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第二十八話 なでなで作戦

「はー、今日はひやひやしたな〜」
「でもいい経験にはなったでしょ」

 終業後、ヒューノバーと廊下を歩いていた。のろい私に合わせて歩いてくれるヒューノバーに、でもさあ〜と話を振る。

「結構危険な仕事だよね。精神にダメージ負うと現実でも結構危ないんでしょう?」
「そうだね。深い傷を負うと何日か意識が戻らないことがあるし、最悪の場合は死んでしまう」
「やっぱ怖〜」

 ここに連行されてくる潜航対象者は潜航が難航する人物や、それなりに危険が伴う人物なのだろう。不可解なことや危険な場面などこれからはもっと増えていくのかもしれない。なんだってそんな仕事に就かなければならないのか、と少々文句を言いたくなった。

 まあぶつける相手は決定権を握っているであろうグリエルだが、テッペンに楯突くことが出来るほど肝は据わってはいない。結局のところ我慢する他ないのだ。喚びビトと言えど私は下っ端でしかないのだから。

「ヒューノバーは夕飯どうするの」
「ここで食べて行こうかと思ってる。一緒に食べよう」
「いいよ。今日は何食べよっかな〜。あ、ちょっとお手洗い行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」

 遠目に見えたトイレに向かいながら夕食のことで頭を満たしながら入り口に入ると、どん、と肩が誰かとぶつかった。不注意だったとすぐさま謝罪の言葉が出たが、顔を見上げると、自身よりも高い位置に顔がある。たてがみはないがライオンの獣人らしかった。恐らく女性だ。まあここ女性用トイレだしな。と考える。

「申し訳ありません」
「……どこに目が着いているのかしら」
「う……ほ、本当申し訳ありません」
「喚びビトさん」
「え、あ、はい」

 私のことを知っているらしい。まあここの職員ならば知っていても不思議ではなかったが、彼女を見かけたことはなかった。もしかしたら食堂かどこかで私を知った可能性はあったが、彼女にいちゃもんをつけられるような接触はない。なんだろう。と言葉を待つ。

「あなた、本当にヒューノバーさんの番になる気? あの方にふさわしいのか疑問だわ」
「はあ……」

 何か気に触るようなことはあっただろうかと考えを巡らせるが、ぶつかったことなら謝ったし、心当たりが無さすぎた。

「あの方、虎なのよ」
「そうですね」
「気高き虎に似合うのは気高きライオンだとは思わない?」
「……あのう、何が言いたいんでしょうか」

 話が読めなさすぎる。

 いや待て、そういえばミスティがライオンの獣人の女性に気をつけろ的なことを言っていたような気がする。ヒューノバーを狙っているとか。肉食系女子ってやつだなあ。と呑気に考える。

「あの方にあなたはふさわしくない。わたくしのようなライオンこそ番になるべきだわ」
「今日日わたくしと来たか……」
「なに、文句がおあり」
「いや……ないっス。どうぞ続けて……」

 ややこしいのに巻き込まれるのは苦手だ。男女の駆け引きだって苦手なのに、それに関していちゃもんをつけられるのも面倒極まる。

「あなたにどれだけスフィアダイブの才能があろうが、あなたは人間。獣人の番にはふさわしくはないわ」
「でも上で決定しちゃったことですから、私からはなんとも言えないというか……」

 さっさとトイレを済ませて夕飯を食べたいなと思考を飛ばしかけたが、そんなことしたらこの神経質そうな彼女はぶちギレそうだな。と意識を手繰り寄せて戻す。

「あなたの意志はどうなのよ」
「私の……ですか」
「あなた、ヒューノバーさんに気はあるの。いい加減な態度で接しているのなら、わたくしがいただきたいものだわね」
「まー、悪くは思ってはいないですけど」
「ほんっとう、雑な女」
「ええ……」

 なんでこんな貶されているんだろうか。若干気分が悪くなってきてしまった。一旦逃げてヒューノバーに助けを求めようかと考えていると、彼女にがっしと両肩を掴まれた。驚いて肩が跳ねる。

「あなた、逃げようとしていなかったかしら」
「え」
「目線が入り口に向かったわね。逃げてあの方に助けを求めるおつもりかしら」

 こちらの魂胆はばればれらしい。うう、逃げたい。徒党を組んで攻め立てるタイプでは無いようではあったが、それでも彼女の威圧感はものすごい。流石ライオンだけはある。

「あなたがどんな人間だろうが、あの方にふさわしいのはわたくしだわ」
「ヒューノバーのこと好きなんですか?」

 純粋な疑問として浮上したので聞いてみると、頬に手を当てて女性は熱い目をした。

「初めて出会った時から、心に決めていた方ですわ」
「へえ、でも警務局に配属になった当時から、番になることは決まっていたんですよね。ヒューノバーって」
「そんな決まり事、わたくしには関係ございませんもの。恋の前に決まり事なんて無力だと思いません?」

 めちゃくちゃ有力だろう。と言葉が飛び出しかけたが口を噤む。情熱的な恋ってのは、やはり周りが見えなくなるものらしい。

「アプローチとかして来なかったんですか」
「あの方、身持ちが硬い方ですから、ご自分の使命に向かって一直線、想いは何度も伝えましたのよ。それなのに、あなたが!」
「……なんか、すみません」

 私の存在故に叶わぬ恋だったらしい。私がまだ来ていなかった当時からヒューノバーはひとりを貫き通していたと。結構義理堅いやつだなと考える。

「あなたさえ居なければわたくしが選ばれて当然なのです。ですからあの方から離れてください」
「無理言わないでくださいよ。仕事でもあるんですから」
「じゃあ心理潜航捜査官なんかお辞めになってくださいませ」
「職務放棄とかもっと無理ですよ! なに言ってんですか!」

 肩にぎりぎりと力がこもって痛い。女の嫉妬ってやつは怖いものだ。彼女以外にもヒューノバーに想いを寄せる女性は多いのだろう。今回関わってきた彼女はその中でも一層情熱的、はたまた盲目的なほどヒューノバーに心酔しているようだ。ラブイズブラインドってやつだなあ。と呑気に思う。意識を遠くに飛ばしかけたがここから逃げねば、というかすぐさまにでも心底から逃げたい。

 ここから逃れるには、これだ! と思い切りしゃがみこむ。肩から手が外れて自由になり、手を床に手をついて一気に立ち上がって駆け出した。

「ちょ、お待ちなさい!」

 ライオンの女性の声を無視して外に出るとヒューノバーが壁にもたれて腕時計型のデバイスを弄っていた。私に気がつくと手を上げたが、後ろの女性にも気が付いたらしく困惑した表情を見せた。

「ヒューノバー! 撫でさせて!」
「え? え?」

 ヒューノバーの首元の体毛に手を埋めてわしゃわしゃと撫ぜる。困惑状態のヒューノバーだったが次第にごろごろと喉を鳴らし始めた。そうして後ろからは女性の悲鳴が聞こえてきた。

「あ、あなたヒトがいる場所で一体何を!?」
「み、ミツミ、なに、どうして、んえ?」

 以前のミスティの反応から、獣人たちにとって撫でるという行為はかなり親密な関係でなければならない。そうして人前では憚られる行為。と察していた私はヒューノバーを撫で続ければ女性を追い払えるのでは、と考えたのだった。

「は、破廉恥だわ!」
「今日日破廉恥と来たか……」

 女性は駆け出して廊下の角を曲がっていった。それを確認して私はヒューノバーから離れる。

「あの、一体何があったの……?」
「まあ、女の戦いが、な」

 ヒューノバーは困惑していたが訳を告げる訳にもいかず誤魔化す。ごめんもうちょっと撫でてもいい? と聞いてみると、ここでは危険です! と照れと焦りの混じった叫びが返ってきた。やはり私の考えは正しかったらしい。

 トイレに再び戻って用を足してから二人揃って食堂へと向かった。

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