命の危機
ようやく兵士たちのテントを抜けると、レティシアは速度をゆるめた。ハァハァと呼吸が乱れる。夜空を見上げると、それまで美しいと感じていた三日月が、まるで自分をあざわらっているかのように見えた。
パキリ、と枯れ枝が折れる音がした。レティシアはギクリと身体をこわばらせた。草陰から一人の兵士が出てきた。最初ザイン王国軍の兵士だと思った。だが月明かりに照らされた兵士の鎧を見て戦慄した。
ゲイド国の兵士だ。レティシアの心音はドキドキと激しく打ち鳴らされた。何故ザイン王国軍の野営地にゲイド国の兵士がいるのだ。
ゲイド国の兵士はレティシアを見ると顔を歪めた。
「ほう、女か。しかも、美しい」
兵士は好色は表情でレティシアに駆け寄ると、レティシアの右手を持ち上げた。レティシアは兵士につるされたような状態になった。持たれた腕の痛みにうめいていると、兵士はレティシアが左腕に守っているチップに気づいた。
「何だ、うす汚ないリスだな」
兵士はレティシアの手からチップのしっぽを持って取り上げた。
「やめてよ!チップをはなして!」
レティシアの剣幕に、兵士はニヤリと笑う。
「どうやらこのリスが大事なようだな。このリスを助けたければ、ひざまづいで俺のクツに口づけをしろ」
腕を離されたレティシアはフラフラとひざまづこうとした。その時、兵士の腰にさげている剣が目に止まった。
レティシアは無意識に兵士の剣を引き抜くと、兵士の腕に思い切り振り下ろした。
「ギャァ!俺の腕が!」
兵士がポトリとチップを落とす。レティシアはすがりつくようにチップを受け止めた。
「チップ!チップ!しっかりして!」
ガヤガヤと騒がしい。きっとゲイド国の兵士は一人ではないのだろう。
「おい!どうした?!」
「この女が俺の腕を!この女を捕まえて手足を折れ!動けないようにしろ!」
レティシアは冷水を浴びたように背筋が寒くなった。ここでレティシアは殺されるのだ。早く殺してくれと叫ぶような下衆な事をされながら。それでも構わない。こうなったのはレティシアの自業自得なのだから。
しかしチップだけは守らなければならない。レティシアは手の中にいるチップに穏やかに言った。
「お願い、チップ。私との契約を解除して?」
『?』
「お願い、あなただけでも逃げて」
『それはできないよ。僕は、ずうっとレティシアと一緒』
「チップ」
レティシアはそこで初めて自分が本当に大切なものに気づいた。レティシアが愛するべき者は、冷徹な王子などではない、レティシアの事を常に愛してくれるチップだったのだ。
レティシアは兵士に髪を引っ張られ、仰向けに倒される。二人の兵士がレティシアにのしかかってきた。
「いゃああ!」
レティシア腹の底からの悲鳴をあげた。