第34話 リテイクを、共に
その少女は、日が暮れ始めた頃にやって来た。
接客スマイルが爽やかな女性店員さんに促されて、窓際のソファー席に腰を下ろす。はめ込み式の大きな窓から差し込む夕日が、彼女をオレンジ色に染めた。
使い込んだ黒のリュックから、少女は紙と鉛筆を取り出す。そして何かを描き始めた。おそらく、次回作のネームを切り始めたのだろう。
しかし、その少女はちょっと鉛筆を走らせては大きく溜息をつき、走らせては溜息をつきで、作業は全く進まない。心ここにあらず、といった様子だ。
そしてころん、と鉛筆を投げ出し、両手で顔を覆って項垂れた。それから憂いの表情で窓の外に目を向ける。少女は何を見ているのだろうか。自ら閉ざした未来だろうか。後悔だろうか。心残りだろうか。
もしかしたらあと一歩で夢が叶う者とは思えない程、少女の表情は沈んでいた。
――と、漫画のナレーションみたいに実況してみた僕である。 CV 響政宗。
なんだよ白雪さん、プロデビュー予備軍まで行ったっていうのに全然嬉しそうじゃないじゃないか。もっと笑わなきゃ駄目だよ。君には笑顔が似合うのだから。
もしも笑えないのなら、仕方がない。
僕が君を笑顔にしてあげようじゃないか。
「よし、行くか」
顔を隠すために広げていたスポーツ新聞を折りたたみ、僕はテーブルの上にバサリと置いた。一度深呼吸をして、気持ちを整える。そして意を決してゆっくりと席を立ち、少女――白雪さんのテーブルへと向かった。
なんて声をかければいいのかな。悩む。でも、難しく考えても仕方がない。それに何より、気取った言い回しをしたところで滑るに決まっている。だから僕は、言い慣れたお決まりのセリフを白雪さんに投げ掛けた。
「見つけましたよ、風花先生」
ボーッと窓の外を見つめていた白雪さんは僕の声を聞いてハッとし、勢いよくコチラに振り向いた。そして僕の顔を見て、目を見開く。
「ひ、響さん!!!! な、なななな、なんで!!!?」
咄嗟に出てしまった彼女の大きな声に、周りのお客さんが一斉にコチラに視線を向けた。白雪さんは自分の口元を押さえ、ペコペコ周囲に頭を下げて、恥ずかしそうに体を縮こまらせた。ストレートに感情を出してしまうのは相変わらずだな。
そう、ここはファミリーレストランである。僕が小林と一緒にいる時、初めて白雪さんと出会ったあのお店。
彼女にとってのルーティーン。それは、ここで漫画の原稿を描くことだ。
よくよく考えればすぐに分かることだった。白雪さんがいなくなってから、僕はショックのあまり頭が回っていなかったのだろう。
ちなみに、彼女を見つける方法は他にもあった。学校の制服だ。いつも着ていた高校の制服から、彼女が通っている学校なんてすぐに分かったはずなんだ。
もしかしたら、今日は白雪さんには会えないかもしれないと思っていた。今日はクリスマスイブだ。白雪さんだってイブの日くらい漫画を描かないで、友達と一緒に遊びに行ったりするのではないかと思っていたから。
でも、やっぱり白雪さんは白雪さんだった。彼女の頭の中は漫画のことでいっぱいみたいだ。でもそれが、僕にとっては幸運だった。
「なんでって、決まってるでしょ。風花先生にリテイクをお願いしにきたんですよ。描き直しです。あんなバッドエンドじゃ納得できません」
「か、描き直し……あ、あの! 響さん! 漫画は……漫画はちゃんとハッピーエンドにしました! だから――」
「描き直すのは漫画じゃない。白雪麗の、そして、響政宗の未来だ」
白雪さんは、僕の言葉に下を向いてしまった。でも、僕はなんとしてでも描き直させる。僕と白雪さんの未来を。
そう、未来をリテイクする。そして、僕達が向かう先は決まっている。
ハッピーエンドの未来だ。
「ここ、一緒に座ってもいいかな?」
「……はい」
白雪さんはこくりと頷いた。そして僕は、テーブルを挟んだ彼女の向かいのソファーに腰を下ろす。
「急にいなくなっちゃ駄目だよ、白雪さん。二人で決めたじゃん。僕が白雪さんの漫画を担当するって。その夢を一緒に見ていくって」
「ごめんなさい……」
「ほんと、白雪さんはわがまま姫だよ。勝手に決めちゃってさ。漫画もそう。一緒に見るって約束した夢もそう。決めるんだったら僕も一緒に考えたかったよ」
「そうです、よね……本当にごめんなさい。響さん、やっぱり怒ってますよね?」
「そうだねえ、怒ってるよ。怒髪天だね。と、言うのは嘘だけど」
「嘘、ですか……? それじゃあ、どんな気持ちで会いに来てくれたんですか?」
「どんな気持ちでか。そうだな、白雪さんがいなくなってから寂しくて仕方がなくて。会いたいから来た。それに、白雪さんに伝えたいことがあってね。担当としてではなく、響正宗という一人の男として」
「一人の、男として……」
落ち込んでいるのか、はたまた困惑しているのか。白雪さんは俯いたまま、何かを思っていた。僕の言葉を聞いて。
「さっき窓の外を見てたけど、何を考えてたの?」
「そ、それは……」
俯いたまま、白雪さんは顔を真っ赤にする。
少しだけ、彼女の目が潤んでいるように見えた。
「響さんに会いたいって、そればかり考えてました。寂しくて……」
「じゃあ僕と同じだね。ではでは、僕の伝えたいことでも。と、思ったんだけど、ちょっと場所を変えようか。時間は大丈夫?」
「は、はい。大丈夫ですけど……」
「なら、お店を出よう。そのラフとか片付けてもらっていいかな?」
僕に言われた通り、彼女はテーブルに広げたラフを片付け始めた。その隙に、ポケットの中に手を入れて確認する。うん、大丈夫だ。
「でも、どこに行くんですか?」
「それはまだ言えないかな。とりあえずスタート地点に戻ろう」
「スタート地点……?」
不思議そうに小首を傾げる白雪さんだったけれど、全ては白雪さんと共にハッピーエンドを紡ぐためだ。僕達の『物語』はまだ終わっていないのだから。
さて、行きますか。
響正宗、気合の入れどころだ。
『第34話 リテイクを、共に』
終わり