萌葱の意気地編 1
前哨戦から2日後。
バレン軍とラハト軍、そして敵対する人間の大軍の本隊が到着するのを待ち、戦いの火ぶたが切られた。
しかしながら俺の所属する小隊は前線で奮闘するどころか、その背後に待機する中級魔族の第2陣、そして最後尾に列をなす上級魔族の第3陣にすら加わっていない。
そりゃそうだ。
俺たちは後方支援的な役割を担う荷車部隊。
一昨日わけのわからん流れで先遣隊による前哨戦に加入することになったけど、本来は荷物を運ぶために駆り出された子供だらけの部隊だからな。
前線に行く必要はないんだ。
しかもさ。
現国王の跡継ぎが戦線加入し、他にもバレン将軍やバーダー教官、そしてアルメさんまで動いた前哨戦の噂はさっそく味方の各軍を駆け回り、ついでに俺たちのことも知れ渡ることとなったけど、その働きに対する褒美という意味でも俺たちには後方待機が命じられ、むしろ昨日の荷車運搬業務すらしなくていいといわれている。
なので遠くで激しい戦いが始まった今も、俺たちはバレン軍の本陣が敷かれた大きな岩山の中腹辺りでそれをのんびり観戦しているだけだ。
「もぐもぐ……おっ、始まったね……もぐもぐ」
岩の上でけだるそうにうつ伏せで横たわる俺のちょい後ろ、フライブ君がどこからともなく入手した果物を食べながら言った。
なので俺もその流れに乗ることにする。
「そうだね。でもさぁ……やっぱり第1陣ってみんな好き勝手に突撃するのかな……?」
「ふふっ! なに? もしかしてタカーシもあそこに混ざりたいとか思っているんですの? もし血が騒いだならいつでも言いなさいな。私も付き合いますわよ?」
「いや、もうこりごりだよ。せっかくバレン将軍が僕たちを軍務から解放してくれたんだ。前哨戦で十分仕事したんだから、あとはゆっくり過ごそうよ」
「またまたぁ! “共食いのヴァンパイア”ともあろう者がなにを言っておらっしゃいますの!」
「その名で僕を呼ぶなぁ!」
ちなみに昨日今日の間に俺のおかしな噂も広まって、その噂の広がりと同時に俺の二つ名まで決まっちゃったらしいんだ。
“共食いのヴァンパイア”って。
名前の由来は俺が幻惑魔法で人間たちに同志討ちをさせたこと。
でもさぁ。“共食いのヴァンパイア”っていうと、なんか俺がヴァンパイアを捕食しているみたいじゃん?
すっげぇ誤解だし、すっげぇだせぇし、つーか二つ名って文化自体が恥ずかしくて嫌なんだけど。
でも新進気鋭の将軍候補と名高いフォルカーさん。あとその息子として十分な働きをしたフライブ君。
ドルトム君も含めその他メンバーまで前哨戦でそれなりに活躍したから俺のあの過ちも隠しきれず、みんなの噂と一緒に広まっちまったんだ。
というか噂の出所はあの時あの場所にいたメンバーのはずだから、間違いなく俺の身近な魔族のはずなんだよなぁ。
俺としてはあれ以来事あるごとに俺のことを二つ名でからかうヘルちゃん辺りが怪しい。
うん、なんかむかつくから仕返ししよう。
「えい!」
そう決意した俺は短い掛け声とともに、左足を勢いよく上にあげた。
ヘルちゃんがさ、「私、硬い所に座るとお尻が痛くなるから嫌なの」とかいって、うつぶせにぐったりしていた俺の左ふくらはぎの上に座ってやがったんだ。
だからヴァンパイアの筋力で左足を思いっきり上に振り上げれば、ヘルちゃんが体ごと飛び跳ねて、なんだったら俺たちの目の前に広がる断崖絶壁からまっさかさまに落ちちゃえとか思ったんだ。
だけど相手は相手で生まれながらに浮遊術を会得している羽付きの妖精さんだ。
一瞬だけ「きゃっ!」って声を上げて驚いたけど、すぐに背中の羽を動かして自分の体を制御、何もなかったかのように俺のふくらはぎに再び着陸しやがった。
「何するんですの! びっくりするじゃない!」
そして俺の太もものあたりに鈍器で殴られたような激痛。これはもちろん魔法のステッキによる打撃な。
このガキ、人のことを座布団代わりにしておいて……。
「ぐぅうぅ……」
しかし、太ももの痛みに襲われた俺はさらなる反撃を諦めることにした。
先に暴言を吐いたのはヘルちゃんなのに、俺が正義の名のもとに反撃を続けると、多分この子もこの子で延々と仕返ししてくると思う。
うん、俺は大人だからここは引いてやろう。
じゃあ気分転換にドルトム君に話しかけようかな。
「ドルトム君? あれ、どう思う?」
俺は頭だけ振り返り、フライブ君の横で王子に背中を預けてくつろいでいるドルトム君に話しかけた。
つーかさ、ドルトム君もおかしいんだけどさ。
馬のように横たわっている王子のわき腹のあたりに座って、王子をソファーの背もたれ代わりにしてるんだ。
しかもその横にはガルト君まで似たような態勢でくつろいでいるし。
昨夜抱き枕がわりに王子の首のあたりにしがみついて寝ていた俺が言うのもなんだけど、みんなして王子の扱い方雑すぎねぇか……?
「あ、あれって……な、なにが……?」
「第1陣の戦い方のこと。みんな好き放題に突撃してるけどさ。さすがに無謀じゃないかなって……?」
「う、うん。そ、そだね……こ……今回は……に、人間のそ……装備がいいし……種族ごとにかた、固まって……ただ突っ込むだ、だけじゃ……く、苦戦するかも……」
「だよね? でもドルトム君、昨日バーダー教官にいろいろお話してたよね? あれ、どうなったって?」
「ん? あぁ、あれね……きょうか、教官が下級魔、魔族の長た……ちに伝えてくれ、くれたっぽい……けど、け、結局、か……下級魔族、は、今まで通りに……た戦うって」
「そう」
馬鹿な奴らだ。せっかくドルトム君が前哨戦で得た情報を流してくれたってのに。
そんなんだから第1陣のやつらはいつまでたっても下級のままなんだって。
まぁ、ドルトム君のアドバイスを聞かないような輩は痛い目みればいいだろう。
しかしそれが“痛い目を見る”程度で収まればいい。
ここからはるか遠くで始まっている戦場の向こう側には、地平線の向こうまで砂漠を埋め尽くす人間たち。
昨日今日で敵も続々と戦地に到着し、結局110万を超す軍勢が押し寄せたそうだ。
そんな数の敵を相手に従来通りの戦い方をしていたら、味方第1陣の被害は文字通り“痛恨の極み”になりかねない。
しかも勇者のいる本陣はそんな敵軍の最後尾で、ここからは確認できないぐらいにはるか遠く、黒地に白虎の紋章を印した大きな旗の下にいるとのこと。
だけどそんな旗はここからは確認できない。
“勇者”なのに前線に来ることなく、奥に隠れてるあたりが納得できないけど、この世界の勇者はそういうものらしいから納得する以外に仕方ないのだろう。
んで今現在、我が軍の第1陣およそ3万3000にも達する軍とぶつかっている敵軍はやはり過去に見たことのないクオリティの装備をしており、あの装備はこちらでも話題になっていた。
でもその装備に対する自軍第1陣の警戒はさほど高くなく、先に言った通りバーダー教官を通して伝えられたドルトム君の敵戦力分析報告は下級魔族の種族長たちに重く受け止められることはなかった。
そしてこの会話だ。
「戦況は思わしくないようじゃな」
「そ、そだね。どうも……敵陣の密集陣形が……」
俺の後ろでくつろぎながらも長い角を戦地に向け、戦場の魔力の様子を観察していた王子が口を開き、ドルトム君がそれに同意する。
どうやらこの2体は思った以上に気が合うらしく、あれ以来は仲よしこよしっぷりをこれ見よがしに見せつけてくる。
流石の俺もドルトム君を奪われた悲しみがそろそろ心の中で溢れ、胸がはじけそ――じゃなくて……。
俺は前線の魔力をぼんやりとしか把握できないけど、俺以上に魔力感度のよさそうなこの2体は結構詳細に戦いの様子を認識できるらしい。
「へぇ。やっぱり? でも僕にはよくわかんないや」
「そうでしょうとも。タカーシ様はお生まれになったばかりなのでまだ魔力感覚が成長途中なのです。
しかしながらタカーシ様は高貴なご種族。もう数年もすれば魔力感度も十分に育つかと」
少し悲しそうに王子とドルトム君の会話に割って入った俺に、ガルト君が即座にフォローをしてくれた。
このガキ、一昨日俺の顔面に人間の生首押しつけときながら、やっぱり普段は気を遣えるとてもいいやつなんだよな。あの恨みは一生忘れる気はねぇけどさ。
あと俺のことを高貴な種族と認識する前に、お前がソファー代わりに座っているそのユニコーンの立場も自分に問いかけろ。
お前、本当は身分制度とか軽く見てんだろ?
いや、それでも普段から気配りができる子だからいいんだけど――いや、そういう話もどうでもよくて、なになに? ガルト君よ?
その言い方じゃ、もしかして今戦場の様子が分かってないのって俺だけか?
「そうかぁ……いいなぁ。僕たちオオカミ族は耳と鼻がいいけど、魔力の感覚は鈍いからぜっんぜん分からないよ」
「あれ? フライブ君もあっちの戦いよくわからないの?」
「うん。砂煙でよく見えないし、音だって叫び声がまとまって聞こえてくるだけだし……」
ほう。俺と一緒か。
と俺がフライブ君との仲間意識を感じて安どしていると、王子が余計なセリフを挟んできた。
「じゃあフライブも角を生やせばよかろう。たまに寝ているときにベッドの枕元の壁に刺さることがあって、そのせいで悪夢を見たり首を寝違えたりするけど、それ以外は結構便利じゃぞ?」
こ、これは……? 王子、一応ボケてんのかな?
「うーん。僕も長い角が欲しいぃ」
いや、フライブ君が王子の角をうらやましそうに見つめながら、本気で唸っている。
どうやらツッコミを入れる流れではないらしい。
そもそも本来これが子供同士の会話で、そこにボケとツッコミの概念を持ち込むことが野暮ってもんなんだよな。
一昨日のこの子たちの活躍っぷりを見たばっかだから“子供”に対する俺の認識がずれてしまったようだ。
気をつけよう。
でも俺には戦場の様子が分からないから、ここは子供離れしたドルトム君の能力に甘えておくとするか。
「ドルトム君?」
「ん? な、なに……?」
「ごめん。戦況教えて?」
「う……うん」
しかし、おとなしそうな返事の後にすぅーっと大きく息を吸ったドルトム君の姿に、俺は自身の犯した小さなミスに気づく。
「敵は10万単位の連隊にそれぞれ2万の大隊編成で、その中には重装・軽装の歩兵部隊。同じく重装・軽装の獣騎兵部隊。軽装重騎兵には遊撃の役割も持たせて、機動部隊と連携させる部隊。それらを大隊単位で編成させているね。
あと後方に弓兵、魔法部隊。それとなんでかわかんないけど攻城戦用の大型兵器もそれぞれの大隊に用意している。
それで、やっぱり各大隊の前列に配置された重装歩兵がなかなか強いっぽい。機動力の高い獣人たちの突撃が強固な守備陣形のせいで勢いを止められているんだ。
その獣人たちが敵陣を崩せないから、後に続く小・中型魔族が戦線のあたりで順番待ちになっちゃって、一番足の遅いおっきな体の種族まで前に進められなくなっている。
その大型の魔族が敵第1陣の後方に位置する遠距離攻撃部隊の的になっているし、あと、たまに大隊陣形の両脇の崖から降りてくる獣騎兵がなかなか邪魔だね。
突進力をなくしたこちらの獣人たちの密集地帯に乱入して中をかき乱している。
というか敵が陣形を構えた地形がやっかいだね」
はいはいはいはい!
ちょっとストップ!
だから急にキャラ変えんなって! あと、やっぱドルトム君の説明が難し過ぎるって!
いや、質問したのは俺だし、その内容も戦術的な意見を求めるものだから、ドルトム君のキャラスイッチを変えさせたのは俺だけども!
そんな……いや、本当にそのキャラのドルトム君苦手だからやめて……。
「や、やっかい? どこが?」
「うん。見て。敵は高い砂の丘に挟まれた溝の底の部分にわざわざ布陣したでしょ?」
「は、はぁ」
ここで俺は、戦いの砂塵が空高く巻き上がる前の戦場の光景を思い出す。
敵は俺たちが今いる岩山から地平線の向こうまで縦に伸びた2つの砂丘の間にひしめくように布陣していた。
分かり易く言うと、うーん。そだな。幅1キロメートルほどの半チューブ状の土地――スノーボードにハーフパイプって競技があるけど、あれを幅1キロに広げたような地形の底にわざわざ布陣して、そこを通るようにこちらに進軍している。
俺は戦い方なんて詳しくないが、こういう中世的な戦争って位置の高い場所から攻めた方が有利だと思う。
人間たちからすれば、両サイドは砂の坂。そんな不利になりそうな場所をわざわざ選んでこちらに進んできているんだ。
でもドルトム君曰く、これも敵の作戦だとのこと。
なんでも比較的統一された体型の人間たちと違い、こちら魔族側は大小さまざまな体格の兵がいる。
だから人間たちはあえてハーフパイプの底に入ることで、相対的に左右の土地を高くしたんだ。
んで我々魔族側の部隊が両脇から人間たちの陣に攻撃を仕掛けようとした場合。
普通は高い土地から坂を下る勢いを利用した方がいいんだけど、人間より小さな魔族を相手にする場合、ただでさえ小さな敵が自分より低い位置にいると、人間たちは足元を狙われやすくなる。もちろん足をやられれば機動力を失い、兵士個人の戦闘力は著しく低下する。
それよりは小さい魔族を高い方から攻めさせることで、人間の盾や武器が小さな魔族のそれと同じ高さになるように仕向ける。
訓練された人間の兵士にはその方が戦いやすいとのことだ。
また、体の大きな魔族は逆に坂の下側にいる人間にとって足元を狙いやすくなる。
巨体の魔族からしたら、小さい人間たちがちょこまかと足元を動き回るんだ。厄介な戦法だろうな。
そんな感じで人間たちは左右からの攻撃に対応し、前線はもちろん重厚な鎧で身を覆った兵士たちが固めている。
たまに魔族側の兵が陣の深くまで侵入しても、人間側の獣騎兵が魔族の速度で魔族軍の背後を取り、挟み撃ちにする。
今のところ、これがなかなか有効な策として機能しているらしい。
といってもこれは下級魔族だけに有効な作戦だ。
自軍の第2陣を受け持つ中級魔族、そして俺たちがいる岩山を拠点にしている上級魔族。これらが戦線加入したらそんなこざかしい戦法じゃ耐えきれないだろう。
でも相手がとてつもない数の大軍ということも忘れてはいけない。
命の消耗戦ともいえるこの戦いでは、人間たち1人1人の命なんて虫けら以下だ。
そういうのも考慮しつつの作戦の中で、それでも戦闘力の低い人間たちが少しでも戦いやすいようにと考えられた作戦なんだ。
つーか人間たちの士気もすげぇんだけどな。
殺されるとわかっていてもひるむどころか、続々と魔族に戦いを挑んでいるらしい。
目の前にいる魔族がほんの数秒前まで何百という人間を殺し、そいつが今まさに自分の目の前に来て、すでに殺した人間たちとなんら変わらぬ扱いで自分のことも殺そうとしている。
そこで立ち向かおうとする勇気は俺にはない。こんなんどう考えたって逃げ出すだろ?
でも、やつらはそれに立ち向かっている。
自分だけは殺されない。または自分に限ってはこの魔族を討ちとることができるかも。
そんな期待はどう考えても持てない強敵に対し、死を覚悟して……たった1体で数十、数百の味方を殺したであろう相手に、さらに1人分追加の手柄を与える。
自分の命の価値はその程度で、そんな風に人生を終える可能性がほぼ100パーセントの状況なのに、それでも立ち向かっていく。
なんかさ。ここまでくるとさすがに見事だわ。
この士気、もしかすると統率された屈強な軍隊を持つという東の国より上なんじゃねぇの?
「あら。味方が敵第1陣の大隊を突破したようですわね。でもこちらもすごい被害……」
ドルトム君の解説を受けながら頭の中で命の重さを再確認していると、戦闘開始から30分ほどたったところでヘルちゃんがつぶやいた。
ついでにガルト君も。
「えぇ。味方の魔力の消耗が激しいですし、魔力の発生源の数もかなり減っていますね。
おっ、味方の勝鬨(かちどき)が聞こえてきました。やはり敵第1陣を無事突破した模様です。
でもこのままでは……」
「えぇ。どこまでいけるか……?」
ヘルちゃんが短い会話の最後にため息まじりで呟き、少し遅れてはるか遠くから小さな勝利を喜ぶ味方の歓声が聞こえてきた。
これは110万を超える敵軍のうち、2万の大隊を1つ撃破しただけ。
わずか30分ほどで2万の部隊が壊滅したという人間側の残酷な状況も無視できるわけじゃないけど、結局、人間たちの士気の高さと地形の不利を逆利用した作戦により、こっちの兵もかなりの被害を出したようだ。
うーん。戦争というものを改めて観察してみると、いろいろと重いな。
これが戦争か。
まぁ、俺の手もすでに人間の血で穢れてはいるけどな。
でも今回の戦争は俺たちにこれ以上の出番はない。これが唯一の救いかな。
人間の命だとか、魔族の命だとか。
そういう小難しいことはこの戦いが終わってから考えようとするか。
「あれ? あっちから近づいてくる集団、ラハト将軍と幹部たちじゃないかな?」
その時、フライブ君がそう言ったので頭を上げてみると、ここから500メートルほど離れたところにある砂の山に布陣していたラハト軍の本陣からピリピリした魔力を垂れ流すやくざのような怖い集団がこちらに向かって歩いてきていた。
「タカーシ様? バレン将軍がお呼びです。王子と他の子たちも」
あとさ、そのタイミングでバレン軍の本陣車両にいたアルメさんが俺たちを呼びに来たんだけど。
いやーな予感がしてきたぞ。