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第27話 白雪さんは祝福したい

 あの日――白雪さんに僕の過去を伝えた日から二週間が経った。

 そして、季節は秋から冬へと移り変わる。
 カレンダーも最後の一ページとなった。十二月に突入だ。

「暖かくて気持ちいいですねぇ、響さん。ぬくぬくです。外に出るのが億劫になっちゃいますよ。あー、幸せ」

「ほんと、最高だぁ。僕も仕事なんかに行かないで、ずっとぬくぬくしていたい」

 何が暖かくて、ぬくぬくで、最高なのかというと、我が家もコタツを出したのである。寒さが本格化してきたので、押し入れから引っ張り出したのだ。

「私、このコタツを学校に持っていきたいです」

「うん、絶対に怒られるだろうからやめて。それに、僕のコタツがなくなっちゃうし。そしたら僕、どうやって寒さを凌げばいいのさ」

「はーい、学校には持っていきません。でもコタツでぬくぬくしながら授業を受けたりしたいです。だってウチの学校、エアコンないんですもん」

 白雪さんはコタツを大層気に入ったみたいで、僕の家に来てはサッと素早く潜り込み、そのままぬくぬくするのがお決まりとなった。どうやら寒いのが苦手らしい。『白雪』という冬を感じさせる名前なのに、冬が苦手なのか。

「ところで響さん。この前、履歴書送ったところから書類選考の結果来ました? あれから結構時間経ってると思うんですけど」

「あー、あれね。まだ来ないよ。出版関係の書類選考って元々時間がかかるんだ。狭き門だからね。応募者の数が半端ないんだ」

「うー、早く来ないかな。私の方が待ちきれないですよ」

 言って、白雪さんは体を前後に揺らしながらそわそわ。そうなのだ。僕はこの度、ついに転職を決意した。漫画業界に戻るために。

 白雪さんと一緒に、新たな夢を見るために。叶えるために。

 この決断をするまでに、本当に時間がかかった。ずっと過去を引きずり、前に進むことができないでいた。そんな僕を、白雪さんが変えてくれた。彼女の心の叫びが、止まっていた僕の心時計《こころどけい》の針を再び動かした。

 というわけで、僕はとりあえず三社の出版関係の会社に履歴書を送付した。版元は二社。編プロは一社。編プロに関しては漫画専門の会社ではないけれど、一応漫画の案件もあるらしいので応募してみた。

 まあ、もうすぐ年末進行もやってくるし、連絡が来るのは来年かもしれないな。修羅場の中で面接やらをする余裕なんてないだろうし。

「あ! 響さん響さん! スマホにメール届いてますよ!」

「え? うそ、本当に!?」

 コタツに置いたスマホに通知が届いたのを、白雪さんが素早く気付いてくれた。確認すると、メールが届いていた。差出人は、僕が履歴書を送った出版社からだった。ヤバい、結構ドキドキする。

「ひ、響さん、早く! 早くメール開いてください!」

「ちょっ! 白雪さん、そんなに急かさないで! あ、あと近いから」

 僕の横に来て、ピッタリと身体を寄せてスマホを覗き込む白雪さん。最近思うのだけれけど、白雪さんの僕に対する距離感が日に日に近くなっている気がする。こんなオジサンにくっつくなんて、嫌じゃないのかな? それともあれかな。猿が仲間と体を寄せ合って、冬の寒さを凌ぐ的なものなのかな?

「あ! 選考結果のご連絡って書いてありますよ!」

「あ、ああ……そうだね……」

 興奮気味の白雪さんだけど、ごめん、僕はもう結果が分かっちゃった。はっきり言って、もうメールを開くまでもないんだよね。

 まあ、一応確認。そこにはやっぱり、いわゆる『お祈り文章』が書かれていた。『貴殿の今後のご活躍をお祈り申し上げます』と記載されていた。

「……これって、駄目だったってことですか?」

「うん、そう。書類選考に落ちたってこと」

 どうして僕がメールを開かずとも結果を知ることができたのか。それはメールの件名である。書類選考を通過していた場合は、大抵、『面接のご連絡』だとか『面接のご案内』だとか、そのような件名で来るのだ。『選考結果のお知らせ』の場合は、ほとんどが不採用の連絡なんだ。

「響さん、大丈夫……じゃないですよね」

「うん、ちょっとダメージが大きいかな。ここ、第一志望だったからさ」

 そして項垂れる僕。やっぱり駄目だったか。ここは版元だから、僕のような編プロ上がり程度の職歴では書類選考も通過できないか。現実は厳しいな。

「大丈夫ですか響さん? 頭なでなでしてあげましょうか?」

「……頼む、白雪さん」

 僕の頭に手を置いて、白雪さんは優しく撫でてくれた。いつもだったら『子供じゃないんだから』と突っぱねるところだけれど、今日は甘えたい。

「はい、いい子いい子。そんなに落ち込まないの。次がありますって。だから諦めちゃ駄目ですよ。響さん、ファイトです」

「うう、ありがとう……」

「響さんの良さは書類なんかでは分からないです。今回はご縁がありませんでしたが、面接まで行ければ絶対に響さんの魅力に気付いてくれるはずです。だから、そんなに落ち込まないでください。大丈夫ですからね、安心してください」

 まるで子供を慰めるような、そんな優しい声音だった。そして、白雪さんは僕の頭を撫で続ける。あー、やっぱりこの子は僕にとっての救いの女神様だ。彼女の優しさが、僕の心に染み渡るのを感じる。

「白雪さん、僕の魅力って何なんだろうね」

「そうですね、いつも漫画に一生懸命なところとか。それと、響さんはやっぱり真面目で優しいです。もし私がプロになれたら、響さんみたいな方に担当してもらいたいと思いますし。ロリコンなのが玉に瑕ですけどね」

「僕はロリコンじゃない! 断じて認めない!」

「冗談ですよ。響さんはオッパイ星人ですもんね」

「それも違う……くはない」

 傍から見たらおかしな絵面だろう。二十七才のオジサンが、十七才の女子高生に頭を撫でてもらう絵面なんて見たことがない。

 しかし、僕はオッパイ星人だと思われていたのか。そんな星に生まれた覚えはないんだが。ロリコンよりはまだマシだけれど。

 その時だった。僕のスマホの着信音が鳴り、リビングに響き渡る。

「「!?」」

 僕と白雪さんはハッと顔を見合わせる。それからスマホを手に取った。画面には知らない番号が表示されていた。電話番号が『03』で始まっているから東京からだ。これって、もしかして。

 僕は急いでメモとペンを用意し、一度深呼吸をしてから立ち上がる。破裂しそうな程にドキドキしている心臓を落ち着かせるために。

 そして、スマホの応答ボタンを押した。指が、震えている。

「はい、も、もしもし……」

 僕の応答に、気さくな印象を受ける声で男性が話し始めた。僕はメモを取りながら、一語一句聞き逃さないようにして、都度、返事をする。

 そして――。

「はい、はい。ありがとうございます。いえ、その日は大丈夫です。まだ離職していないもので少し遅い時間だと助かるのですが。はい、はい」

 白雪さんが、まるで息子の授業参観に来た母親のような目で僕を見守る。祈るようにして両手の指を絡めて、話の行く末を願った

「こちらこそ、ご連絡ありがとうございました。はい、当日は何卒、よろしくお願いいたします。はい、それでは失礼いたします」

 ゆっくりと、通話終了のボタンを押した。僕は深呼吸をして肺いっぱいに空気を送り込み、「ふーっ」と息を吐き出す。指の震えは止まっていた。

「ど、どうでしたか響さん?」

 心配そうな顔をして、白雪さんはコチラを見やる。僕は真顔で彼女を見た。それから一度、項垂れて見せる。

「や、やっぱり、駄目だったんですか?」

 あまりに不安そうな声で白雪さんが言うものだから、僕もそろそろ演技をやめなければいけない。顔を上げてニーッと口角を上げ、彼女に向かって親指を立てる。

「面接、決まったよ」

 僕の言葉に、白雪さんは勢いよく立ち上がる。そして勢いよく抱きついてきた。彼女が僕の胸の中でぴょんぴょんと飛び跳ねる。僕も白雪さんの壊れてしまいそうな華奢な体を、優しく抱きしめ返した。

「やった! やった! おめでとうございます、響さん!!!!」

 白雪さん、僕よりも喜んでくれている。まるで自分のことのように。そりゃそうか。僕と白雪さんが一緒に見ると決めた、夢。それが一歩近付いたのだから。

「ありがとう、白雪さん。でも、まだおめでとうは早いかな。やっと面接に漕ぎ着けただけだし。ここからが本当の勝負だ」

「大丈夫です、絶対に上手くいきます! 受かります! 書類選考さえ通ってくれれば、面接で響さんの良さをきっと理解してもらえるはずですから!」

「そうだといいなあ」

 少しの間を置いて、ちょっと冷静になった。抱き合って喜びを分かち合っている今の状態に気が付いた。やって来る。照れくさいという感情が。

「わ、わわわわわ!」

「ご、ごめん白雪さん!!」

 僕達は反発する磁石のように、咄嗟に離れて距離を取る。白雪さんは顔を真っ赤し、手をもじもじとさせて視線を落とした。僕も恥ずかしさのあまり、何もない空《くう》を見上げながら頭をぽりぽりと掻く。

「わ、私こそごめんなさい。嬉しすぎて、つい」

「い、いや、僕の方こそ。抱きしめちゃって、ごめん」

 今の僕、あまりに挙動不審。我ながら思う。抱きしめ合うだけで動揺しまくる二十七才。情けなさすぎる。

 二人で恥ずかしさを共有したところで、白雪さんは「こほん」と一度咳払いをした。それからもう一度、僕に視線を向け直す。

 彼女の顔は、柔らかで優しい笑みで溢れていた。

「響さん。きっと面接も上手くいきます。私は信じてます」

 白雪さんは目を細めてもう一度、僕を祝福する。笑顔の花を咲かせながら。

「改めまして、書類選考通過おめでとうございます、響さん。未来の私を、いつか必ず担当してくださいね。ずっと、ずっと待ってますよ。えへへっ」


 『第27話 白雪さんは祝福したい』
 終わり

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