33話 大量注文の裏側
ハネス親方の顔が、心底困ったと言っている。
「出来あがった武器や防具を納品しても、対価を支払ってもらえないんだ」
「どういうことでしょう?」
相談員が身を乗り出した。
支払いを滞らせるなど、もってのほかだ。
「こんなことは初めてで、俺も参っている。だが相手方に尋ねても、そういう契約を結んだ、の一点張りだ。だから改めて契約書を読み直した。すると――全ての納品が完了した時点で、支払いをすると書かれてあった」
「つまり1年半後、100組の納品が終わるまで、材料費も人件費もハネス親方が立て替えろと?」
「そういう意味だよな、多分。ちなみに城との契約では、月ごとに出来あがった装備を納品する都度、入金してもらっていた。だから、どこもそんなもんだと思ってたんだが……前払いなんてのも知らなかったし、俺はてんで自分が、そっち方面は駄目なんだと分かったね」
弱音と共に、ハネス親方は溜め息をつく。
首が回らないのだろう。
だからこそ仕事を休まず、つくり続けていたのだ。
少しでも早く、100組を完成させるために。
「弟子たちに給金をやりたいが、手元に金がない。銀行の融資枠も使い切っている。もう金貸し業者を頼るしかないと――」
「それは待ってください!」
相談員がハネス親方を止めた。
「金貸し業者も様々です。このままではハネス親方が、高利貸しに引っかかる未来しか見えません」
残念ながらファビオラも同意見だ。
だからハネス親方の隣で、うんうんと大きく頷いた。
「会長さんも、そう思うのかい? じゃあ、この案は止めるとして……他にいい方法があるだろうか?」
ハネス親方に尋ねられ、相談員が対応する。
「まずは契約書を見せてもらいたいですね。あまりにも『雷の鎚』にとって、不利な条件が多いという点が気になります。最初から、支払うつもりがないのかもしれません」
「それはないと思う。何しろ契約先は――」
そこでハネス親方は、ちらりとファビオラを見た。
「契約先は、マティアス殿下なんだ。青公爵家の後ろ盾もあって、金はたんまり持っているだろうし、評判を落とすようなことをするとは思えない」
マティアスの名前が出て、相談員の顔つきが変わる。
下手に扱えない相手だと思ったのだろう。
ファビオラも、個人名が出たので驚いた。
武器や防具を揃えていたのは、青公爵家ではなかったのだ。
相談員は悩みながらも、断言する。
「それならば、考えられる答えはひとつしかありません。『雷の鎚』に支払われる予定のお金が、非公式なものなのでしょう」
「非公式? それは、よくない金ってことかい?」
ハネス親方の眉根に皺が寄る。
「そこまでは分かりませんが、城からマティアス殿下に割り振られた予算の中には、存在しないのだと思います。だから、現在進行形で調達中であるとか……そうした理由があって、すぐには支払えないんですよ」
「う~ん、俺には難しくてよく分からんなあ」
これまで相当、大雑把な金勘定をしていたのだろう。
ハネス親方には予算の概念がないようだった。
「だけどよ、なんとなく抱いていた違和感が、ここでも顔を出してるぜ。なんか気持ち悪いんだ。これは何なんだろうなあ?」
ファビオラは相談員を見るが、首を横に振っていた。
思い当たる節はない、ということか。
もう少し情報が欲しい。
ファビオラはハネス親方に質問する。
「ハネス親方は、日頃どんな注文を受けているんですか? 別の注文と比べて、今回の注文に違和感を抱いているんですよね?」
「主な注文は、城が相手だ。武器や防具を必要としているのは、だいたいが兵士だからな。たまに貴族からも注文を受けるが、たいていは護衛騎士を新たに雇ったんで、一張羅の装備を誂えてくれとか、そういった類で――」
そこで言葉を途切らせ、ハネス親方はハッとした顔つきをした。
自分で語った内容に、仰天したのだ。
「数だ……数が多いんだ。100組なんて、いつも城から頼まれていたから、日常茶飯事だと思っていたが……そうじゃない。兵団でも抱えていないと、そんな数の装備は必要ないんだよ!」
ハネス親方の驚嘆の声によって、相談室は水を打ったように静まる。
ヘルグレーン帝国の法では、個人が兵団を抱えるのは禁じられている。
ましてや皇族が、それを破ろうとしているなんて、信じられない。
だが、ハネス親方が語っているのは、まぎれもない事実だろう。
内戦を予感していたファビオラはともかく、相談員の顔色は真っ青だ。
資金繰りの相談を受けたはずが、思わぬ陰謀の裏側を、垣間見てしまったのだから仕方がない。
ここは早々に立ち直ったファビオラが、助け舟を出す。
「ハネス親方、強気に出ましょう。出来ないものは出来ないと、言ってしまいましょう」
「しかし、相手はマティアス殿下だぜ?」
「どうしてハネス親方に、白羽の矢が立ったと思いますか? おそらく100組もの装備をつくれる鍛冶屋が、限られているからです。今、ハネス親方に断られてしまえば、次を探すのに時間がかかる……だからこそ、簡単に切り捨てるとは思えません」
大量の受注に慣れているため、ハネス親方は選ばれてしまった。
そして引き受けてしまったからには、今さら白紙に戻すことは出来ない。
だからと言って、装備をつくり続けるのは危険だ。
ファビオラは説得を続ける。
1年半後に、マティアスが何をしようとしているのか。
いいことではないのだけは、明確だ。
「3年かかるものを、倍の価格で1年半にさせたのです。相手には、画策している目的があるはずです」
傲慢だったマティアスの横顔を、ファビオラは思い浮かべる。
「その目的が何なのか、私たちは知らない方がいいでしょう。ですが、ハネス親方が高利貸しに身ぐるみを剥がされてまで、完遂させなくてはならない目的でしょうか? 私は絶対に、違うと思います」
法に外れた行為で、何を正せるというのか。
ファビオラは厳しく言い切る。
相談員がごくりと唾を飲んだ。
関与してしまった事の大きさに慄きながらも、ファビオラに賛同する。
そしてハネス親方に、やんわりとした断り方を伝授した。
「すでに納品している分の対価を支払ってもらえなければ、次の装備がつくれない。資金繰りに難が出ている、と素直に打ち明けるのが怪しまれなくていいと思います」
「この取り引きを止めたい、と言っては駄目なんだな?」
ハネス親方の質問に、神妙に相談員は頷く。
何かに勘付いたと相手に察知されたら、問答無用で、ハネス親方の口を塞がれるかもしれない。
「まいったなあ、たくさん装備をつくれると喜んでいた自分が、愚かだった。こんな厄介ごとの片棒を、担がされちまうなんて」
非常事態に頭を抱える。
だが、乗りかかった船から、もう降りるわけにはいかない。
あくまでも知らぬふりをして、理由があってつくれないと言い続けるしかない。
ファビオラは、危険な立場に置かれたハネス親方を、気の毒に思う。
「もし納品した分の入金があれば、今度は赤公爵家の前払いの件を持ち出してみてください。とことん困っているという体を貫いて、可能な限り、これ以上の納品を先延ばしさせましょう」
「皇族が相手でも、交渉するのかい? 会長さんは度胸が据わっているなあ」
ハネス親方が感心する。
しかし皇族は皇族でも、相手はマティアスだ。
ルビーを恫喝した一件から、ファビオラの中でマティアスは、決して屈してはならない人物として認識されている。
「無関係なハネス親方を、犯罪行為に巻き込むなんて許せません。それが民の上に立つ、皇族のすることでしょうか?」
もしもアダンが、領民に対して同じことをしたら、叱り飛ばす自信がある。
マティアスの周りには、悪事に手を染めてはならないと、諫める者がいないのだろうか。
あれだけの取り巻きがいたのに、為政者として大きな欠陥に思えた。
結局、これ以上は装備をつくらない、そのために、色々な言い訳を逃げ道として用意する、という対策に落ち着いた。
最後に相談員から、ハネス親方に一言あった。
「ここで話したことは秘匿され、商業組合の外には漏れません。これからも何かありましたら、またご相談ください」
大きな爆弾を持ち込んだに等しいハネス親方だったが、それでも組合員になったからには、最後まで護り抜くという気概が感じられた。
それを聞いて、ハネス親方がガハハと笑う。
「会長さんの言う通りだった。加入して良かったよ!」
問題はまだ山積みだが、ハネス親方の心はかなり軽くなったようだ。
ファビオラは明日には帰国してしまう。
その前に、商業組合とハネス親方を繋げられて本当によかったと思う。
「ハネス親方、これからは契約書をよく読みましょうね」
「まったくだ! 『雷の鎚』も弟子が増えて大所帯になった。俺がもっと、しっかりしないとな!」
どん、と胸を叩くハネス親方の姿は頼もしい。
だが念のため、ちょくちょく様子をみて欲しいと、ルビーには申し伝えるつもりだ。