第33話 クリスマスイブの電話【2】
『あんな、『風花うらら』って作家さんのことやねんけどな』
瀬谷ちゃんが発した言葉に驚いた。『風花うらら』。僕がつけた白雪さんのペンネームだ。白雪さんはまだデビューしていない。だからそのペンネームを知っているのは僕だけのはずだ。なのに、何故!?
「せ、瀬谷ちゃん! どういうことだ! どうしてその名前を知っている! そのペンネームは僕しか知らないはずだ!」
自然と語気が強くなる。当たり前だ。
もしかしたら、白雪さんにまた会えるかもしれないのだから。
『あー、やっぱり響っちが関係してたんか』
「……どういうこと?」
『この前な、その子が原稿を持ち込みに来たんや。ウチのところに』
暁書館に!? 白雪さん、あの原稿を暁書館に持ち込みに行ったのか! 確かにあそこは多くの少女漫画雑誌を出版している。白雪さんが持ち込みに行く際、選択肢の中に入っていても全く不思議ではない。むしろ自然だ。
『それでな、原稿を読ませてもらったんやけど、男性主人公がやたらと響っちに似ててん。あの子、めっちゃ画力高いやんな。響っちの特徴をしっかりと捉えてたで』
奇跡だ。
瀬谷ちゃんが暁書館に転職したのも、白雪さんがそこに原稿を持ち込みに行ったことも、僕がペンネームをつけたことも。これはきっと偶然なんかではない。
クリスマスイブの奇跡だと、僕は感じた。
『まあ、響っちがだいぶ美化されて描かれてたから、ちょっと笑ってしまいそうになったんやけどな。本物の響っちって、ダサダサやんか』
「ダサダサで悪かったな! て、今はそんなことはいいんだよ!」
『そやな。でな、その子の原稿を読み進める内に確信したんよ。この風花うららって子、絶対に響っちが関わってるって。漫画ってあれやん、誰が編集したのか読めば大体分かるやん? 当然、一番原稿に表れるのは作家さんの個性やけど、でも担当編集のクセも出る。響っちなら分かるやろ?』
「そりゃ分かるさ。多少なりとも担当編集者のクセが出ることくらい」
『そやろ? しかも響っちってめちゃめちゃクセが強いやんか? だからすぐに分かったで。それでウチも事情が気になってな。それで電話してみたねん』
瀬谷ちゃんの言葉に、僕は興奮した。いつの間にか、立ち上がってガッツポーズを取る程に。僕は白雪さんと再会ができる。絶対にできる。
さっきまで真っ暗だった目の前。だけれど、一気に光が差し込んだ。
未来が、見える。明るい未来が。
明るい未来――もちろんハッピーエンドが。
「それで瀬谷ちゃん、原稿は!? 風花うららの原稿はどうだった!?」
『そやなあ、まだまだ荒いな。でも、原稿は預かったで。あとウチが担当させてもらうことにしておいた』
瀬谷ちゃんが担当についてくれたのか! ありがたい。少女漫画の編集に関して、彼女の右に出る者はいないと僕は思っている。だからこそ、版元である名門の暁書館に転職することができた。安心して任せられる。
『あ、それと、これはあの子に言わんといてほしいんやけど』
「うん、言わない。どうしたの?」
『あの子、化けるで』
やっぱり瀬谷ちゃんもそう感じたか。そう、白雪さんには才能の片鱗が見えていた。だからこそ、僕は白雪さんに色々と教えてきたんだ。可能性に賭けて。
「でも瀬谷ちゃん、よく原稿預かったね。確かに彼女の画力は高いし可能性も秘めてると思う。でも、あのラストじゃ読んでて悲しむ読者さんもいると思うよ? バッドエンドはあまりウケがいいとは言えないから」
『へ? どういうことや響っち?』
「え? いや、だからバッドエンドじゃ読者のウケが……」
一瞬の間。電話の向こうで首を傾げる瀬谷ちゃんが見えるようだった。
『何言うてんねん響っち。あの子の原稿、ハッピーエンドやで。しかも、めちゃめちゃ甘々のラストや。なんや、原稿読んでへんのか?』
瀬谷ちゃんが不思議そうに言った。
ハッピーエンドだって? どういうことだ。白雪さんは悲しい結末を選択したんじゃなかったのか? 自分の秘めていた本当の気持を手紙で伝えて、そして僕の元から去っていく。そんなラストにしたんじゃなかったのか?
「……瀬谷ちゃん。その原稿のラスト、詳細を教えてくれないか」
『なんかワケアリっぽいな。ええで、教えたるわ』
そして瀬谷ちゃんは語ってくれた。風花うらら――白雪さんが持ち込んだ原稿のラストを。その内容を聞いて、僕は胸が張り裂けそうになった。
これが、白雪さんが望んだ本当のラストだったのか。
「教えてくれて、ありがとう……」
だったらどうして、白雪さんは僕の元から去っていった。どうして漫画と同じようにハッピーエンドを選択しなかった。漫画の中で幸せになったって、現実の白雪さんが辛い選択をしたのでは意味がないじゃないか。
どうしてだ、白雪さん。
『なあ響っち? あの漫画に描かれている内容って、実際にあった出来事なんか? それとも完全なフィクションなんか?』
「彼女の願望や妄想も含まれてはいるけど、ほとんどが事実だ。多少の脚色はつけているけれど、実際にあった出来事をトレースしている。だけど……僕はラストの四ページを読ませてもらえなかったんだ」
『そうなんか。なあ響っち、もしかして今、あの子と連絡取れてへんのちゃうか?』
「……どうしてそう思ったの?」
『ウチの勘や。さっき響っち、元気ないって言ってたやろ。その子と会えなくなってもうたから元気のうなったんちゃうかなって思ったんや。原稿のラストも読めてなかったみたいやしな』
「……当たりだよ」
瀬谷ちゃん、僕のことをよく理解ている。戦友みたいなもんだからな、僕と瀬谷ちゃんは。長い間一緒に仕事をしている内に、不思議と互いに考えていることが分かるようになっていたし。女の勘というのもあるだろうが。
『やっぱりそうなんか。ごめんな響っち。ウチはもちろん、風花うららさんの連絡先は知ってる。でも、響っちには教えられへんよ』
「それはもちろん分かってるよ、個人情報だからね」
『まあ、すぐに会えるから別にいいやんな。連絡先教えんでも』
「は? す、すぐに会えるってどういうことだ!?」
『人間のルーティーンなんて、そう簡単に変わらんいうことや。生活圏内の中でのルーティーン。ここまで言えば分かるやろ?』
白雪さんの、ルーティーン。
そうか。どうして今まで、こんな簡単なことに気付かなかったんだ。
「――ありがとう瀬谷ちゃん」
『やっと気付いたんか、まあ良かったで。しかし、まさか響っちが女子高生に通い妻生活をさせるとはな。とんだスケコマシや』
「酷い言い方だな。でも、今は別にそれでいいよ」
『じゃあ電話切るで、響っち。早くその子に会いに行ってあげや』
そう言って、瀬谷ちゃんはプツリと電話を切った。感謝するぜ、瀬谷ちゃん。
僕は壁に掛けてあったダウンジャケットを素早く着込み、外に出る。待ってろよ、白雪さん。必ず君を見つけてやる。
だって僕は、風花うららの担当編集者だからな。
『第33話 クリスマスイブの電話【2】』
終わり