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第22話 白雪さんはデートがしたい【5】

 それからしばらくの間、白雪さんは僕の胸の中で顔を埋めたまま動かなかった。そして感じる、白雪さんの体温、息遣い、高鳴る胸の鼓動を。

 白雪さんも、僕のそれらを感じているに違いなかった。

「次は何をご所望ですか、白雪姫様」

 僕は問いかける。照れくさいので、ちょっと冗談めかして。でも彼女は顔をより深く胸の中に埋めてきた。

「私にお姫様なんて似合わないですよ」

「そんなことないよ、立派なわがまま姫だ」

「響さんってほんと、たまに意地悪になる時がありますよね。でも、わがまま姫として、ちょっとわがままを言わせてもらいますね」

「どうぞどうぞ。何なりとお申し付けください、姫様」

「あ、あのですね、わ、私の頭を撫でてほしい……です」

「女の子って髪の毛触られるの嫌な人もいるって聞いたことあるけど、いいの?」

「響さんになら触られても大丈夫、ですよ」

 さて、わがまま姫の次なる注文は『頭ナデナデ』であった。緊張していた僕だったけれど、あまりに子供っぽく甘えてくる白雪さんを見ていたら、なんだか大人の余裕というものが少し生まれてきた。

「では、遠慮なく触らせてもらうね」

 僕は優しく、ぽんと白雪さんの頭に手を置いた。髪の毛のさらさらとした感触が手のひらいっぱいに広がる。細くて艷やかで、綺麗な髪。女性の髪に初めて触ったけど、僕のパサパサした髪と全然違う。

 そして、ゆっくりと彼女の頭を撫でる。安心したのか、少しこわばっていた白雪さんの体から力みが消えてきた。そのまま、この小さな身体を抱き締めてしまいたい衝動に駆られてしまったけれど、でも、そんな注文は今は入っていない。

「どう、白雪さん? 頭を撫でられた感想は」

「そ、そうですね、すごく落ち着きます。あと、子供の頃を思い出しました。小さい頃、よくお母さんに頭を撫でてもらっていて。それを」

 お母さん、か。白雪さんのお母さんは今、どこで何をしているんだろうな。

「そっか。じゃあ今の白雪さんは子供の頃に戻った感じだね。あ、今だけじゃないか。いつもお子ちゃまだもんね、白雪さんは」

「むー、またお子ちゃま扱いして。私はもう大人です。それに、これでも私、響さんよりもしっかりしてる自信ありますよ?」

「う……それは何も言い返せないかも」

 いつもよりも、時間がゆっくりと、優しく流れていく。そんな不思議な感覚を覚えた。まるで別の世界に飛ばされたみたいだ。白雪さんと僕、たった二人だけしか存在しない、そんな世界に。

「あ。ひ、響さん」

 ちょっと顔を上げる白雪さん。久し振りに感じる、彼女の顔。それはそれは見事なまでに真っ赤になってしまっていた。まるで熟れたトマトみたいだ。でも、いつもよりもちょっと大人っぽくて、ちょっと色っぽくて、艶やかで。そう感じたんだ。お子ちゃまなんて言ってごめんね。

「どうしたの白雪さん?」

「向こうのカップルさん、ちゅ、チューしてますよ」

 チュー、と言った白雪さんの目線を追うと、斜向かいのベンチに座る学生風のカップルが公衆の面前で堂々と熱いキスを交わしている。う、羨ましい……。こちとらキスなんてしたことないというのに。なんて悲しい二十七才だ。

「も、もしかして白雪さん。次はキスしてとかそんなお願いを?」

「そ、そそそ、そんな! 滅相もない! いくら取材のデート中だと言っても、ちゅ、チューなんかしたら私、恥ずかしすぎて倒れちゃいますよ!」

「あはは、そうだよね。それに白雪さんだって、キスは本当に好きな人としたいだろうし。こんなオッサンが相手じゃねえ」

「そ、そうですね……」

 言って、白雪さんは僕の太ももにこてんと横になり、そのまま両手で顔を覆い隠した。彼女の重みが心地良い。

「白雪さん、どうしたの? 顔隠しちゃって」

「いえ、私、チューしてるとことかそういうの見るの、ちょっと恥ずかしくて。お父さんと一緒に朝ドラ観てる時も、チューのシーンとか出てくるとドキドキして別の部屋に逃げちゃうんです。あー、顔が熱い」

「とか言いながら、しっかり指の間から覗いてるじゃん」

「す、少しくらいは免疫つけておかないといけないから、いいんです」

 本当にウブな子だ。これで恋愛漫画を描いているんだから不思議なものだ。いや、逆なのかな。ウブだからこそ、恋愛に対して幻想を抱いているのかもしれない。恋に恋している、とでも言えばいいのだろうか。

 僕にもそんな時期が確かにあった。恋は素晴らしいものだと思い、憧れ、恋い焦がれた。僕は見事に現実に打ちのめされてしまったけれど、でも白雪さんにはその幻想を、いつまでも大切にしていてほしい。純粋な白雪さんのままでいてほしい。

 そう、それは名前の通り、真っ白な雪のように。

 *   *   *

「今日は本当にありがとうございました」

 そう言って、白雪さんは僕のアパートの玄関前で一礼した。

 最初はどうなることかと思ったけれど、でも、僕達は無事に取材という名のデートを終えることができた。二人にとって、生まれて初めてのデート。僕はちゃんと彼女を楽しませてあげることはできたのだろうか。

 ちなみに、あれから僕達は公園をもう一周だけ歩いた。同じ景色を見て、それを目に焼き付けるようにして。そして、日が暮れ始めた。少しずつ景色がオレンジ色に染まっていき、それをデート終了の合図とした。

 少し気になったのが、カップルのあのチュー現場を見てから、白雪さんがやたらそわそわしていたことだ。繋いだ手を何度も動かし、チラチラと僕の顔を上目遣いで伺ってきた。何か伝えたいことでもあったのだろうか。

「いいの? 今日は家に寄っていかなくて。少しゆっくりしていけばいいのに」

「いいんです、響さんも明日からまたお仕事ですし。それに今日一日、私に付き合ってくれてお疲れでしょうから」

 本当に、優しくて気遣いのできる子だなあ。どうしたら、こんな良い子に育つのだろうか。僕とは大違いだ。大人からしたら生意気なガキだったと思うよ。口だけは達者な生意気なガキ。

「僕はそんなに疲れてないけど、白雪さんがそう言うなら」

「はい、また明日お邪魔しますね。学校終わったら先にお家に入って夕飯の支度をしておきます。でも本当にいいんですか? 私も一緒に夕飯を頂いちゃって」

「いいんだよ、むしろ大歓迎。ご飯は誰かと一緒に食べた方が美味しいに決まってるし。ぜひ一緒に食べよう」

「はい! じゃあお言葉に甘えます!」

 にまっと満面の笑みを浮かべて、白雪さんは喜んだ。この笑顔がすっかり僕の日常の一部になっているのだと如実に感じる。いや、日常だけではないか。すっかり溶け込んでいるんだ、僕の心の中に。

「ところで白雪さん。今日の取材デート、採点するなら何点くらいだった? 僕、君を上手くエスコートできた自信がなくて」

「そんなことないです、すっごくドキドキして思い出に残るデートでした。そうですね、採点は90点! ほぼ満点近いですよ」

「おお、高得点。それは安心したよ。ちなみに、あと10点は? やっぱり僕、白雪さんの期待に応えられないところがあったのかな?」

 すると、白雪さんは足をもじもじ交差させて顔を赤くした。何かを言いたくて、でも、それらを自分の中で一度飲み込むようにしてから僕に理由を伝えた。

「それは私がひとつお願いを言いそびれちゃった分です。ちょっとだけ後悔してまして。その分のマイナス10点です。だから響さんのせいじゃないですよ。気にしないでくださいね」

「そうなんだ、後悔ねえ」

「大丈夫です、また言いますから。なんせ私、響さんのわがまま姫なんで」

 茜色に染まる夕暮れの中、白雪さんははにかんだ。この笑顔がいつまでも消えないように、僕は夜空の星に願う。

 僕と白雪さんの初デートは、こうして幕を閉じたのだった。


 『第22話 白雪さんはデートがしたい【5】』
 第二章 章末

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