第二十話 呪いの再演
手を繋いで下層への階段を降りながらヒューノバーと話をする。
「ミツミさん、潜航酔いしないのが羨ましいです」
「やっぱり深く潜ると酔っちゃうんだ」
「最下層に潜るには潜れるのですが、かなり酔いが強いんですよ。より深く潜れる人と共とならある程度軽くはなるんです」
「拒否反応みたいなものがあるのかな。心の中に異物が入り込む訳だし」
「心理世界において相性とかもあるんですけれどね。ただ犯罪者は事前に心理潜航されるのを通達されると心を見せたくないとか、敵は排除するという感じでかなり異物扱いされます」
わざと通達しない場合もあるそうだ。確かに自分の心を探られるのを知ったなら私だったら心を固く閉ざそうとするだろう。
心理潜航捜査官なりに大変な場面も多かろう。次の第五階層、潜航対象者の心理世界では深層心理に近づくにつれ本能的になる。攻撃されないという保証はない。気を引き締めた方がいいだろう。
下に扉が見えてきた。ヒューノバーと階段を降り切って扉を開ける。どこかの民家、恐らくディリスの実家だろう。ある一室から怒鳴り声が聞こえてきた。ヒューノバーの後ろに隠れてその部屋へと向かう。そっと覗いてみるとリビングらしい部屋だった。
男性の獣人と女性の獣人が怒鳴り散らしている。どちらも狸の獣人に見えた。
「あんたは穢れてるよディリス。体を売って稼いだ金でどうするつもり」
「そ、それは……」
「お前をひとりにするべきじゃなかった。見張れるように家業を手伝わせるべきだったよ。大学なんざ行かせるべきじゃあなかったな」
「あんたは失敗作だよ。お兄ちゃんを見習いなさい。家業継いで立派に働いてる。なのにあんたときたら……金は没収するからね」
「や、やめてよ母さん……僕、必死に貯めて」
「体売った金なんて気持ち悪い。大学は中退しなさい」
親子の言い争い、というか両親が声を荒らげて一方的に捲し立てている。ディリスは怯えながら、お願いだからやめてほしいと懇願している。けれど両親は耳を貸そうとはしない。
やるせない。ディリスの両親は子供を縛り付ける親らしい。私の時代で言うなら毒親だ。だからこそディリスは金を貯めて家を出たかったのだろう。
「お兄ちゃんはあんなに良い子なのに、あんたときたら男遊び。悍ましいわ」
「……もう嫌だ……」
「なんだ。何が嫌なんだ?」
「あんたら、あんたらみたいなやつら、親だなんて思いたくない。今すぐに出て行く。もう帰らない」
「親に向かってなんだその言い方は!」
ディリスの父がディリスの頭を掴んで壁に叩きつけた。大きな音で思わずすくみあがる。ディリスは父親を振り払ってこちらに走ってきた。隠れる場もなくバレるかと思ったが、気づいた様子もなく通り過ぎて二階へと上がって行った。
「どうする、追う?」
「いえ、下層への入り口を探しましょう」
ヒューノバーは堂々とリビングに入ってゆくが、両親は気に留めた様子はない。潜航対象者本人がいなければ人形と大差ないのかもしれない。色々と家の中を見て回るが、入り口は見つからない。ヒューノバーと両親の部屋らしき一室に入ると、子供の獣人が部屋の隅で体育座りで膝に顔を埋めていた。
「……ディリス」
「こっち来ないでよ兄ちゃん。兄ちゃんと仲良くすると僕殴られるんだから、やめてよ」
小さなディリスは顔を上げると立ち上がって部屋を出て行った。あれは……。
「あれは、子供の頃のディリス……?」
次に風呂場に向かうと、ディリスは洗面台でげえげえと吐いていた。中学生ほどに見える。
「ディリス」
「兄ちゃん、父さんたちにおべっかするのはいいけど俺巻き込むのやめろよな」
私の肩を殴ってディリスは風呂場を出て行った。何故複数のディリスが存在しているのだろう。ヨークとサダオミに相談してみる。
『多重人格の根源かもしれないね。自己防衛のために複数の人格を作り出す。幼少期からの両親による贔屓やネグレクトだろう』
『最下層に向かってみてください。答えがあるかもしれません』
家の中を探し回ったが見つからない。外に出てみると物置小屋らしきものがあった。建て付けの悪い引き戸を引くと、第六階層への入り口が存在していた。
ヒューノバーと手を繋いで降ってゆくが、ヒューノバーはぐう、と具合が悪そうに唸った。
「大丈夫? 潜航酔いしてる?」
「少し……でもいつもよりは軽いですから」
階段が終わって最下層に辿り着く。だが一面真っ暗闇だ。どこにも出口が存在しない。
「出口どこなんでしょうか」
『……恐らく、そこ自体が最下層です。深層心理の最奥には、時たま何もない暗闇だけしかないことがあります』
一旦ヒューノバーが落ち着くのを待ってから行動を再開する。歩けど歩けど、闇しか存在しない。ヒューノバーの手を強く握って心細さを誤魔化す。
ぎゃあ! と男性の叫び声がした。そちらを見れば倒れた男性の上にまたがって刃物を何度も突き立てるディリスの姿があった。
「やめ」
「待ってくださいミツミさん」
ヒューノバーに手で制される。これは恐らく今まで犯してきた犯行の記憶。自分たちが介入できる事ではない。そう告げられる。
男性は何度も悲鳴を上げて逃れようとしているが、悲鳴も動きもどんどん力弱くなってゆく。
別の方向から違う悲鳴が上がった。見ればそちらでも犯行が行われている。悲鳴がどんどん増えて、消えてゆく。それに思わず吐き気が込み上がってきた。
「う……」
「大丈夫ですか」
「あんまり見たくないね……こういうの」
どうにか吐き気を飲み込む。暗い空間の中、ふわ、と風が揺らぐように煙のようなものが目の前をよぎってゆく。目で追えば中学生ほどのディリスの姿があった。