第21話 白雪さんはデートがしたい【4】
「響さん、私ちょっと疲れちゃいました」
背の低い彼女は、僕を見上げるようにして言った。僕も同感だ。いくら同じものをたくさん共有したいとは言っても、三十分程ずっと歩きっぱなしでは。それにしても、公園をただ歩くだけではつまらないな。かと言って、デートのいろはを僕は知らない。全くのノープランだし。こんな二十七才、いるか……?
僕がモテモテでデート経験豊富だったら良かったけれど、そんなことに全く縁が無い暗黒の学園生活を送ってきたわけで。でも、別にモテモテにならなくでもいいかな。白雪さんと一緒にいるだけで、不思議とそう思えてしまう。
大切な人が一人でもいてくれるなら、それでいい。
「あ、響さん。あそこにベンチがありますよ」
「本当だ。じゃあ、あそこで少し休もうか」
いくつも並べられている、木製のベンチ。ほとんどのベンチがカップルで埋まっていたけど、運良くひとつだけ空いていた。僕達はそこに腰を下ろす。手を繋いだまま。離さないまま。
心を繋いだまま。
「あっ!」
「どうしたんですか? 急に大きな声を出して」
辺りのぐるりを見渡した。いないよな、見られてないよな。考えてみたらこの公園、アイツの生活圏内だった。
「いや、まさか小林に見られてないよなって思って」
「あははっ。そうですねえ、こんなところを小林さんに見られたら、また響さんからかわれちゃいますもんね」
「いや、さすがに今はからかわれるだけじゃ済まないと思うんだけど」
だって今、僕と白雪さんは手を繋いでいるのだ。しかも、恋人繋ぎで。リア充憎しの小林に見られたりしたら、たぶん僕に明日はない。
「でも小林さんに会ったら、また響さんの色んな話を聞けるから、私としては別に嫌じゃないんですよね。この前も響さんがロリコンだって教えてもらえましたし」
「白雪さん、だからそれは誤解だってば。僕はロリコンではない!」
持っている薄い本はツルペタのロリ物ばかりだけれど。
「あはは。大丈夫ですよ。前にも言いましたけど、私はそういうことに偏見ないですし。それに響さんがロリコンじゃないって、本当は知ってますから」
「え? 知ってるってどういうこと?」
「この前、響さんの帰りが遅い時にお部屋を掃除させてもらったじゃないですか? そこで見つけちゃいました、押し入れの中に隠してあったものを」
「ちょ、ちょっと待って! 押し入れの中って、え、白雪さん!? アレを見つけちゃったの!?」
「はい、見つけましたよ? 響さんってああいう女性が好みなんですね。みーんなオッパイ大きかったです」
ぐわあああーーーー! マジですか! アレを見つけちゃったのか! 白雪さんが家に来るようになってから押入れに隠しておいたあのエロ本(実写)を! しかも、結構過激なやつもあったような……。今まで知らない振りをしてくれていた白雪さんの優しさが逆に辛い。
「い、いや、別にオッパイは大きくなくても……」
「あー、響さん今、嘘ついてるでしょ? だって本に載ってる皆んな、大きかったですよ? ドーン! って感じで。私なんかポンッて感じじゃないですか。ちょっと羨ましいなって思っちゃいました」
空いた左手で自分の胸をぺたぺたと触る白雪さん。だけど、違うぞ。君は大きな間違いをしている。胸は大きさじゃない。大切なのは形だ。だからポンッでも全く問題ないんだ。……って言ったらセクハラになるよな。黙っておこう。というかこの話題、早く終わらないかな。
「で、響さんは胸の大きな女性がお好きなんですよね? あと、私の胸、見すぎです。前にも言いましたが、女の子ってそういう視線に敏感なんですよ?」
「まだ続けるの!? その話題!? 見すぎたのは謝るけど……」
「あはは、冗談ですよ。ちょっと悔しかったから、からかってみただけです。でも響さん、次からはもっと場所を考えて隠してください。押入れに適当に突っ込んだだけじゃ、私がまた簡単に見つけちゃいますよ? 気を付けてください」
「ご、ごめんなさい」
中学生時代、母親にエロ本が見つかったときのトラウマが蘇るな。隠し場所、か。レンタル倉庫でも契約しようかな。
「じゃあ響さん、許してあげるからもうひとつお願いを聞いてください」
「な、なんなりとお申し付けください」
「あの、えっと、ちょっと恥ずかしいお願いなんですけど」
「恥ずかしいお願い? オッパイ揉んで大きくしほしい、とか?」
「……響さん、サイテー」
さ、最低って言われてしまった。氷のように冷たい目で僕を見てくるし。そんな凍てつく目で見ないでくれ! ジョーク! 二十七才のアダルトジョークだから!
そして白雪さんは「こほん」とひとつ咳払い。気持ちを入れ直して、『恥ずかしいお願い』を僕に伝えたのであった。
「あ、あのですね、わ、私の肩を持って、グッと引き寄せてもらえないでしょうか? それで私の頭を響さんの胸の中に、こう」
白雪さんの頬が、楓色に染まる。
「あの、私達って今、取材中は恋人同士じゃないですか? 恋人だったら、男性はきっとそういうことをしてくれると思うんです。ベンチで肩を並べて座るこういうシチュエーションなら、きっと。……ダメ、ですかね?」
なんて可愛い上目遣いなんだ。そんな目で見つめられたら、断るに断れないじゃないか。でも周りのカップルさんを見ると、そんなふうにしている人達が散見される。そうか。カップルってそういうものなのか。
「だ、ダメじゃないけど……なんて言うか。僕にはちょっとハードル高いなって。そんなこと、今までしたことないし」
「分かってますよ、響さんにそういう経験がないっていうのは」
「あはは……もうバレバレだね」
「バレバレと言いますか、響さんってデート未経験じゃないですか? だから最初から分かってます、そういうことしたことがないって。ただ、今日は恋人として私のわがままを聞いてほしいんです。それに、ほ、ほら! これも取材の内ですから!」
魔法の言葉、『取材』。元編集者としてはこの言葉にめっぽう弱い。作家さんが「取材したいんです」と言えば、どうにかしてでもアポイントを取って叶えてあげたいと思ってしまう。元とはいえ編集者の性というか、職業病というか。
「わ、分かった。か、肩を抱かせてもらうよ」
「はい、お、お願いします」
繋いでいた手を一度離し、僕はそっと白雪さんの肩に手を回した。
「響さんの手、震えてる」
「う、うるさい。それくらい許しなさい」
「はい……」
初めて触れる、白雪さんの肩。力を入れたら壊れてしまうのではないのかと思えるほど、彼女の肩は本当に小さくて、細くて。世の男性が女性を大切に扱う気持ちが少し分かった。男と比べてずっと、女の子の身体は繊細なんだ。
「そ、そのまま、私を響さんの胸の中に」
「い、いい、言われなくても分かってるから」
僕は白雪さんの肩を抱いたまま、そっとこちらに引き寄せた。彼女の頭がぽすんと僕の胸の中に収まる。綺麗な髪からシャンプーの香りがふわっと広がった。こ、これは緊張する。でも、ここは白雪さんのわがままを聞いてあげなければ。
「ど、どう? 白雪さん? 感想をどうぞ」
「い、いいい、今はそれどころじゃないのでちょっと待ってください。し、心臓がバクバクしてて、このまま倒れちゃいそうで」
「お、同じく。僕も緊張で倒れそう」
「そ、それは伝わってきます。だって響さんの心臓、すごい早さで動いてるのが分かるので。でも、男の人の胸ってこんなに広いんですね。ちょっとビックリです」
「そ、それは良かった」
白雪さんは僕の胸に顔を埋めたまま、動かなくなってしまった。両手でギュッと、僕のニットを掴んだまま。
彼女は今、どんな顔をしているのだろうか。顔を胸に埋めているので、表情が見えない。だけれど、これだけは分かる。
白雪さんは今、『初めて』の経験に胸を高鳴らせていることが。
嬉しかった。
僕が白雪さんの『初めて』になれたことが。
『第21話 白雪さんはデートがしたい【4】』
終わり