第肆章「最弱の異能【斥候】」ノ壱
【Side バルムンク】
カスパールが小石指弾で無双しているころ、丘の上ではもう一つの決着がついていた。
「バカな……」ピエロのような格好をした男――恐らくは刺客【魔物使い】であろう男性が、倒れ伏す。「貴様ら、いったいどこから――ごぼっ」
ピエロが、大量の血を吐く。背中に刺さった矢が、肺の片方を貫いているからだ。今ごろは、陸にいながらにして海の中で溺れているような心地だろう。
『いったいどこから』とピエロは言った。むろんバルムンクたちは、魔物まみれの平原を突っ切って丘に至り、丘を最短距離で駆け上ってきた。ピエロの目の前に、堂々と。不可解なことに、ピエロが物音に驚いてよそ見をしたり、手元のムチをいじったりと、『こちらに都合の良い状況』が『たまたま』続き、ピエロがこちらに気付かなかったのだ。
「良かった、間に合ったわァん」
バルムンクの体から、光が消える。【真・継続は力なり】の効果が切れたのだ。昨晩の反動が解消しきれていない中での、長時間の【真・継続は力なり】の解放。今から丸一日は、立つこともままならないほどの疲労感に見舞われることだろう。
「ごぼっ……こんなところで終われるものか!」血を吐きながら、ピエロが無事な方の肺に残った最後の空気を使い、天に叫ぶ。「暗殺ギルド万歳!」
途端、摩訶不思議な光がピエロの口の中から飛び出して、天で砕けて雪のようになり、平原の魔物たちへ降り注いだ。
(今の感じ……異能?)倒れ伏し、動かなくなったピエロを見下ろしながら、バルムンクは思案する。(今際の際に、異能力を解き放ったの?)
「お、オヤジ、魔物たちが!」
悪い予感は的中した。今まで、あくまで『平原の中』に集中していた魔物たちが、方向性を失い、丘の上まで駆け上がりはじめたのだ。
(やっぱり! 異能を暴走させたのね!? 『平原の中でイノーちゃんたちを探し出して殺せ』という命令を取りやめて、『とにかく暴れ回れ』とでも命じたのでしょう)
となると、ここも安全ではない。
(いや、そもそも、ここは全然安全なんかじゃなかったのよォ)
そう、依然として第四の刺客――伊能の索敵能力を無効化させていた、桁外れの【隠密】使いが近くに潜んでいるはずなのだ。
(イノーちゃんが見つけた『動かない人影』は一つだけだった。つまり、【隠密】使いは自身に【隠密】を掛け続けているのか、もしくは魔物の群れの中で動いている可能性が高いわァん)
「オヤジ、早くこっちへ」
娘に手を引かれながら、バルムンクはフラフラと歩く。すぐに、大木の下に至った。
「この上に避難するんだ。自分で登れそうか、オヤジ?」
「ごめェん、ムリそう」
「分かった。しっかり掴まってろよ」
こちらの半分くらいしかない小柄なカッツェが、バルムンクを背負って木に登りはじめる。異能を抜きにしても、かなり体を鍛えているらしい。娘の思わぬ成長に、嬉しくなってしまうバルムンクだった。
バルムンクを背負いながら、カッツェが木の頂上近くまで到達する。その時、不可解なことが起こった。カッツェが木から落ちたのである。
【悪路踏破】や【木登り】等の【斥候】系スキルを持つカッツェは今まで、転んだり木から落ちることが絶対になかった。だが、事実としてカッツェが木から落ちた。
彼女が足をかけようとした枝が折れ、ならばとカッツェが伸ばした手の先の枝が立て続けに折れた。カッツェは、まるで最初から展開を読んでいたかのような淀みない手捌き足捌きを見せたが、足場にすべき枝が全て独りでに折れてしまった時点で、どうしようもなくなってしまった。カッツェは最後の抵抗とばかりにバルムンクの巨体を木の上に放り投げ、落下していった。
「カッツェ!?」
「オヤジはそこでじっとしてろ!」
カッツェが地面に着地する直前、魔物たちの陰から黒装束の人影が飛び出して、カッツェに強烈な当身を喰らわせた。
「ぎゃっ」吹き飛び、丘の下へと転がり落ちていくカッツェ。
追撃を仕掛けるべく、黒装束が丘の下へと降りていく。
「カッツェ!」
バルムンクは叫ぶが、どうしようもない。弱体化している自分では、魔物の波を通ってカッツェを助けに行くなど不可能だ。
◆ ◇ ◆ ◇
どうも、魔物たちは統率を失ったらしい。こちらを見つけ出そうという動きがなくなった分、伊能は安全なルートをより簡単に探し出すことができるようになった。
自ら刺した足の傷に最低限の手当を施した伊能は、カスパールに負ぶってもらいながら、魔物の波の中を進んでいく。やがてバルムンクが避難している木に到達した。
「イノーちゃん、カスパールちゃん。良かった、無事だったのねェん」
木の上に登ると、弱り果てた様子のバルムンクが微笑みかけてきた。
「バルムンク殿、カッツェは?」
「それが……」
バルムンクから事の顛末を聞かされ、伊能は目の前が真っ暗になる。敵相手ですら助命を乞うほどのお人好しの権化である伊能にとって、仲間のピンチは己の死よりもなお重い。すぐさま木から降りようとするが、
「ちょっとちょっとォん、どこへ行くつもり!?」
「カッツェを助けに行くのですじゃ」
「その足で!? 今は撤退して体勢を整えるべきよォ。本当は、昨日、テンペスト兄弟を撃退した時点でそうすべきだったわ」言いながらも、バルムンクの目は泳いでいる。「カッツェのことなら大丈夫。あの子は強いから」
バルムンクは、明らかに狼狽している。目の前に転がるミドガルズ家にとっての莫大な利益と、従士一人の命。カッツェを見捨てて伊能の安全を確保し、後日改めて遺跡の測量を行うべきだという冷静冷徹冷酷な判断と、今すぐ娘を助けに生きたいという親の情。その二つの間で板挟みになっているのだ。
見かねた伊能は、バルムンクの制止も無視して木から飛び降りる。
「イノーちゃん!? 無茶よっ、戻ってらっしゃい!」
【測量】を駆使して魔物たちの死角をかいくぐりながら、丘の下――カッツェが落ちていったという場所へ向かっていく。
「……っ」足の痛みなど、今は無視だ。(これ以上、誰も亡くしとうない。身近な者の死など、もうたくさんじゃ!)
◆ ◇ ◆ ◇
【Side カッツェ】
カッツェは黒装束――屍天王トップを相手に苦戦していた。黒装束が腕を振るうたびに、見えない無数の刃が空中を走り、カッツェの皮膚を血で染め上げていく。致命傷には至っていない。が、これは恐らく、
(……遊ばれている)カッツェは歯噛みする。(恐らく、アイツが本気を出せば、俺様は一瞬でサイコロステーキだ)
「ふふふ、お前にはこの攻撃が視えまい」黒装束が笑う。「私はハシシ。暗殺ギルドが誇る最強集団『屍天王』のトップだ。私の異能は【アサシン】――」
カッツェは驚愕する。カッツェは職業系異能の中でも最弱の【斥候】。斥候系職業には上位職の【レンジャー】、さらに上位職の【シーカー】があり、最上位職に【アサシン】がある。
【斥候】が使う、自身の気配をほんの少し薄くする程度の異能【隠密】などと異なり、【アサシン】の扱う【隠密・極】は自身のみならず周囲の存在すら【隠密】の範囲に取り込み、敵の【索敵】系の異能からその身を隠すことができるのだという。大量の魔物が伊能の【測量】をかいくぐり続けることができたのは、間違いなくコイツの異能によるものだろう。
最弱職【斥候】のカッツェにとっては、逆立ちしても勝てない相手だ。
「――だけではなく」いや、敵の口上はまだ終わっていなかった。「【ニンジャ】」
(【ニンジャ】!? 遠く東方における【斥候】系の最上位職! コイツ、ダブルホルダーか!?)
「その二つを兼ね備えた【ニンジャ・アサシン】だ。この世に二つとない、空前絶後、最高至高の究極職業。それが私の異能だ」
(なんてことだ……)
「我が奥義【インビジブル・ブレード】で死ねること、光栄に思うがいい!」
視えない斬撃が全方位から殺到し、カッツェは一瞬で全身血まみれになる。
(バレるのを恐れてる場合じゃない! 出し惜しみなんてしてたら瞬殺される!)
カッツェは『半分』、覚悟を決めた。異能力を解放する。途端、全身の傷が塞がった。再び、全方位から無数の見えない刃が襲い掛かる。カッツェは全身血まみれになる。が、次の瞬間、傷が塞がる。
再び、全方位から見えない刃。
(いや、違う。隙間がある!)刃自体は目に見えない。が、『見えない刃に斬られた』という結果は目にすることができおる。ここは草原。足元の草花には事欠かない。(ここだ!)
カッツェは見えない刃の隙間を横っ飛びに避ける。が、それは敵の罠だった。カッツェの右足がぬかるみに沈む。
(異能解放!)
――かに見えたが、その右足はぬかるみのギリギリ手前に着地していた。
敵が何度も何度も【インビジブル・ブレード】を放ってくる。敵はあの手この手でカッツェを足場の悪いところへ誘導しようとする。が、不思議とカッツェは転ばない。『転んだ』と思ったその瞬間、異能力を解放して、『転ばない未来』へ至っているのだ。
「お前の異能は職業系の中でも最弱の【斥候】だと聞いている。だが」見えない刃を繰り出しながら、敵が言った。「それはフェイクだな? 【斥候】は【手当て】が使えるが、お前はそもそも怪我を負っていない。お前のカチューシャは俊敏性を上げる異能具だと吹聴しているが、テンペストの話では、それは聴力を強化するものだな。【地獄耳】は【斥候】の異能の一つ。だが、それもフェイクだ」
(まずい……)カッツェは冷や汗が止まらない。
「逆に、お前のその無駄のない脚運びは何だ? けして俊敏なわけではないのに、気が付けば私の死角に潜んでいる。けして動きが速いわけではないのに、私の攻撃が当たらない。それも、見えない刃である私の【インビジブル・ブレード】が! お前は極めてレアな異能を持っており、それを隠している。何だ? 何の異能だ!?」
(まずいまずいまずい、ほとんど看破されている! 俺様の異能の正体がバレたら、強制的に【魂の誓約】が発動しちまう。【魂の誓約】は最強の切り札だが、同時に下手すりゃ俺様が破滅する諸刃の剣だ)
【魂の誓約】は、最上位職業系異能【王者の素質】を持つリリンに許されたサポート系の異能。その能力は、『リリンが絶対機密と定めた事柄が漏洩した場合、全能力が数百倍化する代わりに、漏洩対象が全員死ぬまで一睡もできなくなる』というもの。『命に変えても機密を守れ』という、実に王らしい異能である。冷徹な領主であろうとしながらもお人好しさの抜けきらないリリンには不釣り合いな異能とも言える。
カッツェはリリンから、『ある事柄』を絶対機密に指定されている。それは、カッツェの異能にまつわることだ。
「貴様、やはり【斥候】ではないな? 【斥候】はカバーストーリーだな。他人に公開できないような、極めて希少価値の高い異能と見た」
今ここで自ら異能の正体を声高に叫べば、カッツェは【魂の誓約】の効果でパワーアップすることができる。が、同時に、今日、この場で暗殺者ハシシを確実に殺しきる必要性が出てくる。逃がしてしまえば最後、カッツェは死ぬまで眠れなくなる。
(相手は【ニンジャ・アサシン】だ。恐らく、世界で最も隠密に長けた人物。ここで逃がしたが最後、次に相まみえるのは不可能だろう。ああ、けどよ、アイツが俺様の異能の正体に気付いていないって可能性だって、ゼロじゃないんだぜ!? ヤツが饒舌に喋っていることはすべて、俺様を焦らせるためのブラフなのかも知れねぇ。いや、俺様のことをここまで詳しく調べているヤツのことだ。リリちゃん閣下の【魂の誓約】のことも知っているのかも知れねぇ。俺様を自滅させるために、自ら異能の正体を口にするよう誘導しているのかも)
カッツェの焦りが極地に達し、思考が限界を迎える。
(どうする、どうすればいい!?)
「貴様の異能の正体は――」
(ああ、クソ! どうにでもなりやがれ!)
カッツェが大きく息を吸い、自分の異能の正体を告白しようとした、
その時。
「うわぁあ~~~~!」
ガラガラガッシャーンッと、背後に何かが降ってきた。
「……な」カッツェは開いた口が塞がらない。「な、な、な、何だとぉ!? クソジジイ! なんでてめぇがここにいる!?」
「いやぁ、はは」満身創痍の少女が、にへらっと微笑んだ。「お主が心配で来てしもぅた」
「来てしもぅた、じゃねーよ!」外見は美少女、中身はジジイの可愛らしい微笑みを前に、カッツェは卒倒寸前だ。「オヤジのマネすんな、気持ち悪い! ぶっ殺すぞ!」
と言いつつ伊能を抱え上げ、アサシンから距離を取るカッツェ。
(危なかった危なかった危なかった! ジジイのいるところで異能の正体をぶちまけてたら、ジジイまで殺さなきゃならなくなるところだった!)
【魂の誓約】に敵味方の判別能力などない。いや、そもそも『絶対機密』とは味方に対してすら秘密にすべきものなので、機密を耳にしてしまった時点で、その味方も抹殺対象になるのだ。
「カッツェや、大丈夫じゃったかのう?」
そんな、カッツェの激しい動揺などつゆ知らず、伊能がカッツェの背中からのほほんと話し掛けてくる。
「大丈夫に見えるのか!? このトンチキ野郎!」
「そうかそうか。無理を押して助けに来た甲斐があったというものじゃ」
「ちげーよ。ついさっきまでは大丈夫だったんだ。けど、たった今、大丈夫じゃなくなった! 誰かさんの所為でな!」
「ほうほう、それは大変じゃのぅ。【測量】――三秒後に右斜め四五度に跳べ」
言われたとおりに跳ぶと同時に、【インビジブル・ブレード】が襲い掛かってきた。が、伊能の指示のお陰で傷一つない。
(見えない刃すら視えるってのか! ホントすさまじいな、爺さんの【測量】は)
だが、状況は何一つとして改善していない。むしろ悪化したのだ。
(【魂の誓約】が使えないとなると、勝ち目なんて万に一つも……)
【魂の誓約】の威力は、あまりにも強力だ。『全能力が数百倍化』と簡単で言うが、例えば数百倍化した腕力なら、岩だって拳一つで粉砕できるし、剣を叩き折ったり、鎧を握りつぶすことすら可能だ。数百倍化した脚力なら、空高く舞い上がることすらできる。それで着地のときに体を壊すかというと、そういうこともない。体――骨・筋肉・皮膚の頑丈さも数百倍化されるからだ。
無論、異能力も数百倍化される。カッツェが頑なに秘密にしている『ソレ』が数百倍化されたとき、『ソレ』は驚くべき威力を発揮する。だからこそ機密にしている、とも言えるのだが。
(俺様はいつだって、【魂の誓約】に助けられてきた。斥候兵として敵陣のど真ん中に潜入し、敵に見つかった時。俺様は【魂の誓約】を使って切り抜けてきたんだ)
『死神』
『味方殺し』
『カッツェが命からがら帰ってきた時、カッツェと組んでいたペアは必ず死んでいる』
ミドガルズ領軍にはびこる悪いウワサは、すべて本当のことだった。
(死の淵に立たされた時、俺様はいつも必ず、隣にいる同僚に『機密』を打ち明けた。打ち明けることで【魂の誓約】を発動させ、その力で窮地から脱した……この手で、同僚を殺して)
何度も何度も何度も、そうやって切り抜けてきた。
実に、七回も。
(そうさ、今まで何度もやってきたことじゃないか。なんのことはない。イノーの爺さんが、八人目の『同僚』になるだけのことさ。ほら、さっさと口にしろよ、カッツェ)
カッツェの唇が震える。言うべきだ。自分はこんなところで死にたくない。自分の命を助けるために、伊能を見殺しにすべきだ。だが、ああ。
(言いたくない。イノーの爺さんを殺したくない)
二度に渡る測量の旅で、カッツェはすっかり伊能のことが気に入ってしまっていた。伊能に絆されていた。
『同僚は消耗品』
『いつ見殺しにするやもしれない道具』
そう思い込むことで、カッツェは自分を保ってきた。だから、男勝りな服装やぞんざいな言動、『俺様』などという一人称で、周囲に対して攻撃的な態度を取り続けてきた。そうしないと、隣を歩く誰かと仲良くなってしまいそうだったから。仲良くなってしまったら、『消耗品』などと思えなくなってしまう……そのことが恐ろしかったから。
「【測量】――四秒後に真左へ三歩移動。さらに二秒後に右斜め三〇度へ五歩移動。直後に全力後退」
伊能に指示されるまま、カッツェは【インビジブル・ブレード】から逃げ回る。敵の攻撃はますます激しさを増している。一方の自分はジリ貧だ。いくら体力に自信があるとはいえ、人一人を負ぶったままの全力疾走は、そう長い間持つものではない。
決断の時は、迫りつつある。
(あぁ、クソ。言いたくない。言いたくねぇなぁ)カッツェの瞳が涙で滲む。(言いたくねぇ。俺様の異能の正体が、エレクトラユニーク異能【■■■■】だって)