第35話 尋ね人
世界的に有名なカフェのチェーン店がある。
そしてそのチェーン店は、復興の街であるオルデールにも進出を果たしたのだろう。
ザ・カフェランド・オルデール店。
そこに入ったムナールは、注文したコーヒーが来るなり、早速ラジュルへと話をするように促した。
「で、聞きたい事って何?」
「いえ、あの、声を掛けさせてもらっておいて何ですが……良かったのですか?」
「うん? 何が?」
「わざわざ店に入ってもらって……。急いでいたのでは?」
「まあ、そうなんだけど。でも、まあ、リプカちゃんもお友達とゆっくり話したいだろうし? 僕はその後でも良いし? それに……」
申し訳なさそうに、恐る恐るとこちらを見つめてくるラジュルの黒い瞳。
それを真っ直ぐに見返しながら、ムナールはフッと仕方がなさそうに微笑んだ。
「何か事情があるんだろ? それなのに路上というのも悪いじゃないか」
だからここで落ち着いて話そうよ。
そう付け加えれば、ラジュルは「ありがとうございます」と、ホッとしたような笑みを浮かべた。
「それで、僕に聞きたい事ってのは?」
「その、ムナールさんにとっては思い出したくない事かもしれませんが……」
キュッと表情を引き締め直して。
ラジュルは、言いにくそうに、それでも真っ直ぐにムナールを見つめ直した。
「島国であるオールランドは、その周りを海と森で囲まれていました。そしてその森に生息していた凶悪な魔物が多数街に現われ、街を壊滅させた……と言うのが、今公にされているオールランド事件です。そこに、精霊憑きが関与していたかどうかは発表されていません。しかし、おそらく街の人の中に精霊憑きがいて、その精霊憑きが魔物を呼び寄せたんじゃないかと、街では噂されています」
なるほど、魔物によって街は壊滅してしまった、と言うのが、世間に発表された真実なのか。
確かにそう伝えるのが賢明だろう。
嘘ではないのだし、精霊憑きが起こした事件だなんて本当の事を言えば、世間がパニックを起こす事は目に見えている。
そうなれば逆に大変だ。精霊憑きの関与については噂で周知の事実になるのだろうが、政府が正式に公表しない限り、それはあくまでも噂であって、真実ではない。
オールランドの生存者達だって、その事実は知らないのだ。それなのに、下手に真実を公表する必要はないだろう。
(本当に精霊憑きが関与しているのか否か。それがラジュル君が知りたい事なのか?)
街で流れている精霊憑きの噂。
世間では、公表されている事実よりも、噂で流れている事実を真実として認識する事になるとは思うが、それとは別に、当事者であるムナールに聞いた方が、より一層信憑性のある真実を知る事が出来ると思い、尋ねて来たのだろう。
しかし世間に公表されていない情報を、ムナールが教えるわけにはいかない。
ラジュルには申し訳ないが、ここは知らぬ存ぜぬを貫き通そうと思う。
「ええっと、精霊憑きの噂が本当かどうか知りたいって事? うーん、申し訳ないんだけど、さすがにそこまでは知らないんだよねぇ。確かに沢山の魔物が現れて、成す術もなくみんな殺されてしまったと言うのは本当なんだけど。でも、街の中に精霊憑きがいたかどうかはまでは分からないなあ」
「そう、ですよね……」
ガックリと項垂れながら、ラジュルは期待外れだと言わんばかりの溜め息を深く吐く。
やはりラジュルは、オールランド事件が精霊憑きの仕業かどうかを確認したかったらしい。
さすがに僕でも、機密事項はそう簡単には口にしないよ、と心の中で苦笑を浮かべながら、ムナールはコーヒーの入ったカップに口を付けた。
「どの精霊憑きが関与していたのか、知りたかったのにな」
(……うん?)
ポツリと呟かれたラジュルの呟きに、ムナールはふと眉を顰める。
どの精霊憑きが関与していたか?
それは、どういう意味なのだろうか。
「ラジュル君は、今回の事件に精霊憑きが関わっていたって言う確信でもあるのかい?」
「……ムナールさんは、保護団体の人達とは無関係ですよね?」
その問いに答える前に、ラジュルの視線が真っ直ぐにムナールを貫く。
質問系ではあるが、そこには無関係であるとの確信があるのだろう。
もちろん、ムナールは(表の)精霊憑き保護団体とは無関係だし、どちらかと言えば敵対する側にある。
ここは嘘を吐く必要なんてない。
コーヒーの入ったカップをソーサーに戻すと、ムナールは正直にコクリと首を縦に振った。
「僕はオールランドにあったギルド・カンパニュラの一員だ。助けに来てくれた保護団体のみなさんには感謝もしているし、共に行動もしているけれど、彼らとは関係ないよ。明日には保護団体のみなさんにはお礼を言って、この街を出るつもりだしね」
だから何を聞かれても保護団体に告げ口するつもりはないよ、と目で訴えれば、その意図が伝わったのか、ラジュルはムナールを真っ直ぐに見つめたままその目的を口にした。
「僕は、とある精霊憑きを探しています。ムナールさんに聞きたかったのは、その精霊憑きが事件当時、オールランドにいたか否かです」
「精霊憑きを? え、何で?」
「……」
精霊憑きを探している。
その予想外の目的に、ムナールは思わず目を瞬かせる。
精霊憑きは忌み嫌われる存在だ。
追い払われはしても、探される事など滅多にない。それが保護団体などの政府関係者ではなく一般人であれば尚更だ。
それなのに何故、ラジュルは精霊憑きなんかを探しているのだろう。
もしかして、一般人ではないのだろうか。
「え、まさかラジュル君、一般人に扮した精霊憑き保護団体の人?」
「いえ、違います。僕はちゃんとした一般人です」
ちゃんと、と言われたら、じゃあ自分達は何なんだ、と保護団体の人達に怒られそうな気もするが、それは一先ず置いておく事にする。
ムナールの仮定を否定すると、ラジュルは忌々しそうにその理由を口にした。
「僕達を騙していたアイツを、とっ捕まえてやりたいだけです」
「騙していた?」
「そうです。一般人のフリをして、ずっと親友を気取っていた忌々しい男です」
「……」
その表情から、どうやら穏やかな話ではないらしい。
それでも取り敢えず話は最後までを聞いてやろうと、ムナールは彼の話に耳を傾ける事にした。
「幼馴染、と言うんですか? 物心付いた頃から、オレの側にはアイツがいました。彼とは気も合い、オレ達は……少なくともオレは、彼の事を親友だと思っていました。しかし数年前、彼は一通の手紙を残して突然姿を消したんです。自分は雷の精霊憑きだった、だから迷惑が掛かる前にこの街から出る……そういった内容が、事細やかに書かれていた手紙でした」
「雷の精霊憑き……?」
ラジュルが告白した親友の正体、雷の精霊憑き。
その精霊の名に、ムナールはハッとする。
このオルデールは、闇の精霊憑きと雷の精霊憑きが手を組んで破壊したものだと、アトフは踏んでいると言っていた。
そして自分達の故郷、オールランドは、闇の精霊憑きの口車に乗せられた氷の精霊憑きが、闇の精霊憑きと協力して滅ぼしている。
つまり、闇、氷、そして雷の精霊憑きは協力関係にあるのではないかと、ムナール達は考えているのだ。
もしもその仮定が合っているのなら、ラジュルの探している彼の親友、雷の精霊憑きは、闇の精霊憑きやカルトと一緒に行動している可能性が高い。
この先彼らと鉢遭う事があれば、そこにラジュルの目的とする人物もいる事になるのだ。
しかしそれをラジュルに話すわけにもいかない。
正直に自身の目的を教えてくれたラジュルには悪いが、ここは敢えて黙っておこうと思う。
「キミの探し人と目的は分かったけど……でも、その親友である彼を見付けて、とっ捕まえたとして、その後キミはどうするの? 直々に彼を殺す気?」
「いえ? オレはただ、そいつを保護団体に突き出してやりたいだけです」
「え、それだけ?」
「え、それだけですけど……オレ、何かおかしい事でも言いましたか?」
「いや、別に……」
迷惑が掛かる前にこの街から出る、と言う事は、街に災厄が呼び寄せられる前に、精霊憑きである自分はここから立ち去る、と言う意味なのだろう。
精霊憑きは災厄を呼ぶと考えている世間一般の人は、街に潜んでいる精霊憑きを見付け次第、街から追い出すか殺すかしてしまう。
けれどもこの雷の精霊憑きの場合は、災厄が呼ばれる前に自ら進んで街から立ち去っているのだ。
つまり街の人達から見れば、追い出す手間も殺す手間も省けたと言う事になる。
それなのに何故、ラジュルは既に他の街へと去って行った雷の精霊憑きを、わざわざ探そうと思ったのだろう。だって探さずとも、ラジュルの街にはもう災厄は降り注がないハズなのに。
それなのに、わざわざ手間と時間とお金を使って、雷の精霊憑きをとっ捕まえる。
そこに、何のメリットがあるのだろうか。
「この街は雷の精霊憑きが原因で、一年半前に半壊したんだよね? それでキミは、わざわざ故郷を出て、彼の後を追ってこの街に来たって事?」
「ええ、そうです。もしかしたら、まだアイツがいるんじゃないかと思ってここに来たんです。まあ、無駄足でしたけどね」
その後の親友の足取りは掴めないから、そのままここに住み込み、ボランティアをしているんだと、ラジュルは付け加えた。
「ううん、でも、僕には分からないんだよね。だって彼はもうキミの故郷にはいないんだろ? つまり、キミの故郷にはもう災厄は来ない。それなのにわざわざ彼を捕まえて保護団体に突き出す事に、意味ってあるのかい?」
「意味? 何を言っているんですか? そんなのこのまま放っておくなんて、オレの気が済まないからに決まっているじゃないですか」
「へ?」
その意味が分からず、ムナールは思わず間の抜けた声を上げてしまう。
するとラジュルは、その瞳に憎悪の感情を宿しながら、憎らしげに言葉を続けた。
「物心付いた頃から数年前まで、オレはアイツを親友だと思っていました。心の底から、ヤツの事を信じていたんです。それなのに、アイツは精霊憑きだった。災厄を呼ぶ悪魔だったんです。ずっとずっと、オレはアイツに騙されていた、アイツは隣で、そんなオレを見て笑っていたんだ。それを許せると思いますか? 災厄を呼び寄せられる前に立ち去ったんだから、水に流してやれとでも? そんなのオレは御免ですよ。ずっと騙されていたのかと思うと、腸が煮えくり返って仕方がない。とっ捕まえて謝罪させ、保護団体に突き出してやらなきゃ気が済まないんです!」
「……」
憎々しげに唇を震わせるラジュルには悪いが、ムナールにはその感覚がよく分からなかった。
保護したリプカや、水の精霊憑きを見ていれば分かる。
雷の精霊憑きだって、おそらくラジュルを騙していたつもりなんかない。
彼だってきっと、精霊憑きである事を隠してもずっとラジュルの側にいたかったんだと思う。
けれどもその烙印が災厄を呼んでしまうかもしれない恐怖や、烙印が周囲の人達にバレた時の恐怖に耐えきれなくなって、何かが起こる前に泣く泣く立ち去る事にしたのだろう。
可哀想な話だ。出来る事なら、その前に自分達で保護してやりたかった。
ムナールが抱くのは、そういった感情だった。
けれどもラジュルが抱くのは、ムナールとは真逆の感情。
憎しみ、怒り、軽蔑。
雷の精霊憑きに対して抱いたラジュルのそれらの感情が、ムナールには理解出来ない。
でもそれは、ムナールが裏の精霊憑き保護団体として活動してきたからであり、世間一般の人から見れば、ムナールの抱く感情こそが異常なモノであり、ラジュルの抱く感情の方が普通なのだろう。
納得は出来ない。
でもそれが『正常』であるとして、ムナールはラジュルが口にした感情を飲み込む事にした。
「うん……そうだね。でもごめんね、僕では役に立てないみたいだ」
「いえ、こちらこそ取り乱してしまってすみません。お忙しい中、話を聞いて下さりありがとうございました」
律儀に頭を下げてくれるラジュルに、ムナールは「とんでもない」と笑みを浮かべる。
そうしてからコーヒーを飲み、話を聞いてくれたお礼にリトさんの家まで付き添いますよ、と申し出てくれるラジュルの言葉を有難く受け取る。
そしてそろそろ出ようと、ムナールとラジュルはお会計を済ませ、揃って店を後にした。
カランと扉のベルを鳴らし、店を後にする二人。
そんな自分達の姿をジッと見ている人物がいた事なんて、彼らは最後まで知る由はなかったのである。
□
金に近い茶髪のボブショート。今はショートかロングかセミロングになっているかもしれないから、情報は金に近い茶髪しか分からないのけれど。
背は低い方で、胸はまあまあある。瞳の色は……映像には映っていなかったし、あんまり興味もなかったから、ロゼが言っていたかもしれないが、正直覚えていない。
仕事が出来ない後輩だとロゼがよく愚痴っていたから、年齢は自分より下。今の自分が21歳だから、今、その女が生きているのだとしたら、成人したかしていないかくらいの年齢だろう。
ボランティアの中に、その女に似た女がいる事には気が付いていた。
けれども、その女にどうやって近付くべきかで悩んでいたのだ。
精霊憑き保護団体の副隊長とはいえ、下手な事をしては、すぐにプライバシーの侵害や何とかハラで訴えられ、最悪職を失う事になってしまう。その上、その女が自分の探している女ではない可能性だってあるのだ。
あの女を見付けるまでは、この職を失うわけにはいかない。復讐を果たした後はどうでも良いけれど。
けれどもチャンスは突然訪れた。
あの女とともにボランティアをしているリトに接触する事に成功したのだ。
リプカの話では、リトはあの時オールランドにいた。完全に白だ。信頼は出来る。
そして何だかんだ言い包めて、リトからあの女の職場を聞き出した。
あの女は普段、ザ・カフェランド・オルデール店というカフェのチェーン店でバイトをしているらしい。
だからリプカが現れたタイミングでリトの家を後にし、この店に来たのだが。
どうやら今日の自分はついているようだ。
そのカフェで、ムナールとラジュルが話をしているのを見付けたからである。
(とは言っても、アイツらから有力な情報は聞こえなかったんだが)
最初から二人の話を聞いていたわけではない。
比較的静かな店内ではあるが、席もそう近くではないため、途切れ途切れに少し聞こえた程度だ。
そこから得た情報と言えば、ラジュルが雷の精霊憑きを探している事。理由は彼を恨んでいるから。
他にも気になる事を話してはいたが、今は気にしないでおこうと思う。
だってそれよりも、恋人であるロゼを殺した、あの女に接触する事の方が重要なのだから。
(ラジュルに話を聞くのは、それからでも構わない)
そう思い直すと、ヴァルターはカウンターの方へと目を向ける。
その奥の方で、何か仕事をしているらしい目星の女を見付ける。
髪は少し伸びてセミロングくらいにはなっているものの、他の特徴がそれなので、おそらくあの女が件の女なのだろう。
接客をしていれば話し掛けやすいが、件の女は奥の方で作業をしており、こちら側に出て来る気配はない。客として話し掛けるのは難しいだろう。
(ならば、ボランティア活動の用件があるとでも言って呼び出してもらう方が早いだろうか)
おそらくムナール達が自分の存在に気付かなかったのは、この目に着きやすい真っ白な上着を脱いでいたせいもあったからなのだろう。
女と接触するべく、ヴァルターは傍らに置いておいた白い上着へとそっと手を伸ばす。
しかしその時であった。
カランと扉のベルが鳴り、一人の中年女性が入って来たのは。
ヴァルターはもちろんの事、客の誰もが気にも留めないその女性は、テイクアウト専門のカウンターの前に出来ている、数人が並ぶ列へと足早に近付いて行く。
これは日常の風景。よくあるカフェの一コマ。
しかしそれがあっという間に非日常の風景に変わるだなんて、店内にいた烙印持ち含む誰もが、この時は想像にもしなかったのである。