そんな俺にドルトム君が追撃を放った。
「最悪ここにいるみんなのうち誰か1人でも生き残ったら、昨日の夜にタカーシ君が言っていた未来の話を実行に移すこと。
あと、各種族の戦いぶりもエールディの上層部にちゃんと伝えること。
生き残った魔族はそれだけしっかりやり遂げようってみんな確認していたところだよ」
なんだその覚悟!? そんじょそこらの武士なんかよりあっさり死ぬ用意してんじゃねーよ。
怖いわ。
「だからタカーシ君も。もし生き残ったら頑張って。ね?」
「……うん」
「うん!」
そういうことになった。
じゃなくて! おい! マジか? マジで勇者と戦うんか?
どうやって? あんな強い魔力を持つ奴にどうやって立ち向かうんだよ!
しかも勇者だけじゃねーぞ! 勇者の周りにもバーダー教官クラスの猛者がうじゃうじゃいるんだぞ!?
そんなんこのメンバーでどうこう出来るわけねーじゃん!
「あわわ……あわわわわ……1」
しかし俺がいまだ心定まらない感じでおろおろしていると、それを無視するようにドルトム君が振り返り、フォルカーさんや王子たちに指示を出し始めた。
しかもさ。その内容もおかしいんだ。
「勇者の側近の相手はアルメさんと教官、あとフライブ君と僕でいこう。側近たちの総戦力の方が強いからなんとか頑張って。うまくごまかしながら勇者から離れさせる役目だ。
教官は側近のうち1番強そうな奴を相手して。多分互角ぐらいだから無理せず時間だけ稼いで」
「おう」
「そしてアルメさんとフライブ君は連携して2番目に強い奴とそれ以下の奴らを順番に始末していく役目。
でも勇者に近づこうとするやつには優先的に対処しつつ、あと教官が危なくなったらそっちも援護する役目で。
複雑だから僕が一緒に行動するね」
「えぇ」
「わかったよー!」
ドルトム君の指示に各々が異論を吐くことなく同意する。
んでここまではいい。
勇者には攻撃力最強の王子と、将軍級のフォルカーさんを充てるんだろうと思っていたけど、ちょっと違ったわ。
つーかそっから先がおかしいんだ。
「そして勇者には王子とフォルカーさん。あと“タカーシ君”も。ね?」
なんで俺がそっちやねん!
つーかヘルちゃんとガルト君は? あの2人なら上手いコンビネーションでフォルカーさんの力にな……
「ヘルちゃんとガルト君はこの混乱に乗じて敵陣に分散している中隊長を始末する役ね。
もしもの時こちらが全軍撤退することになっても、勇者のいる大隊の中隊長を始末しておけば追撃の足が鈍るから。
でも間違っても側近っぽい大隊長には手を出さないで。いい?」
「ほいな!」
「命に代えても!」
こういうことになっちゃった!
――じゃなくておい!
「え? あ? え? うそ?」
しかし、誰も俺の戸惑いには気づかない。
作戦会議が早々と終わり、一方で勇者率いる敵主力軍がこちら第1陣の最前線とぶつかりそうになっていた。
「急に突入の角度を変えた? 左から突入してうちらの背後に回るつもりかな?
でも回り込まれたら退路もなくなっちゃうし……じゃあこっちは……」
ドルトム君が敵軍の動きを観察しながらブツブツとつぶやき、少し後には自軍への指示を旗によって伝える。
しかしながら敵の主力はなだれ込む速度そのままにこちらの左翼を突破し、反転しながら中央を陣取っていた俺たち第一軍本陣の背後に襲いかかった。
対応するためこちらも反時計回りに陣形を回転させたが、結局回り込まれてしまったんだ。
しかもここでフォルカーさんが予期せぬことを口にした。
「ドルトム君? ここは全軍撤退だ。僕が囮になるからなんとか敵陣を突破して果ての森まで逃げるんだ。
敵が強すぎる。距離が近くなって分かったけど、この強さ……僕でも周囲の部下だけで精いっぱいだよ。
しかも勇者なんてバレン将軍とラハト将軍、加えて2軍の幹部たちが全員束になって応戦しないといけないぐらいだ。
撤退だ。全員ここで仲良く死ぬよりそれがいい」
もう遅ぇってば!
ほら、敵軍がこっちの背後を攻め始めて――うわ! もうすぐ勇者がここに来るゥ!
「ふーう。お前たちがこの軍の主力だな? それで……ほう。やはりユニコーンがいる。毛並みもあのクソジジイにそっくりだ。
それじゃ、この手柄は俺がもらうとするか」
俺たちの前に勇者が現れ、遅れて勇者の側近と思われる人間たちも次々と現れる。
そんな最悪の状況が始まった。