6話 亜人と人間3
「あ……おかえりなさい」
家の中に入ると羊人族のメリセアさんが夕食の準備の真っ最中だった。
「おう、ただいま~」
「お邪魔します……」
余所余所しい様子の私に、何か言おうとしたラムエナさんだったが、小さな嵐にキャンセルされる
「パパー!おかえりー!」
「ぱぱー!」
ふわふわとした小さな羊が二匹、ラムエナさんに突撃。彼は見事にそれを受け止め、片方を抱き上げると満面の笑みを浮かべた。
──パパ呼びなんだね
「フロエラ、メルフィ、ちゃんとお留守番できたか?」
「できたよー!」
「えへへ、ちゃんとしてたよ!」
嬉しそうにラムエナさんにじゃれつく子供たち。そんな様子に、思わずこちらもほっこりしてしまう。
「メルフィのこと、見ててくれてありがとうな、フロエラ」
「えへへー!」
褒められたフロエラがはにかむ一方、メルフィがラムエナさんの服の裾を掴みながらこちらを見上げた。
「うたも、おかえりー?」
──「ただいま」でいいのだろうか。
戸惑いながらも頷く私を見て、メリセアさんがみんなに指示を出し始める。
「ふたりとも、早く座って。エナはちょっと手伝って」
「ほら、雷が落ちる前に座っちゃうぞ!」
「くふふ!」
パパに顔を近付けられくすぐったそうに笑うフロエラ
「早く座りなさぁい」
恐らく母であるメリセアの真似をするメルフィは既に座っていて、さらにスプーンを手に持っている。「はい、ただいまっ」と言いながら抱いていたフロエラを椅子に座らせてメリセアの元にいく「お、今日はシチューか」そんな声が聞こえてくる。
テーブルの上には壁の燭台の柔らかな明かりが反射していた。あたたかな空間の中、笑顔で食卓を囲む一家の姿を見て、私は胸がいっぱいになる。
「ほら、ウタちゃんも座りな」
「ぁ、はい」
「早く食べないと全部食われてしまうぞ、3人ともよく食べるからな」
ケラケラ笑いながらラムエナさんが運んできたシチュー皿を私の前に置くと、すぐに隣の小さな羊たちが「わー!」とお皿に顔を近づける。
──なるほど、早く食べないと危険だ。
木のスプーンを手に取ったところで、突然その場の空気がピンと張り詰める。全員が目を閉じ、静かに手を合わせ始めた。
「テオさま、あなたに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意されたものをわたしたちの心と体を支える糧としてください」
「...いただきます!」
「「いただきまーす!」」
「い、いただきます...」
突然始まったお祈りに少し圧倒されながらも、一口目のシチューを口に運ぶ。
──これは羊肉なのでは?いいのかな...
味の濃厚さに驚きつつ、横目でメルフィをちらりと見る。すでに彼女のお皿は半分が空っぽになっていた。少しの焦りと謎の罪悪感を抱えつつ、私は雑念を捨て、食べることに集中することに決めた。
◇
食事を終えた後、みんなは暖炉の前で思い思いにくつろいでいた。私は明日の昼に村を出ることを伝え、少し緩んだ空気の中で腰を下ろす。
「ルネとそこまで早く仲良くなるとはなぁ」
「えー、うた行っちゃうの?」
膝の上に乗るメルフィが、こちらをじっと見上げてくる。
「今日、皆さんと食事して、私も早く家族の元に戻りたいなって思いました。母はメリセアさんによく似てて……少し懐かしくなりましたし」メルフィの頭を撫でながら話す
「あら、そうなのね」
そのやり取りを聞いていたラムエナさんが、ぽんっと手を叩いた。
「じゃあ今夜はメリセアと一緒に寝なよ!」
「えっ──!?」
──どうしてそうなる、ラムエナさん?!
突拍子もない提案に思わず声をあげる。
「オレはこの子たちと寝るから」
「わーい!」
「パパ、歯を磨いてね!」
フロエラに注意され、苦笑いするラムエナさん。そんな彼女を見ながら、メリセアさんがこちらに微笑みかけてくる。
「ふふ、よろしくね」
「あ、あぁ……よろしくお願いします……」
うつ伏せで寝転がり、上体だけを起こすメリセアさん。その姿は思わず目をそらしたくなるほど色っぽい。私は自分の体温が上がるのを、食後の熱のせいだと必死に言い聞かせた。
「がおおおーーー!」
「きゃーーー!」
私の困惑をよそに、パパ羊が仔羊たちにじゃれつく声が響く。
──なぜか平和だが……それでいいのか、ラムエナさん? 昨日来たばかりの客を奥さんと二人きりにするなんて...何か起きるハズもないけど、これが家族持ちの余裕なのだろうか...
「パパー、お話してー!」
「テオのお話がいいー!」
「えー、あれだとメルフィ寝ちゃうよ」
「それがいいのー」
「仕方ないなぁ」
ラムエナさんが語り始める声を聞きながら、暖炉の薪がはじける音が部屋に満ちていく。
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「今よりもずっとむかしのお話です 。あるところに、魔法が使える亜人たちと、魔法が使えない人間たちが仲良く暮らしていました。お互いに助け合い、楽しい毎日だったという。でも、ある日、人間たちは思いました」
『アイツらは魔法が使えるのに、オレたちは使えないなんて、ずるい...』
「そうして、だんだん亜人たちを嫌うようになり、ついにはこう考えました」
『亜人たちを自分たちのものにしちゃおう!』
「こうして、大きな戦争が始まりました。亜人たちも人間たちも戦い、たくさんの人が傷ついたのです。人間たちは悩みました」
『亜人たちと仲直りした方がいいのかな...』
「そんなとき、どこからか恐ろしい悪魔が現れ、言いました」
『井戸や川に毒を入れてしまえ。そうすれば亜人たちを倒せるぞ!』
「人間たちはためらいましたが、悪魔は続けます 」
『大丈夫さぁ...この毒は男にしか効かない。女たちは魔法が使えなくなるだけだ。すべてお前たちのものになる』
「そして、人間たちは悪魔の言うとおりにしてしまいました。亜人の男たちは倒れ、残された女たちは魔法が使えなくなり、人間に捕まってしまいました」
『もう亜人は終わりだ……』
「そんな時です、とつぜん空から赤い髪をした亜人、テオが現れました。背中には大きな竜の翼を持ち、炎のように怒ったテオはとても強く、人間たちを次々とやっつけていきます
とうとう人間たちは戦えなくなり、ひざまずき言いました」
『もう二度と亜人に手を出しません。どうか許してください』
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「こうして、長い戦争は終わり、平和が戻ったのでした」
「めでたしめでたし」
一番良い所をフロエラが持っていく。
案の定、メルフィは私の膝の上でもたれかかる様に眠ってしまっている。
「フロエラ、メルフィをベッドで寝かせてあげて」
「はぁい」
メルフィを起し、手を引きながら寝室へいくフロエラを視線で見送る。
「今の話、本当にあったことなんですか?」
「そうだよ。もう300年以上前になるのかな」
ラムエナさんの穏やかな声に、私はふと暖炉の火を見つめる。
──亜人が未だに人間を憎む気持ちを完全に拭えないのも無理はない。当時、どれほどの悲しみや絶望があったのか、想像もつかないけれど...彼らにとってテオは、間違いなく救世主だったのだろう。だから今もこうして信仰されているんだ。
視線を上げると、暖炉の上に荘厳なレリーフが飾られているのが目に入った。そこには、ドラゴンのような翼を持つ女性が刻まれている。左右に渦巻き状の特徴的な髪型が印象的だ。
「あれがテオなのですか?」
私の問いかけに、ラムエナさんが微笑む。
「ああ。でも、ちょっと大げさだよ。あの見た目ほど神々しくなくて普通の亜人だよ」
「そうなんですね。それを聞いて少し安心しました」
そう言った私に、ラムエナさんが少し真剣な顔を向ける。そして、口を開いた。
「とはいえ、もう300年だ。オレたちの世代はそこまで人間を憎んじゃいない」
まっすぐな目で語る彼の言葉に、心が少し押されるような気がした。
メリセアさんも何かを察したのか、寝そべっていた体勢を正してこちらを見ている。
「……おふたりに話があります」
──この話をすれば、追い出されるかもしれない。
私は深く息を吸い込み、両耳を覆うヘッドホンをゆっくり外した。暖炉の灯りに照らされた私の耳は、亜人のそれとは異なり、人間の形をしている。
「私は...亜人ではありません」
その告白に、部屋の空気がぴたりと止まる。だが、ラムエナさんの反応は予想外のものだった。
「ああ、分かってたよ」
「え...?」
驚きに言葉を失う私をよそに、ラムエナさんは肩をすくめて笑う。
「オレが拾ったときさ、ソレがひとつ外れてたんだよ」
「あ...そうだったんですね」
知らなかった事実に戸惑いつつ、ヘッドホンを見下ろす。左右が完全に独立してるタイプだ。
「それでカイラが騒いでなぁ。『お前の家には子供がいるんだ、もし危険な人間だったらどうするんだ!』って、もう大変だったよ」
「そ、そんなことが...」
「でもな、オレが『ウチにはメリセアがいる』って言ったら、ピタッと黙ったんだぜ」
「どうしてですか?」
気になってメリセアさんを見ると、彼女は少し得意げに笑う。
「それは、私が強いからよ」
「そうそう。魔力量が桁違いなんだ。胸の大きさを見れば分かるだろ?」
「なるほど」
ラムエナさんの軽口に、私は一瞬ルネの事を思い出してしまう──とはいえ、彼女はまだまだ将来有望だと思う、うん
「ところで……」
ラムエナさんが声を落とし、少し気まずそうな表情をする。
「実はルネも人間だって分かってるんだ」
「え、そうなんですか? なら教えてあげたほうが...」
思わず口を挟んでしまう私に、ラムエナさんは首を振った。
「いや、本人が言い出すのを待ちたかったんだよ」
「でも、明日には話すのよね?」
メリセアが疑問を投げかける
「まあな」
小さく頷くラムエナさんに、私は問いかけた。
「どうして、亜人と人間が分かるんですか?」
その質問にラムエナさんは少し考え込む仕草をしてから、答えてくれた。
「人間はみんな胸の左側に心臓を持ってるけど、亜人は右側にも心臓があるんだよ。魔核とかマナハートとか、いろんな呼び方があるけどな。それが魔力を生み出して、魔法が使えるんだ」
「右の心臓...魔核...」
「そう。それで他の街の亜人なら気付かないが、この村、リュッカ村は人間領がすぐ近くにあってね。ちょっと繊細なんだよ。」
「見慣れない人がいると魔核があるか確認してしまう...と?」
「その通り、寝てる間は魔核も寝てるから分からないんだが、起きてしばらくすると分かる」
ウタは少しメリセアを見る
──それでお昼を頂いたあと、少し距離を感じたのかな...
「さ、明日は早いからもう寝ようぜ。」
「そうですね」
「じゃあ明日起こすから早く寝ろよ、おやすみ」
「おやすみなさい」
ラムエナさんは椅子を立ち、娘たちが待つ寝室へ向かう。その後ろ姿を見送り、ふと横を見ると、メリセアさんが柔らかく微笑んでいる。
「さ、私たちも寝ましょうか」
「は、はい...」
──先手を打たれた...観念するしかない。
彼女の提案に頷くことしかできなかった私は、静かにその後を追うのだった。