勇者の追撃
吸血姫はマントを脱いだ。その神殿は森の奥にあり、木々で陽光が遮られていて神殿の内部は薄暗かったからだ。
「なにか?」
天使がマントの下から現れた美少女にびっくりしたので、吸血姫がそんな天使を見る。怒ったわけではないが、素顔を見せて驚かれるのは心外だったからだ。
「いや、その、すごくきれいな方だと。どうして、そのような顔を隠すような恰好を」
「フッ、人間界の陽光が吸血鬼には毒だからですよ。天使なのにご存じない?」
「あ、すみません、あまり魔界の種族については詳しくないので、確か人の生き血をすすって生きるとか」
「神々から見ると不老不死で美しい我らも邪神様のように嫉妬の対象のようで、人間界の陽光が我らには毒に」
「そ、そうですか、天使の私にも神々のお考えは分からないことが多くて、申し訳ありません」
「いえいえ、あなたこそ、神の横暴な命令のせいで大切な羽を失ってしまって」
「いえ、その、魔界の方の苦労も知らず人間にテコ入れして、すみません。私、人間と話してみます、勇者を魔界に送り込まないように」
「そうですか、それはありがたいですね」
「天使様、魔界の料理ですけど、食べますか」
ねこみみメイドが天使のためによそったシチューを差し出す。
「あ、天使って、もの食わなくても生きていけるのか? 神みたいに」
俺も天界に詳しいわけではないが、神の園である天界には不思議な力が満ちていてそれゆえ神は不死と聞いたことがある。
「いえ、天界なら、なにも食わなくても平気ですが、ここ地上では皆さんと同じです」
「そうか、ま、食ってみな、不味かったら捨てていいから」
「魔王様!」
ねこみみメイドが俺をキッとにらむ。
「いや、お前だって天使にものを食べさせた経験はないだろ、ましてや邪神様の聖域である魔界料理だ。天使の口に合う保証はないだろ」
そもそも魔界の者で天使を見たのは俺たちが初めてであろう。天使の口に合うか、こればかりは食べてもらわないと分からない。人間界の陽光が吸血鬼には毒のように天使には、俺が持ってきた魔界の食材が毒かもしれないのだ。
俺たちに注目されながら天使は、スプーンですくい口に運んだ。
「美味しい」
天使が素直な感想を口にしたのでねこみみメイドがガッツポーズする。魔界に帰ったら、天使に美味いと言わせる料理を作ったと自慢して回るかもしれない。
とりあえず、天使の口に合ったようなので、俺たちも食事を楽しむことにした。邪神様のおかげか矢の傷の痕跡は全くなく、ただ、天使の矢の効果でひどく体力と魔力を削られたようなので、それを補充するように俺は食べ始めた。
俺が食べるのを見て、天使も食べ進めた。
鍋が空になるまで全員食べて、旅の疲れを癒すように、この邪神様の神殿で今宵は泊まることにした。邪神様の神殿だけあって、魔界の空気に似た雰囲気があるのも心地よかった。
夕暮れ、見張りには、吸血姫が神殿の外に立ち、邪神様の神殿で落ち着かないのか、天使が見張りの吸血姫に近づいた。
「あなたは寝なくて大丈夫ですか?」
「昼間の私は影のように役立たずですので、夜の見張りくらいはさせてもらわないと。これでも、人間界に来てから魔王様の寝首を狙う連中を何度か返り討ちしております」
「その臭いでしたか。吸血鬼ゆえと思っておりましたが、あなたには人間の血の臭いが染み付いておりますね」
「不快ですか?」
「いえ、それが、あなたの誇りなのでしょう。天使がそういうものを解さぬと?」
「分かっているのなら、幸い。ただ、魔王様には、このこと黙っておいてください、手柄を誇るようなことは嫌いなので、今宵のことも」
「え?」
「失礼」
翼をなくした天使の前で黒い翼を広げた吸血姫が急に飛び立った。
「・・・・・・」
夜空の闇に消える吸血姫を、天使は黙って見送った。
あの黒づくめの連中が、今宵は森の焼き討ちの準備をしていた。恐らく、あの橋の兵士から魔王一行がこの森に逃げ込んだと聞き、また、この辺りに邪神の神殿跡があることを知り、森を焼いて魔王一味を一気に始末する腹なのだろう。
だが、夜目の効く吸血姫には、まるっとお見通しだった。
夜の闇に紛れ、黒装束の男たちを倒して回った。屋敷を襲撃した時は、情報収集のため生かしたが、今宵はその枷はないので、吸血姫は、遠慮なく襲撃者を倒した。
だが、闇の中から白馬が飛び出して、無双する吸血姫に馬上の勇者がランスを突き出す。それも聖剣と同じ、神の加護を得た神器であり、それを間一髪で躱す。
「魔王は、どこだ!」
白馬の手綱を操りながら、勇者が問う。
「奴は、どこにいる?」
ランスを繰り出しながら吸血姫を追い詰める。教祖に命を狙われても魔王とはやはり相容れぬと装備を整えてきたらしい勇者が手綱を握りながら詰問した。
「素直に教えるわけなかろう」
「なら、滅びよ、魔王の手先め」
ランスが吸血姫の心臓を貫こうとしたとき、駆けつけた俺は、それを手でつかんだ。
腹を満たしたので、体力も戻っていた。瞬時に駆けつけ、勇者ひとりぐらい相手にできる程度には気力も充実していた。
ぴくりとも動かないランスに勇者が慌てる。
「おいおい、馬の蹄って結構響いて、近づくのが丸わかりだったぜ。今宵は静かに眠れると思ったのに」
夜は、ほとんど吸血姫に任せていたが、さすがにうるさい蹄の音を聞き、今宵は無視できなかった。
「馬を持ち出せば、少しはまともに戦えるかと思ったのか、勇者?」
俺はランスを離さず、逆に馬上から勇者を引きずり落すように引っ張った。
勇者が落馬すると、白馬は一目散に逃げて行った。
「さて、どうする?」
勇者はランスから手を離し、聖剣に手をかけた。
俺も魔剣を呼び出し、二つの剣が激突するかと思われた時、俺に追い抜かれながらも、慌てて走ってきた天使が、俺たちの間に割り込む。
「お待ちなさい、二人とも、天使の名において、無益な戦いはさせません」