第29話 今宵、船は海を渡る
暗い夜の海を、船は目的地であるオルデールに向けて進んで行く。
空いていた客室。
そこで休んでいたムナールを訪ねて来たのは、姉であるシェーネであった。
「寝てた?」
「寝れないよ。目が冴えちゃってさ」
「そうね。でも、休める時にちゃんと休んでおかないと駄目よ」
「相変わらず僕の姉さんは優しいなあ。姉さんの優しさが全部アイツに注がれているかと思うと、ヤツの頭を握り潰したくなるよ」
「あなたは、相変わらず可愛い事して恐ろしい事言うのね」
ベッドでゆっくりと体を起こすムナールの近くに椅子を引き、シェーネは静かに腰を下ろす。
そうしてから、シェーネはゆっくりと、そして優しく言葉を紡いだ。
「寝れないのなら、少しだけお話しても良いかしら?」
「姉さんなら、いくらでも」
「……みんなの事、聞いても?」
「うん……」
聞きにくいし、言いにくい。そんな話。
けれどもシェーネは聞いておきたかったのだ。
二年前まで共に活動していた仲間達。
自分を育ててくれた両親。
思い出の沢山詰まった故郷。
彼らの、死の話を。
「あなたは見たの? みんなが死ぬところ」
「ううん。僕が見たのは、もう死んでしまった後だったから。魔物にやられたんだろうね。特に仲の良かったレイラとタウィザー、何度も投げ飛ばされたシュタルクさん、それから父さんが死んでいた。その後急いでカンパニュラに戻ったけど……待機組として残っていたのは、戦闘に関わらない人達ばかりだったから。半壊した建物の中で、母さんを含めた何人かが亡くなっていたよ」
「そう……。みんな、あんなに強かったのにね。死なない魔物の前には、無力だったのかな」
「不死の魔物じゃなければ、あんな死に方しなかったと思うよ。でも、きっと父さんは最期まで諦めずに戦ったと思うんだ」
腕が千切られ、腹に穴を開けて死んでいたドゥクス。
彼ならば、例え腕を失くそうとも最期まできっと……。
「数時間前まで、僕は父さん達と一緒だった。一緒に東区の森を調査するつもりだったんだ。だけどリプカちゃんが、コソコソとサイド君の後を付けているのを見付けたから、僕は彼女の方に行くようにと、父さん達に勧められたんだ。あの時の僕は、リプカちゃんの事が心配だった。だから父さん達に勧められるまま、僕は自分に与えられた仕事を放り投げ、リプカちゃんの方に行ってしまったんだ。だから……」
そこで言葉を切ると、ムナールはそっと視線を落とす。
ポタリと、布団に雫が落ちたのは、気のせいだっただろうか。
「もしもあの時、自分に与えられた仕事を優先していたら……リプカちゃんの事は心配だけど、僕は自分の仕事を全うするよ、と父さんの好意を断っていたら、僕もみんなと一緒に死ねていたのになあ……」
「……」
「他の森を調査していた仲間の誰かが生き残っていたら、と思ったけど、ここに来るまで、誰にも会わなかった」
「……」
「きっとみんな、死んでしまったんだろうね」
「……」
「何で、僕だけ生き残ってしまったんだろう……」
「ムナール……」
「僕もみんなと一緒に……死にたかった……」
「止めて」
心の奥底に沈め、蓋をしていたその一言。
カンパニュラの次期代表として、オールランドの生き残りとして口にはしないようにと努めていたその一言。
本心ではないのかもしれない。
でも何度も脳裏に過ったその一言が、ついに音となって彼の口から零れ落ちる。
そんな彼を包み込むようにして。
シェーネはムナールの体を優しく抱き締めた。
「死にたいだなんて言わないで。私は、あなたが生きていてくれればそれで良いのだから」
「辛いよ、姉さん。辛い、辛い……」
「私だって辛いわ。でも私の大切な人が、一人だけでも生きていてくれて、本当に良かった」
「う、う……うわああああああ……っ」
ポタポタと布団に落ちる、何粒もの雫。
それがどちらの涙かなんて、誰にも分からない。
□
船の甲板に出ると、冷たい風が頬を撫でた。
徐々に見えなくなっていく小さな島。
まあ、夜なので、もともとよく見えはしないのだけれど。
「……」
そんな島を見つめながら、リプカは想いを馳せる。
もしも何もなければ、新しく出来たお店に、カルディアと一緒にシフォンケーキを食べに行く予定だった。
カルディアと一緒に、ローニャも誘う予定だった。
ローニャが来るなら、サイドとグラディウスも無理矢理付いて来ただろう。
そうなると、カルトだけを仲間外れにするわけにもいかない。
きっと、カルトも一緒に来る事になったハズだ。
(みんなでシフォンケーキを食べに行く。あの時は、それが当たり前に来るいつかだと思っていた)
けれども、そのいつかは来なかった。
どう頑張っても二度と来ない事が確定した、もしもの世界となって消えてしまった。
「……」
ポケットに入っているのは、桃色に白い雲のような模様が入った、掌に乗る程度の小さなキャンディー缶。
中にはイチゴ味のキャンディーが、まだゴロゴロと沢山入っている。
――迷うオレの背中を押して、仲間を襲わせ、街を破壊する原因を作ったのはお前だよ、リプカ。
あの時のカルトの言葉が、冷たく胸に突き刺さった。
(全部私のせいだ。精霊の烙印が災厄を呼び寄せたわけじゃない。私が……私の言動が、街に災厄を呼び寄せたんだ……)
たった一つの過ちが、全てを狂わせた。
住み慣れた街も、大事な友達も、何もかもを壊した。
壊しただけじゃない。
生き残った人達からも、そしてムナールからも、全てを取り上げた。
全部、自分のせいだ。
(何で、あの時、私は……っ)
ポタポタと、キャンディー缶に涙が降り注ぐ。
それなのに自分はこうして生きている。
自分のせいでみんな死んだのに。
それなのに事の元凶である自分は、未練がましくもまだ生きている。
何で生きているんだろう。死ぬべきはみんなじゃなくて、自分だったハズなのに。
優しかったカルトを殺人鬼に仕立て上げたのも自分なのだ。
だったらあの時、大人しく彼に殺され……、
「っ!」
と、その時、背後でカタンと物音が聞こえて来た。
ハッとして振り返れば、白い隊服を着た白衣の処刑人の姿がある。
金髪ではない事から、そこにいるのはヴァルターではないのだろう。
見回りにでも来たのだろう彼は、その冷たい瞳をリプカへと向けた。
「そこで何をしている」
人が自責の念に駆られていたと言うのに。そんなに冷たい言い方をしなくても良いじゃないか。
……とは思ったが、そんな事、彼が知るわけがないのだから、これは勝手な八つ当たりになるのだろう。
それに相手は白衣の処刑人だ。気持ちを理解して欲しいとも思わなければ、関わりたくもない。
ここは素直に謝って、さっさと立ち去るのが一番だ。
そう思ったリプカは慌てて涙を拭うと、彼に向かって大人しく頭を下げた。
「すみません、目が冴えてしまったので夜風に当たっておりました。すぐに部屋に戻ります。ご迷惑をお掛けしました」
思ってもいない謝罪の言葉を口にし、リプカはその場から立ち去ろうとする。
しかしそんな彼女を、隊員は低い声で呼び止めた。
「泣いていたのか?」
「……知人が沢山亡くなりましたので。おかしいですか?」
「いや、そんな事はないが……」
「そうですか。では、失礼します」
あまり関わりたくない。
そう思ったリプカは、今度こそその場を後にしようとする。
しかしそんな彼女を、隊員が再び呼び止めた。
「その缶は?」
「え?」
「その缶を見つめていたように見えたが……大事な物なのか?」
「……」
一体いつから見ていたのだろうか。
さっさと片付けておけば良かったな。
「大事な物ですよ。数日前に友人から貰った物ですから。まだ、街が当たり前の日常だった頃の話です」
「友人……その者は、亡くなったのか?」
「……」
冷たい声色で、よくもまあこんなにズケズケと聞いて来られるモノだな。
でも……、
誰かに、聞いてもらいたかったのかもしれない。
「亡くなりました……みんな、その友人に殺されたんです」
「え?」
「答えを、間違えたんです」
隊員の顔は見ない。
代わりに、彼から貰ったキャンディー缶を見つめながら。
リプカは、言葉を続けた。
「私は、友人の望む言葉を与えられなかった。そればかりか、彼を突き放す事を言ってしまった。そのせいで、彼は壊れました。壊れて、自らの手で、大事なモノを次々と壊して行ったんです」
「……」
「だから後悔していました。もしも私があの時彼の望む答えを出せていれば、こんな事にはならなかったのに、と……」
「……」
「ごめんなさい、失礼します」
そう呟き、リプカはその場から立ち去ろうとする。
しかしこれで何度目だろうか。
隊員の低い声が、またもや彼女を呼び止めたのは。
「答えを間違えた事なら、オレもある」
「え……?」
その言葉に、リプカはそっと顔を上げる。
そこでようやく、彼の金色の瞳と目が合った。
「彼女の望む答えを、オレは言ってやる事が出来なかった。それによって、彼女はオレの前から姿を消した……が、そもそもの話、友人とはいえ、相手は他人だ。そんな他人の望む答えを、ピタリと言い当てる事の方が、難しいんじゃないのか?」
「それは、そうかもしれないけど、でも……」
「お前は、どう考えるか知らないが、オレは、勝手に期待し、望んでいる事を言ってくれと言う方が間違っていると思う。だから……」
そこで一度言葉を切ってから。
彼は彼女の瞳を見つめたまま、はっきりとそれを口にした。
「お前の友達が壊れたのも、オールランドが破壊されたのも、全部お前のせいじゃない。その友達とやらが勝手にやった事。お前は関係ないよ」
「……」
彼のその言葉に、リプカは言葉を詰まらせる。
だって全部自分のせいだと思っていたのだから。
友達が死んだのも。
街が無くなったのも。
カルトが壊れてしまったのも。
全てのきっかけを作ったのは自分だと、はっきりとカルトに言われていたのだから。
だからまさか、そんな事を言ってくれる人がいるとは思わなくて。
非難されるのが当たり前だと、そう思っていたから。
お前のせいじゃない。
たったそれだけの言葉に、心が軽くなった気がした。
「あ……、あははっ、慰めてくれるんですか? ふふっ、どうもありがとう」
再び溢れて来た涙を拭ってから、リプカは素直に彼に礼を述べる。
そんな彼女に対して、彼は「別に」と呟きながら、フンと鼻を鳴らした。
「話、聞いてもらえて何だかスッキリしました。そろそろ部屋に戻って休みます。どうもありがとうございました」
「……待て」
「?」
一体彼は何度自分を呼び止めたら気が済むのだろうか。
そんな事を考えながら足を止めると、リプカはもう一度彼を振り返る。
すると彼は、その真剣な金色の瞳を、真っ直ぐにリプカへと向けていた。
「隊長に、気を付けろ」
「隊長って……ヴァルターさんの事?」
「ああ。あの人も闇を抱えている。オレ達はしばらくオルデールで活動するつもりだが、お前達は早めにここから立ち去った方が良い」
「それって、どういう……?」
「目的のためなら手段を選ばない。使えるモノは何でも使う人なんだ。だからお前達も、深く関わらないうちに立ち去った方が良い。そういう事だ」
「……分かりました。覚えておきます」
彼が真に何を言いたいのかはいまいち分からないが、これ以上は深く聞いたところで無意味だろう。
ヴァルターには注意する。
とにかく今は、これだけを覚えておけば良いのではないだろうか。
そう判断をすると、リプカは軽く会釈をし、今度こそその場から立ち去って行く。
「……」
そんな彼女の姿を見えなくなるまで見送ってから、彼はそっと天を仰いだ。
「全部お前のせいじゃない、か……」
叶う事ならそれは……、
「オレが欲しかった言葉なのかもしれないな」
見上げた夜空。
そこには月の姿も星の姿も、何も見えない。