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34話 身を亡ぼす恋

 カーサス王国に戻ったファビオラは、夜遅くに帰宅したトマスを捕まえ、真っ先に重要事項の報告をした。



「ヘルグレーン帝国で、武器や防具を大量に注文していたのは、第一皇子殿下でした」



 それを聞いたトマスは、瞠目する。



「個人、なのか?」



 確認したい気持ちも分かる。

 なにしろ、法に触れる行為なのだから。



「間違いありません。その注文を受けた鍛冶屋さんから聞きました」

「そうなると、前提条件を変更しなくてはならないな」



 トントン、とトマスが指でこめかみを叩く。



「二大公爵家が衝突するよりも、血なまぐさいことが起きそうだ。出来るなら、もうファビオラを、ヘルグレーン帝国へ行かせたくないが――」

「まだ私の『知っている』ことの全てが、起こっていません。それを見届けるまでは、逃げたくありません」



 むしろ、レオナルドやエバからは逃げたいので、ヘルグレーン帝国へは行かせて欲しい。

 

「国王陛下とも話し合う必要がある。取りあえず、次の長期休暇までは学校を頑張りなさい」



 ファビオラは素直に頷いた。

 ビラ騒動や放火事件で、今回の長期休暇はいつもより慌ただしかった。

 まったく手を付けられなかった論文も待っている。

 

(それに、この長期休暇の間に行われた、シトリンさんのお見合いの話も聞かなくちゃ)



 自分の淡い恋心を自覚してしまった今、ファビオラにとってシトリンは恋の先輩だ。

 ファビオラは新学期が始まるまでの数日を、そわそわと待ちわびるのだった。



 ◇◆◇◆



「お嬢さま、おはようございます」



 今日から学校が始まる。

 昨夜は珍しく、緊張で寝付けなかった。

 そんなファビオラを優しく起こしたのは、モニカだ。



「モニカ! 結婚準備のために、実家に帰っていたのではないの?」

「ご挨拶がしたくて、少しだけ戻ってきました。長らくお世話になりましたが、今月いっぱいでお暇させていただきます」

「ということは、結婚の日取りが決まったのね。おめでとう!」



 じわりと眦に涙がにじむ。

 思い返せばモニカは、ファビオラが学校に通い始めた年に、専任となった侍女だ。

 

「こちらこそ、お礼を言わなくちゃ。モニカのおかげで、私は今日まで、遅刻しないでいられたんだから」

「大袈裟ですよ。お嬢さまはしっかり、自立してます。ヘルグレーン帝国でも、問題なく過ごされたのではないですか?」

「モニカがいない旅は初めてだったから、正直少し寂しかったわ。『七色の夢商会』の店舗では、ルビーさんが一緒の部屋で生活してくれて、いろいろ私を助けてくれたの」

 

 いきなり、何もかもを一人でするのは難しい。

 モニカの偉大さを噛みしめていたら、苦労を見抜いたルビーが同居を申し出てくれたのだ。

 店舗の三階には、ファビオラの部屋とルビーの部屋が別々にあるのだが、用心棒に叩き起こされたとき一緒に寝ていたのは、そういう訳があった。

 

「みんなに支えられて今の私があるんだって、改めて思い知ったわ」



 未来を変えようと奔走している当初、ファビオラは孤独を感じていた。

 しかし、ファビオラは一人で戦っているわけではなかった。

 それを感じたとき、どれほど心強かったことか。

 

「それはお嬢さまが、支えたいと思ってしまう、素敵な人だからですよ」



 モニカがふんわりと微笑む。

 

「寒い日に、外から帰ってきた私のために、暖炉の火を大きくしてくれたことは今でも忘れられません」

「あれくらい、当たり前よ! むしろ、あのときのモニカの発言で、人工薪を商品化しようと思いついたのよ。『七色の夢商会』にとってモニカは、運命の女神だわ!」

「運命の女神、というのは……?」

「ヘルグレーン帝国の神様よ。人生の岐路に現れて、良い道しるべを指し示してくれるんですって」



 全くもって、モニカに当てはまる。

 

「だからね、運命の女神のモニカがこれから選ぶ道は、幸せに続いているのよ。どうか自分と、自分の人生を大切にしてね。私はモニカの結婚を、誰より祝福するわ!」

「ありがとうございます。私もお嬢さまのご多幸を、ずっとお祈りしますね」



 ひしっ、とファビオラはモニカと抱き合った。

 冤罪に巻き込まれる前に、モニカはグラナド侯爵家を離れる。

 予知夢の内容を覆せて、目の奥が熱くなったファビオラは、ぐっと奥歯を噛みしめた。



(やれるわ! こうしてひとつずつ、未来を塗り替えていくのよ!)



 気分が上がったファビオラは、意気揚々と登校する。

 しかし、久しぶりの教室で会ったシトリンは、ひどくやせ細っていたのだった。



 ◇◆◇◆



「ファビオラさん、中庭でお昼にしませんか?」



 二人きりで話したいのだろう。

 シトリンの誘いに、ファビオラは乗る。

 食堂で料理を受け取ると、それを持って木陰の下のテーブルについた。

 彩りのよい温野菜を食べながら、論文の進み具合などを確認し合う。

 きっと食べ終わる頃に、シトリンが話を持ち出すだろう。



「……驚いたと思います。私の容姿が変わっていて」



 ついに始まった。

 ファビオラは静かに耳を傾ける。



「両親がとても心配して……新学期になっても、休むように言ってきたんです。でも……私はファビオラさんに聞いてもらいたかったから、手紙ではなく、こうして面と向かって話したかったから……」

「その気持ちは嬉しいわ」



 シトリンの空色の瞳に、曇りはない。

 すでに現状を受け入れているようだ。

 ただ、頭では理解していても、心がついてくるとは限らない。

 病後のような体つきなのは、そのせいかもしれなかった。



「長期休暇に入って、お見合いの席で彼に会いました。釣書通りの優しい顔立ちで、想像していたよりも背が高く、声は低めでした」



 思い出しながら、シトリンはぽつりぽつりと話す。

 

「亡くなられた奥さまの件も含めて、私の気持ちは予め手紙で伝えていたので、彼の気持ちを聞きたいと思っていたんですが……」



 お見合いの場には、シトリンと両親、彼とその両親、そして仲人の7名が列席したという。

 通常ならば、両親を交えて会話をした後、シトリンと彼だけの場が設けられるはずだった。

 だが、そうなる前に、全員がいる段階で、彼が口火を切った。



『これ以上、この純真なお嬢さまを騙すのは、気が引ける。俺みたいなクズじゃなく、もっといい男が、幸せにするべき存在だ』



 場はざわついた。

 特に、彼の両親の態度は、顕著だったという。



『何を言い出すんだ! 貴族と縁続きになれる、チャンスなんだぞ!』

『せっかくお嬢さまに気に入られているのに、もったいないわよ!』



 その言葉だけで、彼の両親は婚約に乗り気なのが分かる。

 しかし、彼は首を横に振った。



『俺たちが流した嘘を信じて、このお嬢さまは心を痛めて泣いたんだ。それなのに……欺き続けるなんて、無理だろう?』



 ぐしゃりと前髪をかきあげ、吐き捨てる。



『俺は最愛の妻を亡くした、可哀そうな男じゃないんだよ。気まぐれに手を出した取引先の娘を孕ませてしまって、仕方なく責任を取る形で結婚したが……出産時に母子とも死んでしまった。それを、これ幸いと思うような、最低な男なんだよ俺は!』



 彼の告白に、シトリンの両親が息を飲む。

 仲人の顔からは血の気が引いていた。



『手紙では真実を書けなかった。両親に中身を検められていたんだ。だから……今日、お嬢さまに会えるのを、心から待ち望んでいた』



 彼はシトリンの潤む空色の瞳を見つめる。

 泣きたいのを堪えるために、小さな唇はぎゅっと噛みしめられていた。

 そこへ視線を落とした彼の表情が、苦しげに歪む。



『俺みたいな男を、信じたら駄目だ。文面だけなら、いくらでも醜悪さを隠せる。誠実な男と出会って……幸せになってくれ』



 実際のお嬢さまは手紙以上に素敵な女性だったよ、と最後の言葉を残し、彼は席を立った。

 彼の両親が、叱責しながらその後を追う。

 仲人はシトリンの両親にひたすら頭を下げる。

 喧騒に包まれた場で、シトリンは彼が出て行った扉から、目を離せなかった。



「そうして、お見合いは破談になりました。それから何度か、彼に宛てて手紙を出しましたが、受け取りを拒否されていて……」



 シトリンは俯く。



「彼にそんなことを言われても、私の心は揺るがなかったんです。両親は目を覚ましなさい、と言います。時間が心の整理をつけてくれると……」

 

 今はその時間が過ぎるのを、待っているのだろうか。

 そう思ったファビオラだったが、顔を上げたシトリンの表情は、そうは言っていなかった。



「彼の両親が言ったように、黙って結婚していれば、安定した地位が手に入ったのです。それを蹴ってまで、彼は私に忠告してくれました」



 それこそが、彼の本当の姿だと思います、とシトリンは締めくくる。



(シトリンさんは、まだ彼のことが好きなのだわ。でも……フーゴ男爵夫妻は、それを諦めさせようとしている)



 その板挟みでシトリンは、やせ細ってしまったのか。

 ファビオラは、ヘルグレーン帝国の本屋で買い求めた、恋物語を思い出す。

 まだ読み始めてすらいないのだが、タイトルには『身を亡ぼす恋』と書かれていた。



(シトリンさんには、そうなって欲しくない。でも、どうしたらいいの?)

 

 恋の初心者であるファビオラには、正解が分からなかった。

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