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第8話 変化

 朝の空気は爽やかで、少し肌を刺すような涼しさが秋の訪れを告げている。むしろ肌寒いくらいだ。
 「今日から長袖にしよう」と健斗は呟き、クローゼットから長袖のブラウスを取り出した。袖を通しながら、ふと心の中で安堵する。長袖なら、体毛のケアをそこまで気にしなくていいのだ。肌が露出しない分、少し楽になった気がする。

 鏡の前に立ち、ブラウスのシワを軽く整えた後、自然と視線は自分の髪に向かった。昨日、美容室でカットしてもらったばかりのショートカット。ウィッグを外し、初めて地毛だけで学校に行く日だ。

 首元に軽く触れる短い髪の感覚が新鮮で、でもどこか落ち着かない。鏡に映る自分は「女子高生」として見えているだろうか?それとも、「男」だと見破られてしまうんじゃないか? 長い髪という「女子っぽさ」を手放してしまったことで、不安が胸をよぎる。
 それとも、男だと気づかれてしまうのではないか。髪の毛が長いという女子に見られる要素を一つ手放したことで不安が胸をよぎる。手で髪を何度か撫でつけてみても、この新しい自分にはまだ慣れない。

「これで大丈夫かな…男だって思われたりしないよね…」

 健斗は少し不安げに呟き、鏡の自分をじっと見つめた。ショートカットは軽やかで今までより自由な感じがするけれど、その分、女子高生としての自分がうまく演じられるか心配だった。

 駅から学校への道、今日はいつも以上に「女性らしさ」を意識して歩く。背筋をまっすぐ伸ばし、肩の力を抜いて、リズムよく真っすぐ前へと進む。
 すれ違う人たちから変な目で見られている様子もない。どうやらショートカットでも、ちゃんと女の子に見えているみたいだ。

「やっぱり、女子制服は最強の迷彩服だな」

 健斗はそう思いながら、少しだけ気持ちが軽くなった。

 教室に入ると、健斗はいつも通り「おはよう」と挨拶し、自分の席に腰を下ろした。すると、隣の席の女子がさっそく話しかけてきた。

「稲垣さん、おはよ! 髪切ったんだね」

 声の主はバレー部の大関香澄。明るくて活発な彼女は、カースト2軍の女子。そんな彼女に話しかけられると、ちょっとドキッとする。健斗は緊張を隠しながらも、笑顔で返した。

「うん、髪の毛がだいぶ伸びちゃったからカットしてもらったんだ。今日からウィッグなしで地毛なんだけど、短くしすぎて女の子に見えるかちょっと心配だけど大丈夫かな」

「大丈夫だって! もっと短い子なんていっぱいいるし、それくらいなら全然女の子に見えるよ」

 香澄が屈託のない笑顔でそう言ってくれると、健斗はほんの少しだけホッとした。それでも、健斗の胸の中には微かな緊張が残っていた。2軍女子に話しかけてもらえるのは嬉しい反面、機嫌を損なわないように注意しなければならない。

 「おはよう、稲垣さん!」

 聞き慣れた声に振り返ると、そこに立っていたのは――見慣れない文恵の姿だった。おさげ三つ編みはどこへやら、すっきりとカットされた髪を軽くポニーテールにまとめている。そして、トレードマークの黒縁の眼鏡がない。

「米川さん……髪切ったんだね! しかも、コンタクトにしたの?」

 健斗は思わず目を見張った。文恵のイメチェンは予想以上だった。

「うん、ちょっと思い切ってみたの。どうかな、変じゃない?」

 文恵は不安そうにしながらも、期待を込めた瞳でこちらを見つめる。その姿は、いつもの控えめな雰囲気とは少し違って見えた。

「全然変じゃないよ! むしろ、めっちゃ似合ってる」

 健斗が力強くそう言うと、文恵はホッとしたように笑った。

「ありがと。稲垣さんも髪切ったんだね? ショートカットもすごく似合ってるよ」

 文恵も負けじと健斗を褒め返す。照れくさそうに笑うその姿は、どこか艶やかで、黒髪が光を受けてきらりと輝いていた。肌も以前より透明感が増して、なんだか垢抜けた感じがする。

 あの日、和葉に「カーストを上げる方法を教えて」と頼んだとき、一番最初に返ってきた答えはこうだった。

「まずは髪の毛と肌をなんとかしなきゃね。見た目の印象が大事だから」

 それからというもの、和葉直伝のトリートメント方法と、おすすめの美白美容液を欠かさず実践してきた。
 髪にオイルを馴染ませてから丁寧にブローしたり、夜のスキンケアを入念に行ったりするのは最初こそ面倒だったけど、あれから2週間が経った今では、その努力が少しずつ形になってきた。

 鏡に映る自分の髪は、前よりも明らかに艶が増しているし、肌もどこか透明感が出てきた気がする。少し前まで「地味」だった自分が、ちょっとずつだけど変わっていくのを実感する。

 和葉の言葉が脳裏に浮かぶ。「髪の毛と肌がきれいなら、男子ウケも良くなるし、女子もそのケア方法を聞きに来るわよ」
 そういうことか、と健斗は納得した。男子からの好印象はもちろんのこと、女子からの注目もカーストを上げる大事な要素だった。学校という世界では、見た目の変化がそのまま評価に繋がる。

 文恵の変化に気づいた同じ3軍の女子たちが、いつの間にか彼女を取り囲んでいた。派手に笑ったり、大声を出すことが許されないカースト下位の彼女たちだけど、小声でひそひそと囁きながらも、みんな文恵の変化を口々に褒めている。

「米川さん、髪型変えたんだね! すごく似合ってるよ」
「なんか、雰囲気変わったよね。前より垢抜けた感じ!」
「コンタクトにしたんだ? すごく可愛く見えるよ!」

 それぞれの言葉が文恵の心に響いているのか、彼女の表情が徐々に柔らかくなり、口元がほころんでいく。頬がほんのり赤く染まって、照れくさそうだけど嬉しそうな顔をしている。

 その様子を少し離れたところから見守っていた健斗は、思わず微笑んでしまった。

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