怒りのエミール 1
エミールは激しく怒っていた。
エミールはカルローニ伯爵の息子であり、次代のカルローニ伯爵でもある。
カルローニ伯爵家といえば、商会を営んでいて裕福なことで有名な家だ。
その伯爵家を継ぐことになるエミールには、富と権力が約束されていた。
「私ほどの男なら、伴侶は選び放題なのが普通だ。それなのに、アデルのような地味な女を娶れ、だって⁉ こんな理不尽があるかっ」
エミールは自室の椅子に乗っていたクッションを、床へ向かって投げつけた。
怒ってはいても、高価な調度品は傷つけない。
こんな時にも配慮できる自分って凄い、くらいのことを思いながら、もうひとつクッションを床に向かって投げつける。
エミールは、自身の冷静さと、価値を、疑ってはいない。
「傲慢などではない。これは正当な主張だ」
父はエミールのことを軽率だ、傲慢だと言うが、本人には全く自覚はない。
不当な扱いを受けたと思っているエミールは、不満のあまり正気を失いそうになっていた。
この婚約を決めた父親の正気を疑ってすらいる。
エミール自身は、派手な美形だ。
艶やかに煌めく金髪に澄んだ青い瞳、整った甘いマスク、スラリと背の高い均整のとれた体を持っている。
家柄にも、財産にも、見た目にすら恵まれている自分が、なぜアデルのように地味な女で我慢しなければならないのか。
この婚約について、エミールは全く納得していなかった。
だが誠実であるためにはしなければならないことがある。
エミールは婚約のことを、イングリッドに告げた。
「エミールさまぁ~。私はエミールさまに、捨てられてしまうのでしょうか? 悲しいですぅ~」
恋人のイングリッドは、赤い瞳を潤ませて、エミールを見上げていた。
イングリッドは、男爵令嬢だ。
身分でいったら、伯爵位を得る自分にはふさわしくない。
だが彼女は、ふわふわしたピンク色の髪と、赤い瞳を持っている。
赤い瞳は珍しくもないが、ふわふわしたピンク色の髪との組み合わせは珍しい。
それにイングリッドは、体は細いが胸は大きい。
身長は160センチほどと低めだが、180センチに少し届かないエミールにはちょうど良い。
(イングリッドこそ私にふさわしい女性だ)
エミールは甘い笑顔を浮かべると、愛しい恋人に告げる。
「私が貴女を捨てる、なんてことはない。そんな必要など、ないだろう? 私の可愛いイングリッド」
「エミールさまぁ~」
スリスリとすり寄ってくるイングリッドは、実際に可愛い。
可憐で可愛くて、情熱的で美しく、その上色っぽいイングリッドの持っている欠点といえば、男爵令嬢であるということだけだ。
(爵位の釣り合いさえとれていたなら。何の問題もなく結婚できたのに)
実際には爵位以外にも問題はあるのだが、恋に狂うエミールがそれに気付くことはない。
だから安易に甘い言葉を、愛しい恋人に向けるのだ。
「アデルなんていう可愛くない女より、君のほうがずっと魅力的だよ、イングリッド」
「嬉しいです、エミールさまぁ~」
カルローニ伯爵家が所有する中でも一番小さな部屋が、イングリッドとの逢瀬の場所だ。
父の許可は得ていないが、いずれは自分のものになるのだからとエミールはさして深くは考えてはいない。
それにエミールは父の感情よりも、イングリッドがどう受け止めるのか、ということの方が気にかかる。
この部屋は、カルローニ伯爵家の財力を考えたら粗末すぎる。
だが、それについて彼女が文句を言ったことはない。
「私はエミールさまと一緒にいられて、それだけで幸せですぅ~」
そう言って笑ってくれる可愛い人。
それがエミールにとってのイングリッドだ。
アデルなんていう地味で可愛げのない女とは、比較にすらならない。
エミールはイングリッドと一緒にいたかった。
できれば結婚したい。
一生手放したくない存在だ。
だから、彼は言った。
「君と一緒になれるように努力するよ」
「嬉しいですぅ~エミールさまぁ~。私、いい子で待ってますわぁ~」
「ああ、なんて可愛い人なんだ、イングリッド」
エミールは、イングリッドのツルツルしたピンク色の髪にほおずりしながら、彼女と一緒にいられる方法を必死になって考えていた。