第7話 相談
握っていた手をそっと離し、少し冷静になった文恵は、疑問をぶつける。
「でも、どうやって…?」
「大丈夫、心配しなくていいよ。ちゃんとあてがあるから」
健斗は安心させるように笑みを浮かべてから、思い出したかのように尋ねた。
「米川さん、今日の放課後って空いてる?」
「うん、空いてるよ。」
文恵は少し不安そうにしながらも、頷いてみせた。それを確認した健斗は、すぐにスマホを取り出し、何かを打ち込み始める。短いメッセージを送信すると、昼休み終了5分前の予鈴が鳴り、二人は教室に戻ることにした。
放課後、健斗は文恵を連れて自宅に戻ると、真っ直ぐ階段を上がって姉の部屋に向かった。ドアを軽くノックすると、すぐに「どうぞ」という声が中から聞こえてきた。
久しぶりに入る姉の部屋は、以前と変わらず整理整頓が完璧だった。壁に掛けられた大きなコルクボードには、友達と一緒に撮った楽しげな写真がぎっしりと並び、明るい笑顔が印象的だ。
机の上には、高校時代にキャプテンを務めていたバレーボール部の集合写真がフレームに収められて飾られている。
和葉は椅子から立ち上がり、二人を迎え入れてくれた。初めての対面に、文恵は少し緊張した面持ちで、肩をすぼめながら自己紹介をする。
「は、はじめまして…米川文恵です…」
「米川さんね。うちの妹がお世話になってるよね。あっ、そうだ、何か飲むよね。アイスコーヒーか麦茶、どっちがいい?」
文恵は少し驚いたように顔を上げたが、すぐに微笑んで返事をした。
「それじゃ、麦茶でお願いします」
和葉は軽い足取りで部屋を出て行き、健斗と文恵は並んでローテーブルの前に座った。文恵がリラックスした様子で言葉を切り出す。
「稲垣さんのお姉さん、すごくキレイだね。それに、性格も優しそうだし…絶対にモテるでしょ?」
文恵が感心したように言うと、健斗はわずかに苦笑しながら肩をすくめた。
「まあ、そうだね。同じきょうだいなのに、光と影だよ」
その言葉には、自分と姉を比べる複雑な感情が滲んでいた。友達も多く、部活でもキャプテンを務めていたほどの存在感。誰とでもすぐに打ち解け、周りを楽しませることができる。
それに比べて自分は、地味で目立たず、誰かに頼られるような存在でもない。学校でも、自分の居場所を見つけるのにいつも苦労していた。今日も、カーストを上げるための方法を教えてもらうため、姉の助けを求めた。
キッチンから飲み物を持ってきた和葉は、ローテーブルに麦茶を二つ置き、自分のアイスコーヒーを手に取って勉強机の椅子に腰かけた。
「それで、相談って何?」
文恵がスクールカーストについて説明を始めると、和葉は髪の毛の先を指でくるくると巻きながら、黙って話を聞いていた。文恵が話し終えると、和葉は小さくうなずき、すぐに状況を整理してみせた。
「つまり、もっと楽しい学校生活を送るために、カーストを上げて少なくとも2軍に入りたいってことね?」
彼女の的確なまとめに、文恵も健斗も驚いた様子で頷いた。
「そうだよ。お姉ちゃん、お願い!」
健斗は顔の前で両手を合わせ、懇願するように頼み込んだ。
「まあ、可愛い妹の健斗と、その友達のためなら協力するよ。せっかく真由ちゃんのために女の子になったんだから、彼女と話すことすらできなかったら、何の意味もないもんね」
「えっ、稲垣さんが女の子になった理由って、倉田さんのためなの?」
和葉がさらっと漏らした健斗の秘密に、文恵がすかさず反応した。健斗は一瞬、固まったように表情を強張らせたが、もう隠しきれないと悟った和葉が、そのまま健斗が女の子になった経緯を話し始めた。
文恵がその話をじっと聞いている間、健斗は顔を真っ赤にして、ソファの上で縮こまるように身をすぼめた。
文恵はそっと囁くようにつぶやいた。
「素敵……」
「えっ!」
好きな子のために女装して学校に通うなんて引かれてしまうと思っていたのに、意外な反応に驚いてしまった。
「好きな子のために女の子になるなんて、純愛そのものじゃない!」
「まあ、そう言ってもらえると嬉しいけど…」
健斗は、まだ驚きを隠せないまま、少し照れたように返事をした。しかし、次の瞬間、文恵のテンションは急に跳ね上がった。
「それに、女の子同士の恋愛って最高!わかる?男の子同士にはない、繊細で柔らかな心の交流があるの。外見や体が目的じゃない、もっと深くて、純粋な愛なのよ!お互いの心が、何よりも大切なんだから。優しさと共感に満ちた、あの微妙な距離感や、些細な触れ合いが、胸の奥に響くのよ。ああ、そんな二人が困難を乗り越えて、少しずつ心を通わせていく…まさに最高の形の恋愛!」
文恵はうっとりとした顔で語り続け、その様子に健斗は少し引き気味になりつつも、文恵の熱い思いを感じ取っていた。彼女の思わぬ熱弁に、健斗はただ圧倒されるばかりだった。
妄想の世界にどっぷり入ってしまった文恵をよそに、健斗は和葉に尋ねた。
「お姉ちゃんは、何軍だったの?」
「もちろん、1軍よ。でも、裏SNSだとか、話しかけちゃダメとか、そんな変なルールはなかったけどね」
和葉はさらりと答えた。バレー部のキャプテンで、容姿も美しく、告白された人数が両手では足りない和葉が1軍なのは当然だ。しかし、和葉の時代にはカーストを支配するような厳しいルールは存在しなかったらしい。
その時、妄想の世界から現実に戻った文恵が口を開いた。
「1軍の人たちがクラスのルールを決めるからね。和葉さんみたいな優しい人が1軍だったら、そんなに厳しくならないの。でも、うちのクラスの場合、倉田さんはともかく、他の二人がね……」
文恵の言葉を聞きながら、健斗は自然と1軍の橘さんと白石さんの顔が浮かんだ。野球部のマネージャーで人気者の橘さんと、クールでカリスマ的な白石さん。二人はクラスのアイドルと女王様として君臨し、周囲からも特別扱いされている。
そんな二人が、今の地位を守るために厳しいルールを設定しているというのは、想像に難くなかった。
「それで、どうしたら良いの?お姉ちゃん」
「そんなの簡単よ」
和葉の自信満々の返答に、健斗と文恵は自然と背筋を伸ばし、正座をして向き合った。和葉の言葉を一言も逃すまいと、二人の視線は真剣そのものだった。
「要は、女子からも男子からも人気を集めて、誰もが『友達になりたい』って思う存在になればいいのよ」
「でも、仲良くなりたいと思っても、そもそも話しかけられないんだよ」
健斗が少し不安げに言うと、和葉はニヤリと笑った。
「話しかけてもらうようにすればいいのよ」
その言葉に健斗と文恵は顔を見合わせた。どうやって?といった疑問が浮かんでいたが、和葉の自信に満ちた態度を見て、すぐに答えが来ることを感じ取った。
和葉は細かいアドバイスを始めた。二人は頷きながら真剣にメモを取ったり、時折質問を挟んだりしながら、和葉のレクチャーを聞き続けた。
部屋の中は少しずつ夕日が差し込んで、やがて窓の外が暗くなっていった。和葉のレクチャーが終わる頃には、すっかり日が落ち、夜の静かな空気が漂っていた。