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4.どうしてジュースばっかり飲んじゃいけないの?

翌日。
各々紙に昨日親と話した内容をまとめる。今日の活動報告書に添付するそうだ。
「お父さんお母さんって、結構私のこと心配してたみたいで、びっくりしたよ!」
『自分からそんなことを言ってくるなんて…およよ』
『あなたぁ!今日はお赤飯よぉ!お兄ちゃあん、小豆買ってきてぇ!』
「なんて、昨日の夜は騒がしかったぁ。」
「うちも同じようなものだねぇ、思ったより考えてたんだねぇ、親ってやつは。この大学はここがいい、あの大学はここが瑠夏と合わない、なんて延々聞かされたよぉ。おかげで寝不足…ふあああ。」
いつもだろ。
「うちもだな。そんな大げさじゃないけど、学費のことも心配いらない、しっかり勉強してくれればそれでいい、って感じだったな。逆にプレッシャーだ。」
全く、あんなに色々考えてたら教えてくれればよかったのに…
照れ臭くなりながら無難な内容をまとめる。

「結局掃除はするん、だよねぇ~~~!」
「するに決まってるだろ、手を動かせ、部長。」
昨日終わらなかった掃除を再開する。
葦附は強引に段ボールを隅に積み上げる。危なっかしいので時々俺がサポートする。俺は相変わらず埃を拭き取り、時折ほうきで床を掃く。古城には軽めの器具を奥に運んでもらってる…のだが。
よい、しょぉ
すた、すた、すた
ふぅ、ふぅ
すた、すた、すた
うん、しょぉ
すた、すた、すた
ふうーぅ
動きがゆっっっくり過ぎる。亀が先祖?
それに、さっきからずっと息切れしている。貧弱にもほどがある。
「古城、大丈夫か?」
「うぅん、大丈夫だよぉ。」
ふぅー、ふぅ
絶対大丈夫じゃない!
さっさと拭き掃除を終わらせて、古城を手伝わないと。
あぁもう、世話が焼ける、この部活ぅ!

ふぅ、ふぅ
ぜい、ぜい
一時間半ほど集中し、やれることはやった。
段ボールや用具を部屋の隅に押しやり、拭けるところは拭き、掃けるところは掃いた。俺の頭くらいまで積みあがった段ボールは、なんとか崩れずに均衡を保っている。それでも確保できたスペースは一畳ほど、部屋の半分くらい。傍の荷物を肘置きにして、三人向かい合って座る分には不都合無いくらいだ。

つか、れた。じんわりと汗をかき、肩で息をする。
はぁ、はぁ
古城はずっと息切れしていて、もう椅子に座り込んでいる。完全にグロッキーだ。
「うーん!結構片付いたね!ね?!」
葦附は手足をばたつかせている。古城との対比がひどい。
「どこからその元気が来るんだ…」
「ね、飲み物買いに行こうよ!喉渇いちゃった!ほら、古城さんも!」
古城の腕をぐいぐい引っ張るが、その腕に力は入っていない、だらんと伸びている。哀れで目もあてられない。
「葦附、古城、疲れてるみたいだから、俺たちだけで行こう。」
「そう?だったら古城さん、何飲む?買ってくるよ!」
「……ぉ。」
絞り出すような声が聞こえる。
「え?!何?!」
「…何か、栄養が、つくものをぉ…」
「スポーツドリンクだな、分かった!行こう、葦附!」
「あ、うん、行ってくるね古城さん!」
返事は無い。ただの屍のようだ。
古城、安らかに。アーメン。

一階の購買前まで来た。自販機が三台並んでいる。
「古城さんはスポドリだよね?これでいいかな?」
「いいんじゃね。」
ピッ
ガタンガコン
三人分飲み物を買う。俺はお茶、葦附はよく分からない甘ったるい清涼飲料水。

プシュッ
ごっくごっくごっく
ぷはー
嘘だろこいつ。買って十秒もしないうちに、もう半分飲みやがった。しかもそんな甘いのを…引くわぁ。
「そんなもの一気に飲むなよ、腹壊すぞ。」
「だってだって、喉渇いてたんだもん!」
「だってじゃない、だったらお茶とかでいいだろ。」
「えぇー?!お茶よりこっちの方が美味しくない?そうじゃない?」
「太るだろ、砂糖がいっぱい入ってるから。虫歯にもなるし。」
「でも、砂糖が入ってるっていったって、このペットボトルの、こーんくらいしか入ってないんじゃないの?それなのに、身体に悪いなんて、あるのかなぁ?」
指で五センチくらいを形どる。いや大した量だぞそれ。

「銘柄や種類でばらつきがあるが、大まかに『炭酸飲料』と呼ばれるものだったら、砂糖が50~60グラム、甘さを感じるような『清涼飲料水』だと30~50グラムみたいだ。古城の『スポーツドリンク』でも20グラムは砂糖が入ってるみたいだぞ。どの栄養士や歯医者のサイトでもこの数値は似ているから、妥当性があるな。葦附が飲んでるのだったら、50グラムくらいだろう。」
「ううん、多いのか少ないのか分かんないよ。正直、たった50グラム?って思っちゃうなあ。」
「紅茶とかコーヒーに入れるスティックシュガーがあるだろ?あれが一本5グラムだ。」
「ウッソー?!あれ十本分?!飲んでるときはそんな感じしないのに…スティックシュガー十本飲めって言われても無理だよぉ…甘過ぎて途中で『ウェッ』ってなっちゃう…」
「いかに他の味で誤魔化されるかってのが分かるな。知らず知らずのうちに、というわけだ。」
「でもでも、結局、砂糖を50グラム摂ったからって、何になるの?すぐ病気になるわけでも、ないんでしょ?」
「WHOは肥満や虫歯のリスク低減のため、糖類の摂取量を総エネルギー摂取量の5%に抑えるように言っている(※)。一日の目標摂取カロリーは、18~49歳の女性では1,800~2,100キロカロリーと言われているから(※)、2,000と仮定すると、糖類からの摂取カロリーは100。糖類含む糖質のグラム当たりエネルギーは4キロカロリー。つまり、世界で奨励される一日の糖類摂取量は、たった25グラムというわけだ。もう一日分終わっちゃったな。」
「えぇ…?これで一日…?ホントに…?」
半分減ったペットボトルを見て固まる。
「飲み物だけじゃない、一日に口にする物全部ひっくるめて25グラムだから、飲み物に限定すると10グラムぐらいに抑えておかないと、もう無理だな。大人しくお茶か水飲んどけって話だ。」
「やーーーだーーー!飲みたい、たまにはジュースだって飲まないとやってらないよぉ!」
キュパッ
ゴッゴッゴッ
ぷは
一気に三割くらい飲んでしまった。怖い。

「まぁ、25グラムってのはあくまで病気のリスクを減らすための基準だし、たまに目指す、くらいでいいんじゃないか。多分50グラムでも、世間の大抵の人は達成できてないと思うし。」
俺も怪しいな。飲み物こそお茶ばかりだが、家に帰ればお菓子をつまむこともままある。
「うん…でも太りたくないし、虫歯だって、歯医者さんで削るの痛そうだし…」
「虫歯になったことないのか。」
「無いよ!ほら。」
いーーー
口を横に開いて歯を見せてくる。羞恥心の欠片も無い。真っ白で美しく整っている。もうちょっと磨けば光りそうなくらい。
「けど虫歯を削るのって、痛いものでもないぞ。」
「え?削ったことあるの?」
「中学生の時に、一度。よく磨いてたつもりが磨けてない歯があって、それでちょっと虫歯になったから削った。全然痛くなかったぞ。」
「ほんと?だったら歯磨きサボっても、ちょっとはいいのかな。」
「よくない。歯の表面に穴ができたくらいならいいが、神経までやられるとお終いだ、麻酔を打たれて痛みを堪えつつ削るしかない。最悪になると手術だ。」
「あーあー!やっぱそうなるよねえ!歯磨き、頑張ろっと!」
「それがいいな。」

廊下を歩きながら話を続ける。
「それで糖類の摂り過ぎがもたらす病気として、肥満の他、高血圧、糖尿病、骨粗鬆症などが挙げられるな。」
「コッソソショーショー?聞いたことはあるけど、どんな病気だったっけ?」
骨粗鬆症(こつそしょうしょう)な。こつ、そしょう、しょうで区切るといいぞ。要するに、骨がスカスカになる病気だ。ちょっとつまずいたり転んだりしただけで、ポキッと骨が折れてしまう。なぜそうなるのかという理由については、つまるところ糖類を摂り過ぎて血の中が糖質でいっぱいになると、骨を新しくする力がどんどん低下する、くらいの理解でいいだろう(※)。これ以上は難しい話になっちゃうな。」
「こういう病気って、風邪みたいに、ちょっと休んだら完全回復、というわけにもいかなさそうだよね。一度かかっちゃったら、もうそれに付き合って生きていくしかないかも、しれないんだよね。怖いなぁ。」
「だから、そんなものばっかり飲んでんなよな。」
「そんなもんって何さ!これを作るメーカーさんは悪くない、病気になっても私が悪いんだからぁ!あーーー!」
たかがジュースでうるっさいなぁ。やっぱやべえ奴。
「…だったら自己管理しろよ。ジュースを長く楽しむためにもな。」

部室に戻ってきた。そろそろ『部室』扱いしてもいいだろう。
「やぁやぁ買ってきてもらって悪いねぇ、お金は後で渡すからぁ、ありがとぉ。」
古城の息が整い、顔色も良くなっている。

「…それで、ジュースの話になって、砂糖がいっぱい入ってるってことが分かったんだぁ、はぁ…」
ペットボトルを愛おしそうに撫でる。その思いメーカーに伝えたら?喜ぶよ?
「糖類の摂り過ぎが引き起こす病気の話もしたな。長生きのためにも、口にするものは気をつけたいもんだな。」
「なるほどねぇ、私もこれを一気に飲まずに、すこーしずつ飲むことにするよぉ。」
ちびり
一割減ったかどうかで飲むのをやめる。お前はもっと飲めよ、死ぬぞ。
「それに、甘い飲み物って、飲んじゃうと逆に喉が渇いちゃうこともあるよねぇ。」
「あー!あるある!飲んでるのに、『なんか喉が潤ってないなぁ』って、なることある!今もそうだもん!」
「どうしようもねぇな、おい。」
声に出てしまった。
「『ペットボトル症候群』とかって、聞いたことあるぅ?」
「薄ぼんやりとしか、ない。」
「何それ?ペットボトル食べたくなっちゃうとか?」
馬鹿も休み休み言いやがれ。
「さっき二人が話したみたいに、ペットボトル飲料の多くにはたくさん砂糖が入ってるからぁ、それをぐびぐび飲んじゃうとぉ、血の中の糖類が一気に増えちゃう、と。そうなると、その糖類が詰まって血がドロドロになっちゃうんだよねぇ。それをサラサラに戻そうとして、細胞が持ってる水分を血にしちゃおう、ってなるわけさぁ。喉や口の細胞もそう。だから喉が渇くっていうメカニズムみたいだよぉ(※)。」
「それでジュースを飲んじゃうとさらに血がドロドロになって、か。なるほど、悪循環だな。」
「ううぅ…美味しいのに…美味しいだけじゃ、ダメなんだねぇ…」
「まぁ美味しいものって皆んなそうだよねぇ。美味しいけど身体に悪い、身体に良いけど美味しくない…トレードオフ、だねぇ。」
「ジュースに限らずお菓子、ファストフード、カップ麺とか何でもそうだな。手軽で美味しい分、何かが犠牲になってることを、忘れ切っちゃあいけないかもな。」
「一人暮らしだと特にそうなりそうだよねぇ。誰の目も無いし、仕事や勉強を言い訳にして、やりたい放題できちゃうものねぇ。それで一人で病気になって、倒れる、と。」
「なんか怖いこと言ってないか?」

「そうかぁ、だったら、毎日ご飯を用意してくれるお母さんに感謝しなくちゃね!」
それでお前は何なの?両親へ感謝チャンネルなの?そんなに良い子でいて何になるの?
「それに愛情もこもってるだろうからねぇ、見た目以上に栄養が詰まってたりするかもよぉ。好き嫌い無く、食べなきゃねぇ。」
「そうだよね!私は好き嫌い無いよ!何でも食べちゃう!」
まぁ無さそうな見た目してるよな。
「私はぁ、うーんと、何かあったっけぇ…あ、あぁ、キノコだ。シイタケとか、シメジとか、エリンギとか、その辺がダメなんだよねぇ、触感が。エノキだけはなんとかなるけどぉ。」
「えぇー!お味噌汁やお鍋に入ってたり、焼いただけでも美味しいよ?」
「うぅーん、何かこう、ふさっふさっとしたところが、どうも苦手で…可食部じゃないと思っちゃうんだよねぇ。」
「そう?そんなとこある?」
「あるんだよぉ、それがぁ。」
「ふぅーん…荒屋敷君は?何かある?」

「甘いもの全般、おこげ、おこわ、赤飯、五穀米といったご飯のイレギュラーども、銀杏、納豆、魚の干物。後は何とかなる。」
「うぅーわ、多い!」
「多くない。お前らが少ないだけで、結構世間の人はこのくらい普通にあるから。野菜とかキノコは全部食べられるしな。」
「甘いものが苦手なのはさっき伝わってきたけど、おこげとかが嫌いってのは?」
「まず前提として、ふっくら炊いた白米が一番美味しい。で、そいつらはふっくらもしてないし触感もおかしい。白米と同じ形をしていながら白米に成り損なった、エラーという他ない。だから食べない。」
「全否定だねぇ、触感が楽しめなかったら確かに、ダメかもねぇ。」
「何だか人生損してそう…他は?銀杏とか、納豆とかも分かるけど、魚の干物って?何で干物だけ嫌なの?」
「人生損してないから別に。言い過ぎだから、それ。干物は、単に食べづらいから。骨がそのままだし、干したせいで表面が硬くなって箸が通りづらい。それに薄く広がってるから、可食部を全部食べるのに労力がかかり過ぎる。普通の切り身でいいだろ。それなら食べられる。」
「…なんだか、論理的なようで、」
「…ただ駄々をこねてる子供みたい。」
「あん?」
「変に知識と論理が身に付いてる分、子供よりずぅっと厄介だけどねぇ。」
そんなに俺を責めるな。泣くぞ。
「うっさい。とにかく苦手なものは苦手なんだ。」
「それじゃあさ!今日はお母さんに、逆に苦手なもの出してもらって、好き嫌いを克服する日にするのって、どう?」
「え?」
「は?」
「あ、もうこの時間に言っても間に合わないか。じゃあ明日!明日の晩御飯で!」
開いた口が塞がらない。いつもお前に流されてばかりだが、こればっかりは看過できない。
「いやぁ、部長ぉ、それはちょっとまずいよぉ、好き嫌いが無い部長は、やることが無いからぁ、ちょっと不公平じゃないかなぁ?」
古城が攻勢に出た。普段のらりくらりしてるが、キノコはとことん嫌らしい。なんか可愛げがあっていいね。
「そうだぞ、俺たちに強制して、お前は何するんだ?」
「私?私は…あえて言うなら苦手な、辛い物でも頼もうかな?中辛のカレーとか。」
プッチン
張っていた何かが切れた。
「ご褒美じゃねぇかぁ!ずるいぞ自分だけ!それに中辛って、ぜんっぜん、辛くねぇからぁ!」
「副部長の言うとおーり、ちょっとそれは、我々に残酷過ぎでは、ありませんかぁ?」
珍しく、葦附に対して二人で立ち向かう構図になった。
「えぇ?うぅん、まぁでも、確かにそうかぁ。ごめんごめん。じゃあこれは無しで。」
さすがに民主主義には逆らえないらしい。
古城の方を見る。
目が合った。
そのまま互いにゆっくり頷く。
勝った。

「でも好き嫌いは無くなるように、頑張っていこうね!」
「善処いたしまぁす。」
「はいはい。」

少し広くなった部室で、今日も話が進んだ。
今日は、ジュースはほどほどに飲むことと、二対一なら勝てる、ということを学んだ。

しおり