勇者の矜持
勇者は、人間界なら誰もが憧れる存在であり、故に彼女は勇者を目指した。
勇者が魔王を倒すおとぎ話は人間界なら子供のころ、誰もが触れる物語であり、魔王が勇者に倒されるのを子供ながら残酷とは思わず当たり前として育ってきた。
だから、やはり彼女は目の前の魔王を何としても倒したかった。想像以上のバケモノなのは一度氷漬けにされたので分かっている。が、勇者を名乗る以上は。魔王の命を狙わずにはいられない。存在意義というやつだ。魔王を倒す必要がないということは勇者も必要がないということであり、それは受け入れがたく、天使に間に入られても魔王への殺意は消えなかった。これで最後だという気負いもあった。なにより、目の前で大勢の光の神殿の兵が氷漬けになるのを傍観してしまったままでいいのかと勇者として自問自答して、このランスを手に魔王を追ってきたのだ。
「お前が、天使だと? 証拠は?」
間に割り込んできた相手を誰何する。
「この輪、見えませんか?」
一応、天使の輪っかはまだ浮いていたが、その背に天使の翼はなく、天使の武器の弓も折られて失っていた。
頭に輪っかが浮かんでいる以外、天使としての特徴は残っていなかった。光の神殿の兵士たちも翼のない天使を魔王の仲間と誤解するぐらい神々しさが欠落して見えていた。
「天使ならば、なぜ、邪魔をする、そいつは魔王だぞ」
「天使が殺戮好きだと誰か言いましたか。たとえ魔王とはいえ、意味もなく命を散らしていいわけありません」
「魔王を生かしておくわけには」
「それです、魔王が生きていてもそれは魔界の話、人間界には何の関係もないかと。何のために神が人間界と魔界を分けたか、まさか、人間界と魔界で殺し合うためだと? 醜く姿が相容れない者同士、別々にすることで、互いに際限なく殺し合うのを避けるためだったと天使の私は考えます」
邪神様の天界からの追放はついでで、神々の真意は住み分けだったと天使は考えたようだ。その方が合理的だし、理に適っていると思った。だが、天使がそう思っても、これで最後だと勇者は覚悟を決めて、魔王を追いかけてきた。いまさら、魔王を前に勇者が、「はい、そうですか」と剣を引くことはできない。ここで引いたら、自分はもう勇者を名乗れないような気がしていた。魔王に殺されるのなら勇者として本望と心の片隅にあったのかもしれない。天使の仲裁を無視するように勇者が、その天使もろとも俺を斬ろうとした。が、勇者の馬の後を遅れて追ってきた女戦士が鞘をつけたまま剣を振り上げ、後ろから勇者を殴った。天使もろとも斬ろうとしたので、咄嗟に勇者を気絶させることにしたのだ。
「だ、大丈夫ですか、天使様」
頭に血が上っていた勇者と違い遅れてきた女戦士には、その輪がしっかり本物に見えていた。さらに遅れて、賢者と魔導師が現れて、気絶している勇者にびっくりするが、女戦士は、
「このバカ、縛るの手伝って」
と、勇者を縛るのを仲間に手伝ってもらった。目が覚めて、再び、天使を斬ろうとしないようにするためだ。
縛り上げられた勇者を囲み、天使が地上に来て魔王の俺と同行している経緯を賢者たちに説明した。説明し終わる頃に勇者が眼を覚ました。
「お、なんだこれは、く、魔王、貴様!」
勇者が縛られながら騒ぎ出したので女戦士がコンコンと軽く勇者の頭を叩く。
「そうやって騒ぐと思ったから、縛ったんだけど」
「なっ・・・」
「あんた、光の神の聖剣で天使様を斬ろうとしたんだよ、どういうことか分かってる?」
「て、天使だと、あ、あんな偽者!」
「偽物じゃなく、本物ですけど」
まだ勇者に疑われている翼のない天使が呆れるようにため息をついた。
「悪い、魔王、今夜は、このバカ私たちが連れて行くんで、これで勘弁してくれないか?」
「申し訳ありません、魔王様」
「本当、うちの猪突猛進バカ勇者のせいで天使様にもご迷惑おかけして、すみません」
女戦士、賢者、魔導師が、それぞれ謝意を口にする。
そうして、ふてくされる勇者を連れて、賢者たちは去って行った。
「生かして帰してよかったのですか。あの者、またこりもせず魔王様を狙ってくるのでは」
吸血姫が、勇者たちが去った闇を睨んでいる。
「そのときは、また追い返すだけさ。俺の希望としては、あれが最後の勇者になって欲しいんだ」
「最後の勇者」
「なるほど、あれが今の人間界の勇者ですか、どうも血の気が多くて思慮深さが足りないようですね。魔王様が苦労されるのも分かります」
天使が何か納得したように頷く。確かに、あの勇者が、もう少し客観的に損得勘定ができれば、俺の勇者派遣をやめてもらうという合理性も理解できるだろう。
「あんたは、勇者について行った方が良かったんじゃないか」
天使は俺の言葉に肩をすくめた。
「ああいう勇者がいるというなら、私は、あなたについていた方がいいでしょう。それに、あなたのそばの方が天界からは目立ちそうで、助けが来てくれるかもしれません」
「俺は目立たず騒がず、のんびり、人間界を見物したかっただけなんだが」
どうも、人間界は俺の望み通りにはさせてくれないようだ。
天使がクスクスと笑う。
「なんだよ」
「魔王というものは、もっと邪悪で尊大かと思っていましたが、意外にそうではないのですね」
「思ったよりもかっこいい?」
「いえ、そこまでは・・・」
「じゃ、天使から見たら、俺って三枚目?」
「普通の方より、ちょっとマシ程度でしょうか」
「意外に、手厳しいじゃないか」
「あら、天使が毒を吐かないなんて誰か言いました?」
この天使、翼をなくしてメソメソしてたが、意外にしんは図太いのかも。
神の命を受けて地上に単騎で来るのだ、ただのパシリの天使ではないのかもしれない。あの矢を向けられたとき、俺は確かにやばいと感じた。実際、邪神様が降臨されなければ、俺は、この天使に問答無用で殺されていただろう。もしかしたら、邪神様にわざとやられて本気を出していないのかもしれない。邪神様が元三大女神だと、あまり知られていないことをあっさりもらした。もしかしたらかなりの食わせ者の天使かもと俺は思った。
「魔王の俺に付いてきていいんだな」
「翼のない天使にどこに行けと?」
「ま、好きにすればいいさ」
少なくとも、もう敵には感じられなかった。