第3話 カミングアウト
立つことに疲れを感じ始めた健斗は、ベッドに腰かけた。
その瞬間、和葉が健斗の頭を叩くと、パコーンといい音が部屋中に響いた。
ズレたウィッグを直しながら、健斗は不満そうに和葉を見つめたが、彼女は頬を膨らませて、ますます苛立っているようだった。何がそんなに怒らせたのか分からず、健斗は戸惑うばかりだったが、それがさらに和葉の怒りに火を注いでいるようだった。
「痛てぇ!何すんだよ!」
「そんな風にドスって座ったら、スカートが皺になっちゃうじゃない。それに『痛てぇ、何すんだよ』じゃなくて、『いったぁ!なにするのよ、もう!』でしょ。女の子なんだから、常にかわいく見られるように意識しなさい!」
「わかったよ。どうすれば、いいの?」
「ほら、こんな感じ。マネしてみて」
和葉がやっているように座る瞬間お尻に手を当て、プリーツのひだを伸ばすようにして座る。
そういえば、クラスの女子たちもそんな風に座っていたのを思い出した。
スカートを履くだけで女の子になれると思っていたのは、甘い考えだった。
立ち方や座り方など座意識しなければならないことが山のようにある。
このままでは、真由と付き合うどころか、こんなにもぎこちない姿を見せたら、真由に引かれてしまうんじゃないか。 女の子になるって、こんなに大変なことだなんて、想像もしていなかった。
そんな不安とは他所に和葉は立ち上がり、健斗の手を引っ張った。
「ほら、着替えたところでお母さんとお父さんのところに行くよ」
「えっ、今から?まだ心の準備が……」」
「なんでも早い方がいいでしょ。それに、健斗の部屋からブラジャー出てきたら、お母さんびっくりするでしょ」
言われてみればその通りだ。健斗は和葉の後を追って階段を降りた。
「それじゃ、先に私がお母さんたちに話すから、呼んだら部屋に入ってきて」
「わかった」
いきなり女の子になりたいなんて言い出したら、お母さんたち驚くかな。
反対されたらどうしよう。
でも、きっと和葉がうまい具合に言ってくれるはず。
期待しながら、ドアの外からリビングの様子を伺うことにした。
「ねぇ、ねぇ、お母さん、聞いて」
「和葉どうしたの?」
「健斗が、女の子になりたいんだって。ほら、健斗入ってきて」
何の捻りもない火の玉ストレートなカミングアウトだった。返事を待たずに、ドアが開き和葉が手を引きリビングへと連れて行った。
エプロン姿でキッチンに立っている母と、椅子に座りビールを飲んでいる父が健斗を見つめる。
母は料理する手を止め、父もビールをテーブルに置いた。
「え、健斗…?なに、その格好は」
健斗の女装した姿を見た母の震える声が、静かなリビングに響いた。
「どうかな?スカートはお姉ちゃんので、ブラウスは買ってもらったの」
和葉に教えてもらったとおり、脚を閉じて左足は少し引き気味に、そして脇も閉じて肘は後ろ向けた。
両親の反応を待つ間、心臓は激しく波打ちドキドキする音が聞こえてきそうだ。
近づいた母が上から下まで舐めるように見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「意外と似合ってるね」
父も2本目のビールを開けながら、つぶやいた。
「ああ、女の子に見えなくもない」
息子が娘になりたいといいだすなんて、一大事のはずだが拍子抜けするぐらいあっさりと受け入れている。
「反対とかしないの?」
「えっ、だって、健斗、華奢な体形で性格も暗くて将来心配してたけど、女の子になるんだったら、華奢でもいいし、無口であまりしゃべらなくても落ち着いた性格って思ってくれるし、女の子の方が良いんじゃない?」
「お父さんは?」
「ああ、会社で研修受けたからな。こういう時は否定してもダメだから、受け入れるのが大事らしい」
最大のハードルと思われた両親へのカミングアウトは、あっさりと終了した。受け入れてもらえたのは嬉しいが、今まで母親に心配かけていた事実が健斗の胸をえぐった。
◇ ◇ ◇
夏の強い日差しが校舎に降り注ぎ、暑さがじりじりと肌を焼く。閑散とした校庭に響くのは、遠くから聞こえる部活の掛け声だけで、普段の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
母さんは車を降りるなり、「職員室はどこ?」と聞いてきた。健斗が「あっち」と校舎の方を指さすと、一目散に小走りで職員棟へと向かい始める。
慌てて後を追いかけると、母さんはすでにアームカバーを外し始めていた。
「そんなに急がなくてもいいだろ?」
「何言ってんの!紫外線は女の敵よ!」
マジかよ、そんなに大事なのか?と健斗は驚きつつも、女の子って大変だなとしみじみ感じるのだった。
母さんと一緒に職員室に入ると、先生たちが一斉に作業の手を止めて、こちらに視線を向けてきた。
めっちゃ見られてる。そりゃ、生徒が女装して学校にやってきたら気になるよなと心の中でツッコミつつ、担任の村中先生の机へ向かう。
村中先生はいつもスーツだが、授業もない夏休みということもあり水色のワンピースを着ている。
きりっとした印象が強かったけど、こうしてカジュアルな服装をしていると、普通におしゃれを気にする20代の女性なんだなって改めて実感する。
村中先生はさっと立ち上がって軽くあいさつすると、「応接室に行って待っててくださいね。教頭先生を呼んできますから」と言い残して、そそくさと職員室を出て行った。
初めて入る応接室はそうな壺が置かれてたり、革張りのソファがあったりして教室に比べて豪華だった。
落ち着かない健斗は周りをキョロキョロと見渡しながら、先生たちが来るのを待った。
―—トン、トン
ノックの音がして、扉が静かに開くと村中先生と教頭先生が姿を見せた。二人は軽く頭を下げながら、ゆっくりと応接室に入ってきて、正面のソファに座った。
教頭先生が抱えている書類の束が目に入る。「LGBT対応マニュアル」と書かれた表紙に、無意識に目が釘付けになる。
教頭先生が書類の束を机に置くと、再び頭を下げた。
「今日はわざわざお越しくださってありがとうございます」
「先生、こちらこそすみませんね。健斗が急に女の子になりたいって言いだしてしまって」
「いえ、いえ、こんな時代ですし。もちろん、学校側としても受け入れる用意はありますよ。学校としてどうサポートしていくかは相談しながら決めたいと思っています」
母と先生が、トイレや更衣室のことについて真剣に話し合っているのを、黙って見守るしかなかった。
だけど、その話を聞けば聞くほど、心の中がチクチク痛む。女の子になりたいのは事実だけど、その理由が真由と付き合いたいっていう不純な動機で、なんか申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。
一通りの話し合いの区切りがついたところで、教頭先生が次の仕事があるのでと席を立った。
応接室に残った村中先生は、上司がいなくなったこともありややくだけた口調ではなしかけてきた。
「いや~、稲垣さんが女の子になるなんてね。でも、よかったよ。クラスでもあまり馴染めていない様子だったし、これを機に新しい自分を見つけられるかもしれないね」
村中先生の言葉に、頭がガンガンする。クラスに馴染めてなかった? 僕が……そんな風に思われていたのか? 自分では普通に過ごしていたつもりなのに。まさか、そんなに心配されていたなんて……。
「暗くて、男子ともあまり上手くいってなかったみたいだけど、こうして新しい姿になったんだから、今度はもっとみんなと仲良くなれるかもね」
先生が笑顔を向ける。その優しい表情が、かえって僕の胸を刺す。
――こんなに心配されてたんだ、俺。
先生は良かれと思って言ってくれてる。それはわかってるけど、その優しさが重い。僕が女の子になりたいなんて言ったのは、そんな大それた理由じゃない。ただ、真由に近づきたいだけなんだ……。
「まあ、女の子としての生活もいろいろ大変だけど、困ったことがあったらいつでも相談してね」
先生のその言葉が、まるで優しい刃のように胸に深く突き刺さる。普段の自分が、周りにこんなにも心配されていたなんて知らなかった。それが、ただただショックで、胸が苦しい。