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第四十三話 小さな心の行方は何処へ

「あの子、復学させてもいいものなのかしら」
「いつまでもこの田舎町に留めておく訳にもいかないだろう」

 リビングの入り口の横で立ち止まって話に耳を澄ます。

「獣人は力が強すぎるものだけれど、人間を故意では無いとは言え骨折させてしまったのよ。あの子に差別心は無くとも、復学して、いじめとかないかしら」
「あの子だったら大丈夫だ。お前は心配しすぎだよ」
「でも、……やっぱり不安よ。他の孫たちは元気にやっているようだけれど、やっぱり少しは陰で言われているかもしれない」

 人間に怪我をさせた、か。獣人の力がどれほどかは知らないが、ヒューノバーは力の扱い方が不器用だったようだ。……私に寄り添ってくれる彼の好意が、過去の罪滅ぼしも含まれていると言うのならば、それは少しばかりつらいな。

 少々目を閉じて話を聞き、一旦リビングを通り過ぎてヒューノバーの部屋を目指す。扉の前から聞こえてくるのはヒューノバーが誰かと話をしている声だ。きゃらきゃらと笑い声も聞こえる。

「俺ウィルムル帰ったらさあ。あいつにちゃんと謝れるかなあ」
「大丈夫だって! あいつもう骨折治ってるし、この間サッカーしたし!」
「うーん、でも、やっぱり怖いな……。あ、その素材半分ちょうだい!」
「やだー! ヒューノ虎なんだからもっと頑張れって」
「ゲームに虎関係ないだろ!」

 友人らしき子供とゲーム中らしかったが、扉を控えめに叩くと、ちょっと待って〜! とヒューノバーの声が聞こえてきた。こちらに言っているのか、通話の向こう側の子供に言っているのか。とりあえず出てくるまで待ち続ける。しばらくして扉が開きヒューノバーが顔を覗かせた。

「ミツミどしたの?」
「おやすみの挨拶でもと」
「あ、もうそんな時間か! ばあちゃんとじいちゃんに怒られるのやだし寝ようかな〜。でも眠くないしな……」
「眠くなるまで話でもしようか?」
「友達ももう寝るって言ってたし、いい?」
「いいよー」

 入って〜! とヒューノバーの部屋へと入らせてもらう。子供の部屋とは言いにくい内装だったが、ヒューノバーの伯父や伯母の部屋か何かを割り当てたのだろうか。ベッドにヒューノバーが腰掛け、私は勉強机の前の椅子に失礼した。

「ヒューノバーはいつも夜は友達とゲームしているの?」
「うん、なんか、中々眠れなくってさあ。病院では不眠症って言われた。薬も全然効かないから」
「そっかあ。んじゃあ、夜は寂しいね」
「ちょっとそうかな」

 ヒューノバーは首を傾げながら手すさびをし始めた。

「ヒューノバー、お友達を怪我させちゃった?」
「……聞いてた?」
「聞こえちゃった。ごめんね」
「んー……」

 ヒューノバーは言おうか言うまいか迷っているのだろう。口を開いたり閉じたりを繰り返し、顔を少しばかり上げると、あのね。と呟くように話出す。

「友達と遊んでたらさ。そいつ、転びそうになってね。咄嗟に腕を掴んだら、骨を折っちゃって……」
「そっかあ……助けようとしたら、力の加減上手くいかなかったんだ」
「うん……。エンダントってやつなんだ。いいやつ! でも、仲直りできるか怖くてずっと話してない」

 エンダント、まさかのヒューノバーの幼馴染ポジションかよ。同期とだけ言っていたからてっきり総督府で出会ったのかと思っていた。

「エンダントくんって人間なんだ?」
「うん。エンダントが獣人嫌うようになっちゃったら、……俺のせいだ」

 若干めそめそしてきたヒューノバーに、幼少期のこの問題が胸にずっと引っかかっていたのだろうと考える。今現在のエンダントとの仲は良好そうであったが、後悔が未だあるのもあり子供時代の心理世界で現れた事象なのだろう。

「ヒューノバー」
「ん」
「あー、私もさあ。故意じゃないけれど、友人傷つけちゃった時、昔あったんだ」
「そうなの」
「うん。友人はさあ。片親でさ……、お母さんだけの家だったんだ。父親が居なくて羨ましいなあ〜って言ったら怒らせてさ。今にして思えば完全に失言だったとは思うんだけれど、当時はそこまで考え至らずに、無神経に言っちゃってさ。今でも後悔してる。友人は今は気にしてはいないみたいだけど、当時は傷ついただろうなって」

 私が父親を疎ましく思っていようが、それは決して言ってはならないことだっただろう。翌日には忘れたように普通に接してくれてはいたが、思うところはあったはずだ。

 ヒューノバーのこの心理世界はそれと同類の後悔の心理世界なのだろう。今更何を言ったところで後悔が拭えるわけでもなく、ただ心の奥底で苦い記憶として燻り続けるのだ。解決策はない。

「間違いってのは生きていく上でどうしても出てくるものだよ。後悔しても遅いことだってある。ただ自分に出来るのは、エンダントくんと真摯に付き合っていくことだけだと思うよ」
「うん……」
「ずっと心に引っかかっていたこと、教えてくれてありがとう、ヒューノバー」

 ヒューノバーに向かってそう告げると、うん。と頷いて泣き出してしまった。隣に移動して肩を抱く。

「これからは私がずっと居るよ。どんな問題だって一緒に解決していく。だから、これからもよろしくね」
「……ありがとう。ミツミ」

 気が付けばヒューノバーが大きくなっている。いつものあのヒューノバーだ。ぎゅ、と抱きしめられて体が硬くなる。

「俺ずっと後悔してたんだ。あいつにしてしまったこと」
「誰にだって後悔の一つや二つある」
「うん。でも俺だけが気にしているだけかもとか、心の底ではまだ許されていないのかもしれないと思い続けていた」
「……エンダントとはさ、今も関係続けられているってことは、そういうことだと思うよ」

 もう許しているから。それか、許せずともヒューノバーの人となりをよく知ってその上で付き合い続けても構わないと思っているか。

「私もさあ、あれは許せないなってのはあったよ。その上でいい奴だと思って付き合ってた友人だって居たからさ。そういう部類の付き合いだってあるでしょ」
「そうだな……うん」
「ねえヒューノバー。私、ヒューノバーがどんな過去持っててもさ。ずっと一緒に居るよ。悔いも喜びも、色んなこと知って行きたいんだ」

 ヒューノバーの広い背に腕を回して目を閉じた。

「完全に分かりあうなんてこと無理な時はあると思う。でもそれでもいいんだ。一緒に歩いて行ければ」
「俺も、そうだよ」

 ヒューノバーから体を離して立ち上がる。頬に手を添えて、額を合わせた。

「ヒューノバーはいい子だよ。だから夜ももう怖くない。怖いなら朝焼けが見える頃まで付き合うよ。でも今は眠りなさい」

 額が淡く暖かくなった。ヒューノバーは子供の姿に戻り、うとうととし始めた。

「ミツミ……」
「もう大丈夫。眠れるまで側に居るから、ベッドに入りなさい」
「うん……」

 ベッドに入らせるとヒューノバーの手を握る。しばらくすると目を閉じたヒューノバーからは静かな寝息が聞こえ始めた。それに手を離して、部屋の明かりを消した。

「いい夢を」

 額に口付けを落として部屋を出る。扉を背にふう、と息を吐いた。浮上しよう。そう考えて目を閉じれば、緑色の光が視界を埋め尽くし、再び目を開ければ潜航室だった。目の前にはヒューノバーが寝息を立てて眠っている。

 少しの間ヒューノバーの寝顔を眺めていたが、ヒューノバーが、ん、と声を上げて目を薄らと開かせた。

「ミツミ……」
「もう少し休んでたら。どうせ今日は暇だしね」
「うん……ありがとう……」
「どういたしまして」

 別に特別なことはしていなかったが、ヒューノバーは目を閉じると再び寝息を立て始めた。潜航室に空調の音とヒューノバーの寝息だけが静かに漂っていた。私も目を閉じ、ひとりそれを聞いていた。ヒューノバーが再び起きた時、エンダントと仲直り出来たのか聞いてみるか。と思いを馳せた。

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