3.どうして学校に行くの?
「どうして学校にっ、よいしょっ、来てるんだろうねぇ、私たちぃ!」
葦附が段ボールを二ついっぺんに運びながら、変なことを言い出した。
「はぁ?」
文化研究会発足から二日目、放課後。科学準備室、もとい部室の掃除をしていた。
とはいうものの、全部学校の備品なので、勝手に捨てることはできない。できるだけ一か所に積み上げて、埃を拭き取るくらいしかできないのだが、とりあえず足を伸ばせる広さは確保しようということに。
その最中に、葦附が学校になぜ行くのかという疑問を提議した。
「義務教育で決まってるからだろうが。」
マスクをしてゴム手袋をはめ、カラーコーンを水拭きしながら答える。俺は、埃とカビをどうにかしないといけない。吸い込んでしまえば器官を痛めてしまう。
「そうなんだけど、行かないこともできるんじゃないの?世の中には、不登校の子もいっぱいいそうな、ものだけど。」
「最近の文部科学省の令和四年度調査によると、小・中学校における不登校児童生徒数は約三十万人(※)らしいよぉ。日本の人口が一億人ちょっととすると、そこら辺の四十人に一人は不登校の経験がある、ってことになるねぇ。」
そういう古城は、本を一冊ずつあっちやこっちへ移動させている。非力にもほどがある。
「えぇー!そんなに多いんだ!私たちのクラスにも、実は不登校の子がいたり…?」
「待て待て、定義が分からない。その『不登校』って、どんな状態のことを指すんだ?」
「これも文部科学省の定義だと、病気や怪我、経済事情、コロナ感染回避目的以外の理由で、年度の間に三十日以上欠席した児童生徒(※)のこと、みたいだねぇ。」
「そっか、家のお金事情もあるし、最近はコロナもあったね。」
「一年間の平日が大体二百四十五日だから、三週間に二回くらいのペースで学校をサボると、『不登校』ってことになるんだな。」
「そのくらいだったら私、行かなかったこと結構あるよ!小学生の時にね、学校に行く途中でトンボを追っかけて、そのまま川で遊んだりしたなぁ。後ですっごく怒られたけど…」
わんぱく過ぎる。
「私も、起きられなかったことがしょっちゅうあったねぇ。まぁ遅刻だから大丈夫だったけどぉ。」
大丈夫ではないだろ。
「それで、不登校になったらどうなるんだ?義務教育を満たしてるって言えるのか?」
「ひょっとして、小・中学校で留年、退学になっちゃったり?!嫌だぁ!」
「いやぁ、不登校のままでも進級・卒業はできるみたいだよぉ。出席日数は要件に入ってないみたいだし、平成二十八年には教育機会確保法(※)、なんて法律が公布されてるねぇ。これは不登校の児童生徒を対象として、無理に登校させることなく、フリースクールや外部機関も利用して、義務教育相当の機会を確保しよう、っていうものらしいねぇ。」
「フリースクールって、何?塾みたいなもの?」
「似てるけれど、塾が成績の向上を目的にするのに対して、フリースクールはあくまで学校の代わりに授業をする、っていう建付けみたいだから、やたら勉強させる感じでは、無いんじゃないかなぁ?」
「国としても、不登校を無理やり直そうとするんじゃなくて、あくまで子供の意思に沿った形で勉強させるのを奨励してるんだな、いいじゃん。」
俺も不登校してれば良かったかもな、と思えるほど。
「まぁ実際は分からないけれど、ねぇ。公立なら完全不登校でも問題無いかもしれないけど、私立では話が違ってくるかもしれない。でも、少なくとも、国がこうやって方針を出してるのは、いいことに違いないねぇ。」
「へぇー、だったら私も家で勉強をちゃちゃっと済ませて、後の時間ずっと遊んでいたかったなぁ!」
「お前、自分一人で勉強できるのかよ。それに友達は皆んな学校に行ってる時間に、一人でずっと遊ぶのか?寂しいなぁ?」
「あ、そっかぁ…一人かぁ、それも嫌かも…」
「それに学校は、勉強だけの場所じゃないって、つくづく思うよねぇ。社交性を磨く場でも、あるよねぇ。」
「健康にもなるしな。」
「え?」
「んん?」
「いやそうだろ。毎朝ちゃんと起きて、日中活動して、夕方に帰ってきて、明日のために夜きちんと寝る。この習慣って、そもそも学校に行かなきゃ身につかなかったんじゃないのか?」
「ああ!確かに!当たり前になってたけど、すごく大事なことだよね!」
「大人になるほど、守れなくなっていきそうだよねぇ。若いうちからきちんと身に着けないと、だねぇ。」
「古城さん、ホントにおばあちゃんみたい…」
「一応、令和四年度の文部科学省調査を見ると、児童生徒が『学校生活を通じて身に付けたいこと』、『学校生活を通じて身に付いていると思うこと』が公開されている(※)。」
「身に付けたいこと、身に付いていると思うことどっちも、『基礎的・基本的な知識・技能』が一番上にきてるよ!」
「まぁ授業受けてたら、一番そう感じやすいよな。」
「それで、身に付けたいこととして、二番目に『友達の大切さを認め、多様な意見や考えを尊重する力』がきてるよぉ、微笑ましいねぇ。」
「うんうん!やっぱり友達を大事にしなくちゃ!」
「まぁ、『社会生活に必要な常識やきまりを守る力』も四番目にきてるし、社会性を身に付けたいって気持ちは皆んなあるみたいだな。」
「そうだねぇ。こればっかりは学校で集団生活をしないと、なかなか身に付きそうにないねぇ。」
「あ、ねえねえ!『1人1台端末(タブレットなど)を学習等で活用する力 』、なんて選択肢があるよ!いいなぁ!私も学校でタブレット、使いたい使いたい!」
ぴょんぴょん跳ねる、そのたびに埃が舞う。
「やめろやめろ、埃が舞う!」
「あ、ごっめーん。」
ヘラヘラしやがって、ったく。
「時代だねぇ。確かに今の時代、タブレットやパソコンに全く触れないで仕事をする、なんて大人はいないよねぇ。」
「私立の学校じゃあ既に授業に取り入れて、ニュースになったりもしたし、義務教育もアップデートしていくべきかもな。」
「うん、子供たち一人一人にあった教育ができるようになるといいね。」
「そのとおーりぃ。」
「だな。」
良い感じに話がまとまった。
おっと、話に夢中で掃除が全然進んでいない。さっさとしないと…
「いや、俺らの話は?義務教育以降、高校だとどうなる?」
「あ、そっか!私たちって、もう学校行かなくていいもんね?!」
「自分で学校を選んだ、という形になるねぇ。」
「どうして学校を選んだんだろう。」
シーン
何で学校を選んだか?いやだって、高校に行かないとなったら働かないといけないし、でも良い条件で働くんだったら、高校、大学を出るのが普通だろ?だから高校に行かないなんて選択肢、微塵も思いつかなかった。両親もそんなこと言わなかったし…
「…令和二年度の高校等進学率は、通信制まで含めると九十八.八パーセント(※)らしい。進学以外の選択肢がほぼ無い環境だな。」
「絶対では無いけれど、世間では高校進学が前提条件になってるところも、多いかもしれないねぇ。」
「言い方は悪いが、高校を出てないと無意識に下に見られる世の中なのかもしれない。」
「うぅん、でも、そんなのが高校に行く理由だなんて、思いたくないなぁ。」
「もっと他にあるだろ。これは世間の反応ってところだ。」
「やりたいことが見つかってないから、とかねぇ。私たちはまだ十代半ばを、ちょっと過ぎたころで、見分も広くない。働くとか、大きい決断をするには、ちょっと経験が足りないかもねぇ。」
「うん、日本だって行ってないところだらけだし、世界なんてどこも行ったこと無いよ。いっぱい、いーっぱい見たり触ったり食べたりしてから、どんな働き方にするのか決めたいなぁ。あ、アメリカは絶対行きたい!ハワイ、ハワイ!」
「でも限度があるだろ。時間もお金も。限られたリソースの中でさっさと判断しなきゃいけないんだよ。」
「うぅん、そっかぁ…じゃあ、荒屋敷君は?高校生になって、どう?将来どうしたいとか、決まった?」
「えっ。」
言葉に詰まる。こいつは、抜けてるようで核心を突くようなことを聞いてくるからたまらん。
「…将来、決まってないな。」
家に帰ったらゲームして、勉強。そんな毎日を過ごしてきた。将来の何のために、とかは全く意識していない。何となく大学に行こうと思っているが、それも「成績的にちょうどよく入れそうだから」とか「国立で、実家から通えるから、両親も反対しない大学だったから」とか、そんな理由だ。
昨日の生きる意味もそうだが、最終目的が無い。それがあればブレークダウンして今やることを決めれそうなものだが、そもそもそれが無い段階で意識して判断しろ、という方が無理があるのではないか?
でも、そうしたら、いつまで「探す」段階でいいのか?やりたいことが、高校のうちに見つからないとして、大学に行ったら見つかるものか?ほとんど今と変わらない毎日を送るだけだったら?それでいつの間にか就職、なんてことになったら?
思考のるつぼにはまった。もう何も結論を出せない…
「すぐに、『これだ!』って結論は出さなくていいけれど、『こういうことがしたいかもな』くらいの意識をもって、日々過ごした方がいいかもねぇ。ふあああ、面倒臭いけれどぉ。」
「それにこの期間は義務教育じゃない。お金がたくさん、必要になる。」
珍しく葦附が真剣な顔になる。
「高校三年間の学習費について、令和三年度の調査だと、公立だとだいたい百五十万円、私立だと三百万円かかる(※)んだって。すごい…」
「『学習費』だから、学校に払う授業料の他に、塾とか習い事の費用も含めての数字だねぇ。」
「まだ高校なのに、公立でも決して安くはないな。雨晴高校は公立で、俺は二年生だから、もう百万円分は払ったことになるのか…」
百万円。テレビで見る、あの白い帯がついた札束。お父さんお母さん、あの札束払ったのか…俺のために…
何となく、悪いことをしている気になって胸が詰まる。
「皆んな親に感謝しないといけないねぇ。いやぁ、お父さんお母さんごめんなさぁい、寝てばっかりですぅ。」
両手を合わせて宙を拝んでいる。絶対悪いと思ってないだろ。
「ねぇ、私たち以外の高校生の子たちは、将来のこと、どんな風に考えてるんだろ?」
「高校三年生の保護者を対象とした令和五年度のアンケートがあった。これを見るに、九割は大学や専門学校に進学しているな。就職は一割というところ(※)だ。」
「そうなんだ!中学から高校と同じように、高校から大学とかに行くのも当然、みたいな世の中になってきてるのかなぁ。」
「そうだねぇ、世間で『新卒採用』なんて言うけれど、だいたいの募集要項では、高校卒業より、大学卒業のイメージがあるねぇ。企業も大卒を、青田刈りじゃないけれど、大学生のうちから集めている、なんてニュースは聞くよねぇ。」
「早期インターンの紹介とかOB訪問とか推薦とか、就職で有利になるような情報は大学ごとに集まってそうだ。大学に行けば情報戦で有利になる。」
「学費のことを考えても、将来いいとこに就職できれば、長い目で見れば得してる、と言えるかもねぇ。」
『学歴フィルター』もよく聞くよなぁ。何なんだよあれ。」
「え、『学歴フィルター』ってさ、つまり、会社が人を採用するときに、『あ、この人は有名大学じゃないからダメー』なんて差別するってこと?いいの?そんなの?!」
「まぁそこまで露骨なのは無いと思うよぉ。やっぱり行った大学だけでその人の全てが分かるわけじゃあないしぃ。でも、企業も頭良い人はほしいだろうから、こっそり、ちょっぴり、やってるかもねぇ。」
「『フィルターあります!』なんて公表するわけないしな。結局は企業に都合がいいようになるだけだろ。」
「そっかぁ、えぇー、働くのって、なんかドロドロしてて、嫌になってきちゃったかも。」
俺はずっと嫌だけどな。
「もっと華やかな、『キャリアウーマン!』みたいな感じになれるかと思ってたのに…」
「まぁまぁ部長、あくまでそういう話がある、って程度ですからぁ。そんなに心配なさんなぁ。」
「話がズレてきてるぞ。高校生が進路どうするかって話だよな。ここに令和五年度のマイナビの調査がある。高校三年生の大学受験生が志望校を選ぶときにポイントとして、『学べる内容』と『取れる資格』、この二つについて、ほぼ半数が重視していると回答している(※)。」
「てことは、皆んな自分のやりたいことが見つかって大学選んでるんだよね。すごいなぁ。」
「待たれぃ、『受験校選びの際や入学直前の不安、悩み』なんて項目もあるよぉ。これを見ると、『将来やりたいと思う仕事が見つけられるか』というのが一番多いねぇ。それに、『自分が学びたい内容を学べるか』、『既にある目標の資格を取得できるか』、この二つが二番目、三番目になってるねぇ。やりたいことを何となぁく決めて大学も決めたけれど、実際どうなるか、このままでいいのか、みたいな不安は、皆んな持ってるみたいだねぇ。」
「まぁ実際やってみるまで分からない、これに尽きるな。」
「そっかぁ、決めたつもりでも、『これでいいのかな?』とか、『自分のやりたいことって何だろう?』っていう悩みって、ずっとずっと残る、そういうことなんだね。」
「だな。」
「だねぇ。」
うーん
葦附が考え込む素振りを見せた後、
「ねぇ、昨日生きる意味を考えてみたけど、それと似た感じがするんだよね。しない?」
「するよぉ。」
「生きることほどではないけど、答えの無い問いではあるからな。」
「うぅーん、生きることに、自分の進路…考えることが多すぎて、頭が痛くなる、痛くなるよぉ!」
わーっ
頭を掻きむしり、突っ伏した。
プシュゥゥゥ
頭がオーバーヒートしたか、無理もない。俺だってしそうだ。
「うぅぅ…分かんない分かんない…」
「あんまり考え過ぎるなよ。問題を意識できただけでも立派だ、そうだろ?」
「そうだよぉ、こんな問題、大人だって答えを出せないさぁ。私たちなんてなおさら、ゆっくり行こうよぉ。」
ふあああーあああ
大きな欠伸。のどちんこまで見えちゃうぞ。
「大人…大人…そうだなぁ。」
葦附が顔を起こす。
「お父さんとお母さんに、聞いてみようかな?私の進路について、どう思ってるか、なんて。」
俺の顔が険しくなる。
「いいねぇ、ぜひそうすべきだよぉ。お金払ってもらってるし、その対価として、自分の考えを話してあげる、くらいした方がいいんじゃないかなぁ。」
「うん、そうだよね!よし、じゃあ文化研究部皆んなで今日の夜、お父さんお母さんに話そう!」
………
はぁ?
「はぁ?!皆んな?!俺も?!」
「もっちろん!副部長!古城さんもね!それで、明日の報告書にそれぞれの結果を書こう!」
意味が分からない、何で俺も?!とんでもないこと言ってるって!嫌だって。必要以上の会話したくないって。
「突然だなぁ。まぁ、いいけどぉ。いやぁ、『うちの子がこんなに立派になって…』って、泣いちゃうかもしれないなぁ。」
「うんうん、お父さんお母さんも、きっと気になってるよ!」
「…」
無言で宙を見つめる。
「荒屋敷君、どうしたの?」
お前のせいだが。
「ご両親と話すのが嫌だったり、するぅ?」
「…まぁ。」
「仲、悪いの?」
心配そうに覗き込んでくる。
そういうわけじゃない。良くも、悪くも無い。
会話が無いだけ。
ご飯とお風呂以外に話したのはいつだっけ。何かあったはずだけど覚えてない。
最後に怒られたのはいつだっけ。小学生のころはしょっちゅう怒られた記憶があるけど、高校に入ってからはめっきり怒られたことが無い。
俺を信用してくれてたり、するのか?こんな俺を?お金を出すだけ出しておいて?
お父さんお母さんのこと、よく、分からない。
「荒屋敷君?」
「…」
「荒屋敷君?!」
「聞こえてるって。」
「良かったぁ。」
ほっ
安堵した様子で、椅子の背もたれにもたれかかる。よく人のことをそんなに心配できるな。
はぁ
何をビビってるんだ、俺。避けては通れない話だしな。いずれ、結局、話さなきゃいけなかった。
「…報告、するんだろ?活動、なんだろ?親に聞くの。」
「え?あ、うん、そのつもりだけど…」
「やってやるよ、もう、そのくらい。」
ぱあああっ
笑顔になる。喜怒哀楽が豊かで羨ましいよ。
「その代わり、聞いた内容、そんなに長くならないからな。ちょっと相談するだけ、だからな!」
「うん、大丈夫、オッケィ!私もそんなに難しい話できないから!じゃあ明日、皆んなでまた話そうね!」
「はぁーい。」
「分かった分かった。」
「よしじゃあ、今日の報告書、これで出しちゃうね!」
葦附がプリントを掲げる。いつの間にか、話しながらメモを取ってたみたいだ。やるじゃん。
ーーーーーーッ、
「掃除はぁ?!」
「あ。」
「え。」
中途半端に奥に積まれた段ボール。埃もどこもたくさん被ってる。本の山は薄く広げられただけで、むしろ場所をとってしまっている。二時間近くかけて掃除したとは思えない、せいぜい三十分くらい。
俺もだが、途中で完全に手が止まってしまっていた。とてもじゃないが「掃除しました!」と胸を張って報告することは、できない。ぜっっったいに。
「あ、はは、そうだったねぇ、掃除、するはずだったよねぇ。いやぁでも、もうこんな時間になっちゃったし、続きは明日しよ、ね?」
「そーそー、気づけば話こんじゃってたねぇ、あー、掃除できなかったなぁー。」
こいつらっ…分かってやがったなっ?!
掃除したくないからってっ…わざとっ…話続けやがったなぁっ?!
こんのっ……!
こんちくしょうがあああぁぁぁ!!
声にならない叫びが段ボールの隙間に消えていく。
今日は、学校に行くことの意義と、掃除はなかなか進まないことを学んだ。
そして、その日の夜。
荒屋敷家。ご飯もお風呂も済ませた時間。
リビングの電気が煌々とついている。テレビの音が聞こえる。この時間は両親ともにテレビを見ながら思い思いのことをしている。多分、お父さんはコーヒーを飲みながらタブレットでネットニュースを見ていて、お母さんはキッチンの掃除をしている。
何をためらっているんだ。大したことじゃない。ちょっと話すだけだ。ドアノブに手をかける。
すぅ、はぁ
深呼吸する。
それに、百万円、だしな。
ガチャ
「…お父さん、お母さん、ちょっと…」
今日は、素直さと、親と話すことの安心感も学んだ。