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第伍章「伊能の本懐」ノ壱

 一夜明けて。
 伊能たち一向は、件の遺跡の中を歩いていた。

「うっひょ~! 測量し放題じゃぁ!」年甲斐もなく、伊能ははしゃぎ回る。

 昨日の戦闘のあと、一向は議論した。議題はもちろん、『進むか退くか』である。
 遺跡を測量したくてたまらない伊能は、もちろん『進む』を推した。が、内心では、皆は一時退却を望んでいるのではないか、とも思っていた。
 何しろバルムンクは全身傷だらけで、度重なる【真・継続は力なり】の解放によって弱体化中。カスパールは銃も弾もすべて失ってしまった状態。伊能も右太ももに自ら付けた刺し傷が残ったままという有り様なのである。このまま進むのは無謀であるかに思われた。
 が、伊能の予想に反して、満場一致で『進む』ことになった。理由は主に、三つ。

 一つは、『遺跡』がもう半日圏内の距離に収まっていたからである。じっくり発掘するのは第三次測量に譲るにしても、ざっくりと測量・地図化して領有権を主張してしまうべき、との意見で一致した。お宝の山が手の届くところにまで迫っているのに、ここで引き返して、次に訪れるまでの間に他家に奪われてしまっていては目も当てられない。

 二つ目は、最強集団と名高い『暗殺ギルド』の、その最高戦力と言われる『屍天王』を全員倒してしまったからである。
 暗殺ギルドを差し向けてきたのが誰なのかは、依然として分かっていない。いや、恐らくは、第一次測量時に盗賊に扮した領軍をけしかけてきた家の者なのだろう、とは伊能も予想している。が、肝心の、それがどの家なのかが未だ分かっていない。『盗賊』たちが、頑として口を割らなかったからだ。ミドガルズ家には自白を促す催眠系の異能持ちもいるのだが、ダメだった。まるで異能で口を封じられているかのような頑強さだったそうだ。
 ともあれ、相手がたとえどこの貴族家だったとしても、昨日の今日で『屍天王』を超えるほどの戦力を差し向けてくるなど不可能だろう。むしろ、今だからこそ安全とも言える。

 三つ目の理由は――これが最も大きな理由だったのだが――遺跡が遠目にも、まったく損傷を受けていなように見えたからである。つまり、魔物に荒らされていない、ということだ。いかなる理由によるものかは分からないが、魔物を寄せ付けない仕組みが遺跡を守っているらしい。
 バルムンクなどは、「魔物を弾く結界? そういう異能具かしら!? 胸が踊るわね!」と小躍りしていた。

 というわけで、依然として魔物の暴走が続いている平原や丘で危険を犯して野営をするよりも、多少無理をしてでも遺跡まで足を伸ばしたほうが安全だと判断したのだ。
 一向は、日が沈みかけるころに遺跡の入口に到達し、そこで野営をした。果たしてその判断は正しかったらしく、昨晩は魔物はおろか野生動物の一匹とすら遭遇することなく、快適な夜を過ごすことができた。
 そうして、今。

「【測量】、【測量】、【測量】!」伊能は本能の赴くまま、測量の限りを尽くしている。「うっひょ~、測量し放題じゃぁ!」

「それにしても、本っ当にキレイなままねェ。これってホントに遺跡なのォん?」

 バルムンクの言うとおりで、遺跡は、昨日まで人が住んでいたと言われたら信じてしまいそうなほど真新しい。なのに、人っ子一人いない。

「魔物を寄せ付けない異能具の他に、劣化を防ぐ異能具が設置されてるとかじゃねぇのか?」

「あぁ、ナルホド」娘の言葉に、バルムンクが頷く。「そういう異能具があってもおかしくはないわねェん」

「おっ、こっちの家で綺麗な宝石見つけたぜ!」

「ちょっとちょっとカッツェ、さすがにお行儀が悪いわよォん。アラ、この異能具は!?」

「おいおいおい、オヤジも人のこと言えねぇじゃねえか」

「だってだってェん、リリちゃん閣下が喜ぶと思ってェん」

 伊能が夢中になって測量している横では、バルムンクとカッツェが女子同士のような会話をしている。
 その、通りを挟んだ向かいの建屋では、

「お、おおお、こ、コレは!?」荘厳な建造物――教会を見上げるバルムンクが、感動に打ち震えている。「な、なんと美しいステンドグラス! この遺跡に人々が住んでいたころから、主は人々の心に宿られておいでだったのですね」

 異能具集めに余念がないバルムンク、装飾品の数々に目を輝かせているカッツェ、メシア教の教会を舐め回すように検分するカスパール。また、カスパールは失ってしまったマスケットの代わりと非殺傷弾を見つけ、喜んでいた。
 めいめいが興味の赴くままに散策しはじめ、自然と単独行動状態になっていく。たとえ屍天王を全員倒したとはいえ、未だ刺客が襲い掛かってくる可能性はゼロではないというのに。探検隊としては許せざる気の緩み。だが、引き締めるべき隊長・伊能自身が測量に夢中になり、率先して単独行動を取っているような有り様だ。

「【測量】、【測量】、【測量】!」太ももの痛みも忘れて、伊能は遺跡の奥へ奥へと突き進んでいく。「【測量】。はぁぁ……知らない土地、知らない文化。【測量】。楽しい。楽しいのぅ、あぁ。【測量】。ワシのうぃんどうにある白地図が、どんどんと埋められていく。【測量】。あぁ、コレじゃ、この感覚なんじゃぁ。【測量】。白地図が埋まっていく光景。不足が充足していく情景。【測量】。コレに勝る快感があるじゃろうか? いや、ない!」

 遺跡は、ごくごく普通の都のように見受けられた。極東生まれの伊能の目から見れば、リリンのお膝元・ミドガルズ伯爵領都とほとんど変わりない。伊能の感覚で言えば『南蛮風の街並み』。女神オルディナに言わせれば、『中世ヨーロッパ風、いわゆるなーろっぱですね』といったところだろう。

(それにしても、ここは本当に『遺跡』なのじゃろうか? カッツェの言った、『劣化を抑える異能具の効果』という可能性もゼロではないが。これではまるで、つい最近まで人が住んでいて、住民全体が避難したり連れ去られでもしたかのようじゃ)

 保管状況も驚きなのだが、もっと驚きなのが、街並みの様子だ。一見したところではミドガルズ伯爵領都とそう変わらないように見える。が、よくよく見てみると、領都よりも圧倒的に優れた部分が目に付く。
 まず、道はすべて石畳製で、水捌けが抜群に良い作りをしている。佐原村の名主をしていた伊能にとって、『道』と言えば至るところに泥濘が溜まり、ひとたび乾けば砂埃が舞う土が剥き出しのものだったはずなのに。
 次に、すべての家屋にはドアノブが付いており、江戸時代生まれの伊能からすれば驚嘆すべきことに、錠前がドアノブと一体化していた。
 鍵が開いたままの家屋が多いため、伊能は中に入って検分してみる。食器は驚くほど真っ白な陶磁器。ナイフとフォークは金属製。窓にはめ込まれた戸は、なんと透明なガラスで出来ていた。中でも伊能を驚かせたのは、

「これは、まさか『蛇口』?」女神オルディナが伊能自身を例えて言った、ひねれば水が出る不思議道具こと『蛇口』である。ひねると本当に水が出てきて、伊能は心底おったまげた。「な、な、なんということじゃ! つまりこの街の文明は、女神様が仰っておられた日本で言うところの『メイジ時代後期』。ワシが生きておった日の本の百年先をいっとるわけか」

 この蛇口一つでも大発見。持ち帰れば、ミドガルズ家の技術レベルは飛躍的に向上すること間違いなし。まさにこの遺跡は、莫大な富の源泉である。

「これは、リリン閣下もお喜びになるじゃろう。此度の測量探検に出て、本当に良かった」

 いよいよウキウキしながら街を歩き回ること、しばし。

「……ん? この反応は」

 道の片隅に、人型の反応を見つけた。倒れている。『魔物が入り込めない結界』のようなものが存在するという仮説に立つならば、この人型は、

「人!? いかん、助けてやらねば……ぅぐおっ」

 慌てて走り出すも、太ももの痛みで立ち止まる。びっこを引きながら、伊能は進んでいった。いくつかの角を曲がると、

「いなさった!」

 メイド服姿の女性が倒れていた。

「申し、申し! 大丈夫ですかのぅ!?」

 伊能はメイド服姿の女性を抱き起こす。

(息はある。衣服と皮膚に著しい汚れ。察するに遭難者かのぅ? 他貴族家にもすでにここまで到達した集団がおって、その集団の世話役として同行した、とか?)

 若い。長い黒髪を白のお団子(シニヨン)カバーでまとめている。顔立ちは東洋風だ。そう、この世界に転生して、自分以外では初めて見た東洋顔である。しかも女性ということで、何とはなしに、伊能は亡き妻・ミチのことを思い出してしまう。

「申し、申し!」女性の肩を叩いていると、

「うっ……」女性が、目を開いた。瞳の色は黒。「あ、アナタ様は……?」

「ワシか? ワシはタダタカ――」

 ――ぐぎゅぎゅぐるるるるぐごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごご!
 伊能の名乗りは、女性の強烈な腹の虫によってかき消された。

「は?」伊能は首を傾げた。「…………は?」

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