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35話 追いかけさせる

「モニカはどう思う?」

「それは、男性側が罪作りですよ」



 名前を伏せて、シトリンの状況をモニカに聞いてもらった。

 ファビオラの周辺にいる女性の中では、ダントツで恋愛経験値が高いからだ。

 ちなみに母のパトリシアは、この手の話題にはてんで役に立たない。

 

「自分の言いたいことだけ言って、さようならなんて……女性側が納得できなくて、当たり前です」



 湯上りのファビオラの銀髪を、モニカが器用に三つ編みにしていく。



「でも、お嬢さまの話を聞く限り、ご両親に反対されているんですよね。だったら貴族令嬢として、割り切らなくてはいけないでしょうね」

「つまり、恋心に蓋をするってこと?」

「それは簡単に出来るものではないと思います。だから、期限を設けるのですよ」

「何の期限?」

「男性に追いかけさせる期限です」

「え? ……え?」



 モニカの言葉が飲み込めず、考えてみたけど、やっぱり飲み込めなかった。

 

「その男性は、女性を好ましく感じたから、身を引いたんですよね。でもそれは、女性の望むことではなかった」



 ファビオラはその通りだと大きく頷く。

 モニカは三つ編みの出来上がりを確認しながら、説明を続けた。



「私に言わせれば、男性は逃げているだけです。女性を幸せにする自信がないんでしょう。だから女性は、『1年だけ待つわ』と言ってみたらいいですよ。そこで努力をするかどうかで、男性の本気度が分かります」

 

 モニカは見かけによらず強硬派だった。



「1年間、何の努力もしない男性の姿を見ていれば、惚れた側の熱は冷めます。そうしたら、心に折り合いをつけられるでしょう」

「モニカ……すごいわ」



 そんな手段、ファビオラは考えつきもしなかった。

 これが正解なんじゃないかと、胸がドキドキする。



「そうよね、手紙の受け取りを拒否されたって、直に会いに行けばいいんだから。身分はこちらが上だし、そう邪険にはされないはず。言われっ放しで終わるより、言い返すべきよ!」

 

 ファビオラの声にも熱が入る。

 明日、モニカの提案をシトリンに伝えよう。

 実はシトリンの話を聞いたときから、ファビオラには予感があった。



(二人は、両想いなのでは?)

 

 シトリンが見合い相手の優しさに、気持ちを動かされたように、見合い相手もまたシトリンの純真さに、心を動かされている。



(悪行を嘘で塗り固め、同情を誘ってまで貴族令嬢との結婚を望んでいたのに……それを覆し、偽りの愛で結ばれる結婚から、シトリンさんを護った)



 見合い相手も、心無い所業をしてしまった頃とは、変わったのかもしれない。

 もしそうならば、結ばれる可能性はゼロではない気がした。



 ◇◆◇◆



「あと半年もすれば、ファビオラは学校を卒業する」



 多忙を極める執務の間に、レオナルドがぽつりと呟く。

 まとわりついていた側近候補たちの姿は、周囲にはない。

 失態の多さに呆れたレオナルドによって、二人とも出入り禁止を言い渡されたのだ。

 必死に挽回の機会を乞うていたが、レオナルドはそれほど甘くない。



 それ以来、レオナルドは影を多用していた。

 手足のように使役するのにも、もう慣れた。



「影よ、ファビオラに異常はないか?」

「カーサス王国へ戻られてからは、つつがなくお過ごしです」

「ヘルグレーン帝国では、あわやという場面があったからな」

「その節は、大変申し訳なく……」



 ファビオラが居住している店舗へ、火が放たれたと報告が入ったとき、いつもは静かなレオナルドが激高した。

 初めて見た主の姿に、影たちは恐れおののき、すぐさま平伏したものだ。



「二度とファビオラを危険な目に合わせるな」

「善処します」

「お前たちとは、命の価値が違うのだ。あの銀髪を見れば分かるだろう?」

「神様の寵愛を受けるに相応しい、見事な御髪でございます」



 うっとりと語るレオナルドに、影もすかさず賛同する。

 それは紛れもない事実だからだ。



「だからと言って、供物にするつもりはない。もうすでに神様は、ラモナを奪っていったのだ。これ以上は僕が許さない」

 

 レオナルドの脳裏には、エバの姿が浮かぶ。

 あちらの影は、王妹ブロッサの警護と兼業なので、ヘルグレーン帝国までは、追いかけては来ないようだ。

 しかし、ファビオラがカーサス王国へ戻っている今、何とかして襲おうと画策しているらしい。

 

「……腹立たしいこと、この上ない」



 レオナルドがエバを拒んでも、エバはレオナルドを諦めない。

 それどころか、ますますファビオラへの恨みを募らせる。

 あの執念深さは誰に似たのだ、とレオナルドは自分を棚上げして罵った。

 ファビオラを婚約者に指名するのは、完全にエバを排除してからにしようと思っていたが、それは想像していた以上に難しそうだ。



「こうなったら、ファビオラが卒業すると同時にあの屋敷の中で匿い、全ての禍事から護るしかない。分かっているな?」

「全身全霊で努めます」



 ファビオラの命の灯火を、今度こそ消しはしない。

 神様の恩恵で人生をやり直せるのは一度切り。

 レオナルドにはもう、後がないのだ。

 

(必ずや、ファビオラを僕の妃にする。神にも、死にも、渡すものか)



 レオナルドの仄暗い想いは、刻一刻とファビオラへ迫っていた。

 

 ◇◆◇◆



「『身を亡ぼす恋』か……」

「読み終わったんですか?」



 ぱたんと本を閉じたヨアヒムに、バートが声をかける。

 

「仕事の合間に読んでいたせいか、時間がかかってしまった」

「特段、好きなジャンルでもないですしね。そんなもんじゃないですか?」



 『朱金の少年少女探偵団』の新刊なら、ヨアヒムは徹夜してでも読んだだろう。

 あながち、バートの意見は間違っていない。



「難しかった。特に複雑な心理描写が多くて……」

「でも、それが目的だったんでしょう? 女性の心理が知りたいと、言っていたじゃないですか」

「女性の、ではなく、ファビオラ嬢の、だ」



 しかし、恋に盲目すぎる主人公の行動が、どうにもファビオラと結び付かない。

 ファビオラはもっと、現実を見ている気がする。



「これは選ぶ本を間違えたな」

「皇城の図書室で借りるのは恥ずかしいと、本屋で購入したのが仇になりましたね。ちゃんと最初から司書に相談すればよかったんですよ」



 まったくもって耳が痛い。

 

「だが、私が図書室で恋物語を借りたら、城中の噂になるだろう?」

「やっと女性に興味を持ったと思われて、婚約者の座を狙う令嬢に取り囲まれるでしょうね」

「現在進行形で、正妃に命を狙われている第二皇子の婚約者になんて、どうしてなりたがるのだろう。みんな、無謀すぎないか?」



 ヨアヒムは首を傾げる。

 これまで襲われ続けた身としては、危険な目に合いたがる令嬢たちが、不思議でならないのだ。

 

「旨みの方がデカいんですよ。なんだかんだとヨアヒムさまは生き延びているし、どちらが皇太子に選ばれるのかは火を見るよりも明らかだし」



 そうは言っても、皇帝から正式な声明は出ていない。

 これ幸いと正妃派は、一発逆転の策を弄している気配がある。

 だから、ヨアヒムはまだ気が抜けないのだ。

 

「なんにせよ安全が確保されるまで、私は婚約者を立てる気はない」

「それにもう、お相手は決まっていますからね」

「っ……!」



 飄々としているバートと違い、ヨアヒムは途端にあたふたとする。

 

「そんな……まだ、何も……!」

「手遅れになる前に、動いた方がいいですよ。どうもファビオラ嬢を、尾行してる奴がいるんですよね」



 バートが思い出すように目をつむる。

 

「危害を加える様子がないんで、無視してましたけど……ファビオラ嬢の身内って言うよりは、下僕みたいな印象でした」

「……下僕?」



 ヨアヒムは思わず聞き返してしまう。

 

「ファビオラ嬢を、女神みたいに崇め奉っているというか、そんな雰囲気を醸し出してるんです」

「女神か」

「そこは否定しないんですね」



 納得しているヨアヒムに、バートが突っ込む。

 

「あれは間違いなく、カーサス王国の人間ですよ。ファビオラ嬢は母国で、どんな立ち位置にいるんでしょうね?」



 その位置次第では、ヨアヒムの手が届かなくなる。

 バートなりに心配しているのだろう。

 

「ヨアヒムさまは、今まで多くのものを諦めざるを得ませんでしたが、それもあと僅かのことです。手放したくないものは、しっかりと握っていてください」

「バート……」

「俺が二人まとめて、護ります」

「頼もしいな」



 ヨアヒムが口元を緩める。

 バートは出来ないことを絶対に言わない。

 そんな自信ありげなバートが、さらにヨアヒムの背を押す。



「恋物語を読んだんだから、口説き文句の一つも覚えたでしょう? せっかくなんで、使ってみたらいいじゃないですか」

「……あの本は、上級者向けすぎる。決め台詞が、『来世で会おう』だった」



 ヨアヒムの困り顔に、ついにバートは噴き出した。

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