怒りのエミール 2
夏も近い穏やかな春の夜。
カルローニ伯爵家本宅の執務室には、怒り狂う男の声が響いていた。
「なんだって⁈ イングリッド・ウェントワース男爵令嬢を、愛人にしたい⁈」
「はい、父上。それがアデル嬢と結婚するための条件です」
エミールは、必死になって考えた。
そして結論を出した。
結婚だけが絶対じゃない。
だから結婚はアデルとして、イングリッドは愛人にして囲えばいいじゃないか。
エミールはそう結論を出し、自分の考えを父親に伝えた。
とてもよい考えだと思って自信満々に話していたエミールは、父であるカルローニ伯爵が、ぷるぷると震え、真っ赤になって怒り出したことに驚いた。
「お前はっ、一体なにを考えているんだ⁈」
「はい?」
エミールは父に、なにを言われているのか分からなかった。
彼自身は色々と考えているし、自分の人生を好きに生きたいと思っていた。
経済的に裕福な商売と伯爵位を継ぐ、エミールの未来はバラ色だ。
その色を、もっともっと華やかにしたい。
それが我儘なことだとは、エミールは欠片も考えてはいなかった。
「結婚もする前に愛人を持とうだなんて、間違っているだろう⁈」
エミールには、なにが間違っているのかが分からない。
それどころか、父の頭のほうを疑った。
エミールはカルローニ伯爵が五十を超えて、ようやく授かった嫡男である。
他にライバルはいないし、彼は甘やかされて育った。
商会も、爵位も、じきに自分が継ぐことになるのだ。
その自分が、間違えるはずない。
間違っているとしたら、父の方だと信じて疑わなかった。
「だいたいお前は、家を継ぐことを何だと思っているんだ⁈ 屋敷や商会で働く使用人はもちろん、取引先への責任だってあるんだぞ⁈」
また父の説教が始まったと、エミールはうんざりした。
金と権力を持っている者には相応の責任がある、という話は何度も聞いた。
エミールは唇を尖らせながら父に言う。
「分かってますよ、父上。でも我が家の商会は、国で一番大きいんですよ? 滅多なことは起きませんよ」
「油断大敵だと、いつも言っているだろう? まったくお前ときたら。せっかくお前のためを思って、よい縁談を取りまとめたというのに……」
渋い顔をする父に向かって、エミールは反抗的な態度をとった。
「そうおっしゃいますけどね、父上。アデル嬢のような地味な令嬢を妻にしても、商売の邪魔になるとしか思えません」
「何を言っているんだ、お前はっ。アデル嬢は、キャラハン伯爵家の令嬢だぞ。家を継ぐのは長男だが、あの家に子どもは二人しかいない。その分、アデル嬢がキャラハン伯爵家の商会から受ける恩恵も厚いんだ。分かってるのか?」
父はアデルの価値を、高く評価しているようだ。
だがエミールには、その理屈がさっぱり分からない。
キャラハン伯爵家の商会が大きいといっても、国で三番手くらいだ。
我が家はこの国一番の商会を抱えているし、領地経営も順調にいっている。
キャラハン伯爵家とのつながりに、そうたいした価値があるとは思えない。
「それにキャラハン伯爵家の商会は、王族や貴族とのつながりが深いんだ。我が家の商会とは客筋が違うから、メリットが高いんだぞ⁈」
父がキャラハン伯爵家とつながる価値をしつこく話しているのを、エミールは冷めた気持ちで聞いていた。
キャラハン伯爵家がどんなに立派で価値のある家だったとしても、そのすべてを無にするほどアデルが地味なのだからしょうがない。
貴族にとって見栄えはそれだけ大事なのだ、とエミールは思った。
カルローニ伯爵家本宅の執務室では、話の通じない息子にイラつく父親と、父親の意がくみ取れない息子による、実りのない話し合いが夜遅くまで続いてい