8話 旅立ち2
「ウタちゃん」
「はい」
山小屋に戻ってきた所で、カイラがふいに私を呼び止めた。
「ルネちゃんのこと、頼むよ。あの子、時々突っ走っちゃうからさ。」
「ええ、大丈夫です。お任せください。」
初対面で大事な耳を落としたルネを思い出し笑ってしまうが、そんな私の表情を見て、カイラも柔らかく笑った。
「カイラ、見送りしないのか?」
「私はここでいい。また戻ってこいよ。その時は狩りの仕方でも教えてやるから」
「はい、必ず」
そう約束を交わした瞬間、山の向こうから太陽が顔を出し始める。次第に世界が色づき、朝の光が私たちを柔らかく包み込んだ。
◇
「そういえば、薪割りやってくれたお礼を言ってなかったな」
メリセアさんの家に到着すると、ラムエナが声をかけてきた。
「いえいえ、大したことじゃありません。他にやることがなくて、むしろ助かりました。」
「昔、国境の兵士をやってた時期があったんだが...ヒザに矢を受けてしまってな...」
──何処かで聞いたようなセリフだ
「それ以来、昔みたいに斧を振るうことはできなくなっちまった。」
ラムエナが少し遠い目をしてつぶやいた。
「そうだったんですね」
彼女の言葉には後悔というより、どこか吹っ切れたような穏やかさがあった。そして、ふっと優しい笑みを浮かべる。
「けどな、そのおかげでメリーに――メリセアに出会えた。そして今じゃ、ふたりの娘までいる」
「はい、とても幸せそうに見えます。」
「あぁ...だから、焦るなよ」
その言葉に不意を突かれ、思わず足を止める。まっすぐな瞳がこちらを見据え、芯のある優しさと信頼がそこに宿っていた。
「お前なら大丈夫だよ、きっと見つかる」
「はい」
「ちょっと待ってろ」
ラムエナは納屋へ駆け込むと、一振りの斧を持って戻ってきた。それはどっしりとした柄と鋭い刃を持ち、見るからに頑丈そうだった。
「薪割りの時、こいつも出してただろ?これは敵の頭をかち割るヤツだ。やるよ」
「え?いやでも斧はあまり慣れてなくて...」
「大丈夫、剣より技術はいらん。相手が鎧を着ててもぶっ叩きゃいいだけだ」
ケラケラと笑いながら斧を手渡す彼女に、一体これまで何人の敵がこの斧で倒されたのだろうかと、妙な想像が頭をよぎった。
「ちょっとごめんよ」
ラムエナは私の前で膝をつくと、ベルトのような金具が付いた革紐を手に取り、器用な手つきで腰に巻きつけていく。そして右側に小さな輪っかを作り、手斧を柄から通す。
「ここに下げればいい。歩くとき邪魔にならないし、必要な時にすぐ取り出せる。」
その説明通り、革紐にぶら下がった斧は揺れも最小限で安定していた。
──まるでバイキングの戦士みたいだ。でもそれじゃきっと伝わらない。
「...良いですね、まるで山賊みたいです。」
私の言葉にラムエナは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑い出した。
「随分と可愛い山賊だな。お小遣いでもあげたくなる。...そうそう。オレとメリセアからだ、少ないが貰ってくれ」
「え、何ですかコレ?」
小さな皮袋を差し出され、本当に何か分からなくてその場で開ける。中には銀の硬貨が数十枚入っていた。
── こ れ は 銀 貨 だ ... しまった...お金の事を完全に忘れていた。危うく無一文で路頭に迷う所だった
パソコンやスマホ等がないこの文明で、電子マネーなどある筈もなく、元の世界の残高などなんの意味も成さないことを失念していたウタは固まってしまう
「お、おい...大丈夫か?」
「エナさんありがとうございます!!」
「お、おう...」
固まってしまった私に声をかけてきたラムエナさん手を握りしめ、こちらの世界にきて一番の笑顔を見せてお礼をいう。これをきっかけに「ウタは金が好き」とイジられるようになるとは、この時のウタは知る由もない。
◇
ラムエナに連れられて村の広場へと向かう。昨日訪れた時よりもずっと賑やかで、家々の間には色とりどりの三角布が張り巡らされている。中央には水場があり、小さな舞台でバイオリンとアコースティックギターのセッションが始まっていた。人々が踊り、テーブルには酒や料理が並べられている。
「今日はお祭りなのですか?」
「いいや?お前の見送りだよ」
「え?」
意外な言葉に固まる私を見て、ラムエナは笑って「村長が説明してくれるさ」と肩をすくめた。
「ウタ!」
後ろから勢いよく呼ばれ、振り返るとルネが駆け寄ってきて、そのまま抱きついてきた。
「……お酒臭い。」
文句を言うと、彼女は悪戯が成功した子どものようにケラケラと笑う。
「お腹空いたでしょ?特等席があるよぅ。」
「ええぇぇ...。」
「こっち」
困惑する私をよそに、ルネは手を引いて歩き出す。助けを求めて視線を送ると、ラムエナさんは笑顔で手を振るばかり。嫌な予感しかしない。
途中、狐耳の女性がこちらに声をかけてきた。
「ウタさん、昨日はごめんなさい」
「え?」
──あ、この人、昨日道を聞かれて逃げちゃった人だ。
「あたし、何も知らなくて...」
「ぁ、大丈夫ですよ。気にしないでください」
そう答えると、彼女の顔がぱっと花が咲いたように明るくなり、「ありがとう」と言い残して去っていった。その様子を見た酔ったルネが、後ろ向きに圧をかけてくる。
「今の誰?」
──聞こえないフリをしよう。
舞台の近くまで来ると、人が多く、さらに賑やかな雰囲気が漂っている。ふと視線を感じてそっちを見ると、丸い耳をした老婆がこちらをじっと見ていた。目が合うと、驚くほど俊敏な動きで立ち上がり、大声をあげた。
「来たよ!」
その勢いで舞台に上がった彼女は、演奏を止めさせて次々に指示を飛ばしている。
「ルネ! 舞台へ上がって!」
老婆のよく通る声が響き、隣のルネが嬉しそうに舞台に向かう。──いや、ちょっと待って、コレ私も上がる流れじゃないの?
昨日のように逃げたい衝動に駆られる私の手を、ルネがしっかりと握る。その力強さに、逃げ場がないことを悟った。
案の定、舞台に上がると歓声が上がった。
──なぜ...?
老婆が語り始めた演説は、まるでおとぎ話をするようだった。
『皆さん!300年前、私達の先祖は絶望の淵に居ました。悪辣な人間たちは川に毒を流し、男達は死に絶え、女達は捕らえられ家畜の様に扱われた!しかし、私達は今も生きている、それは何故だ?!』
「テオさまのおかげだー」
「テオのご加護にー」
口々に答える村人たち。よく訓練されている、としか思えない息の合い方だ。感心しながら演説を聞いていると、ルネに手を引かれた。指差された先を見ると、舞台横のテーブルに料理が並んでいる。
──長くなりそうだから、食べろってことかな。
『その通り!テオ様は悪鬼羅刹のごとき人間たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げ投げのまさにテオ無双状態!首は飛ぶわ、骨も残らず燃やし尽くすわ、まさに地獄伝説...!!』
促されるまま椅子に座り、まずは鶏肉の姿焼きから食べ始める。
『その伝説もこのリュッカ村から始まったと知らぬものはいないだろう!テオさまはこの山に鉄の方舟に乗ってご降臨あそばせたのだ!そして今日、新たな伝説が始まる!』
村人が一斉に歓声があげる。
──すごい歓声、もう演説は佳境かな。全然聞いてなかった。ぁ、この鶏肉、美味しい
『皆様に紹介しましょう!我らが第二のテオ、ウタさまです!』
アコースティックギターの軽快な音が場を盛り上げる。その瞬間、あたりは静まり返り、みんなの視線が一斉にモグモグしていた私に向けられる。
「ウタ、立ってウタ」
ルネが小声で催促してくる。
私は口の中に鶏肉が満載されたまま、椅子を立ち上がり、せめて手を挙げて応える。すると、しんと静まっていた場が歓声で一気に沸き立った。
──危なかった
『この気品溢れる出で立ち! まさに言い伝えそのもののテオさま!』
村長が声を張り上げ、村人たちも「その通り!」と一斉に同調する。
──きっとこの世界のリスは高貴な生まれに違いない
『しかし、今は平和そのもの……。ウタさまのお力を見る機会など、もう無いかもしれません……。』
ため息をつく村人たちの様子に、場の空気が少しだけ緩む。
そんな中、脇腹をつんつんと小突かれる。ちらりと見ると、ルネが膝立ちのまま、水の入ったカップをそっと差し出していた。
──甲斐甲斐しいところ、あるんだな……助かる。
「ありがとう。」
片手で口元を隠し、小声で礼を言いながら水を一口。口の中を流し込む、ほっと一息つく。
『しかし!』
再び場を仕切る村長の声が響く。
『そこでわたくし、リュッカ村村長ハルグリムは考えました。あそこに的を用意しました! さあウタさま、その神弓で御業を見せてください!』
「「みわざ!みわざ!」」
村人たちが息を合わせ、力強い声をあげる。台本があるのかと疑いたくなるほどの一体感だ。私は矢筒から一本の矢を取り、弓に番える。
── 的は約60m先。藁人形に鉄の鎧と兜...兜が傾いてる、設置が甘い。ただ射るだけじゃ期待外れだよね。
矢筒からさらに二本の矢を取り出し、右手に三本の矢を持つ。そして、そばのテーブルに置かれたリンゴのような果実を手に取った。その仕草に村人たちがざわつき始める。
私は構うことなく、リンゴっぽい果実を真上に投げた。それに釣られ、村人たちの視線が一斉に上を向き、ほとんどの者の口が開く。それを見たウタは少し声を出して笑ってしまう。
本人の感情とは裏腹に身体は合理的に動き、矢を番え、硬く鋭い二連射。そして呼吸を整え、下から上に向けて柔らかい印象がある三本目を引き放つ。
一射目は兜の上部を弾き飛ばし、二射目が宙に舞う兜を直撃して彼方へと吹き飛ばす。三射目は空中で果実を拾い上げ、兜があった位置に刺さる。
鎧を着た藁人形に「リンゴの頭」を乗せたオブジェが完成した。私は手応えに満足しつつ周囲を見る。村人たちはぽかんと口を開け、誰も声を発しない。
──あれ、私なんかやっちゃいました?
静寂を破ったのは村長の絶叫だった。
『すごい! これぞ、神の御業!』
「みわざ!みわざ!」
村人たちが歓声をあげ、一気に場が熱気で満ちる。ようやく安堵の息を吐いた私の隣に、ルネが苦笑しながら近づいてきた。
「当てるだけでよかったのに、サービスしすぎよ。」
「...そうだったんだ。」
ふたりして顔を見合わせ、笑い合う。喧騒の中に身を置きながら、ほんの少しだけ、この村の一員になれたような気がした。
*果実は村人のみんなで頂きました