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第28話 出航のとき

まさかこんなところで会えるとは思わなかった。
 だって彼女は二年前に自分達に別れを告げて攫われて行ったのだから。

 あの頃よりも少し大人びて、そして色気が増しただろうか。

 相変わらず元気そうな姉の姿に感極まると、ムナールはその大きな青い瞳に涙を浮かべながら、勢いよく彼女へと飛び付いた。

「姉さん! 会いたか……」
「リプカも! あなたも無事で良かったわ!」

 ……飛び付こうとしたのだが、そんな弟を軽やかに避けると、姉、シェーネはリプカを力強く抱き締めた。

「怪我はない? 大丈夫?」
(あ、柔らかい、イイ匂い……)
「おい、こらリプカ。今、僕の姉さんに対して卑猥な事を考えただろ」

 僕の姉さんに手ぇ出したら例えキミでも許さない、と睨まれる。
 何故、何も言っていないのに思考が読まれたのだろうか。相変わらず怖い。

「って言うか、姉さんが来ているんなら、いるって言ってよ。あの男に拉致されたままだと思ったじゃないか」

 ギロリと、ムナールはアトフを睨み付ける。

 そんな彼に対して、アトフは呆れたように溜め息を吐き、更には眉を顰めた。

「何度も言うけどな。シェーネがミモザに来たのは、拉致でも誘拐でもねぇ。自主的に来てもらってんだ。あと、さっきからあの男だ何だのと言っているけど、あれはお前の友達だろうが」
「姉さんを誘拐されてから、あれを友達だと思った事は一度もないね」
「だから誘拐じゃねぇって。ルドーとシェーネは結婚を前提にお付き合いして……」
「あー、あー、あー、あー、認めない! 認めないよ! 僕はまだあの男と姉さんの婚約を、認めたわけじゃないんだからね。絶対に別れさせてやるよ!」
「……弟はまだあんな事を言っているの?」
「うん。ルドーとシェーネさんの仲を取り持ったアトフの事も、目の敵にしている」

 まだまだ姉離れしそうもない弟の発言に、シェーネは深い溜め息を吐く。

 二年前、ムナールの姉がアトフのせいであの男に攫われた、という事件。

 ムナールは大げさに言っているが、そんなの事件でも何でもない。

 二年前、アトフが同じギルド・ミモザで働くルドーという男を、当時カンパニュラで働いていたシェーネに紹介した事で、二人は結婚を前提としたお付き合いを始め、それを期にシェーネがミモザに異動した、というだけの話である。

「僕は絶対に許さないからな! 余計な事をしたアトフ君も、姉さんを攫って行ったルドーの事も!」

 更に言えば、二人は半年前に婚約した。その時のムナールとドゥクスの落ち込みようと言ったら、まあまあ酷かったので、そこは割愛しようと思う。

「ところでアトフ。ムナールとリプカに私達が白衣の天使と一緒に救援に来た経緯は説明したの?」
「ああ。サラッとな」
「そう。なら、ムナール、リプカ。次はあなた達の話を聞かせてくれる? オールランドで、一体何が起きたのか」
「う、うん……」

 シェーネにそう促され、二人はポツポツと事の経緯を説明する。

 リプカの友人であるカルトに、氷の烙印が現れた事。
 そのカルトが闇の精霊憑きと関わっている事。
 D地点に生息する魔物が突然街を襲った事。
 おそらくそれにカルトや闇の精霊憑きが関わっている事。
 体が消滅しない限り、魔物達は致命傷を与えても平気で動いていた事。

 そして……。

 仲間達はみんな、死んでしまった事……。

「父さん達の死体は確認したよ。母さんや、ギルドで待機していた仲間の死体も。他の森で調査していた人達の死体は確認していないけど……。でも状況から見て、生存している可能性は低いと思う」
「そう……」

 仲間や両親の死。
 ここにいないという事は、そうなんじゃないかと薄々は気付いていたけれど。
 その事実を弟から直接耳にしたシェーネは、ただ一言それだけを口にする。

 それを最後に、シンと静まり返る船の一室。

 どれくらい静まり返っていただろうか。
 俯いたままのシェーネが、その静かな空間にポツリと言葉を落とした。

「せめて、死体を回収出来たら良いのだけれど……」
「申し訳ないが、それは出来ない」

 ふと、響いた第三者の声に、四人はハッとして顔を上げる。

 パッと目に入ったのは、氷のように冷たい切れ長の瞳。
 扉のところに立っていたのは、白い隊員服と黄色の紋章を身に付けた、長身の男であった。

「出航の準備が整った。これよりオールランドを発ち、本州へと向かう」
「オールランドはどうなるんですか?」
「……。オールランドは捨てる。殺しても死なない魔物を倒す事は不可能だからな」
「……」
「詳しい話は隊長に聞いてくれ。こっちだ」

 船には自分達と同じ、オールランドの生存者が乗っている。
 モタモタしていては、魔物がこの救助船を見つけ出し、襲って来る可能性もあるのだ。
 その可能性を回避するためには、一刻も早くこの島から脱出しなければならない。
 死体と魔物しか残らないオールランドは捨てる、という白衣の処刑人の判断は妥当だろう。

 だけど……。

(せめて、手厚く葬ってあげられたら良かったな)

 東の森にいるローニャとカルディアは無理かもしれないけれど。
 でもギルドの前にいたサイドだけでも、きちんと埋葬してあげたかった。

 そんな後悔を抱えながら、リプカは隊員に案内され、大広間へと向かう。
 
 しかしその扉は固く閉ざされていて、中に入る事は叶わず、代わりに先程オールランドで会った、金髪の青年の姿があった。

「隊長、お連れしました」
「ああ、ご苦労だったな。悪いがお前も、中で生存者達のケアに当たってくれ」
「はい」

 長身の青年は、金髪の青年に敬礼で返すと、扉の向こうにある大広間へと入って行く。

 僅かに開いた扉から聞こえるのは、生存者達の悲鳴や泣き声。

 それも一緒に閉ざすようにして、金髪の青年は、再びその扉を固く閉ざした。

「二人はオールランドにあったギルドで働いていたそうですね。姿を見せれば、何故、自分達は生きていて、誰それは助けてくれなかったんだ、と襲い掛かって来る者がいるかもしれない。だから扉を閉ざしています。二人はこの中に入らないようにお願いします」
「……そんなに、酷いんですね」
「正気を保っている人間は殆どいません。まだ正気を保っている人や攻撃的でない人は別室で保護しています。この中にいる人達は、死に直面したり、大切な人を失ったりして凶暴化した人達です。隊員でケアに当たっていますが、人手も足りず、あまり上手くはいっていません。私も先程、母親らしき女性に引っ叩かれました」

 苦笑を浮かべながら、青年は青く晴れた頬を指差す。
 どうやらそれは魔物にやられたモノではなく、生存者に叩かれたモノのようだ。

「改めまして。私はヴァルター・イディオーマ。精霊憑き保護団体、副隊長を務めております。この度の件が闇の精霊憑きの仕業である可能が高いと判断したアトフ殿達から救援要請を受け、こうして救援に参りました」
「僕はオールランドにありましたギルド・カンパニュラのムナール・ユイイエン、こっちはギルド・ブロッサムのリプカ・ラングハートです。この度は助けて頂き、本当にありがとうございました。それにしても、副隊長殿なのにまだお若いんですね」
「エアストリア事件や闇の精霊憑きを追っているせいで、大分人員を削られたんですよ。私自身も、こんなに早く出世させられて迷惑です」

 年齢は自分達と同じか、少し上くらいだろうか。
 数年前に入団したばかりなのに、と若副隊長ことヴァルター・イディオーマは、困ったように溜め息を吐いた。

「それで、ヴァルターさん。オールランドの生存者はどのくらいですか?」
「……オールランドの総人口は五万人くらいですよね? 他の救助船に乗っている人も合わせて、五百……いえ、四百人くらいです」
「四百!?」
「それじゃあ、ほとんどの人が……」
「亡くなりました。我々の力が及ばず、申し訳ありません」
「いえ、あなた方が悪いわけではありません。悪いのは……」

 悪いのはそう、事件を起こした、張本人達。

「ところで、島を捨てると聞きました。島や、亡くなった人達はどうなるんですか?」
「……。魔物を倒す事が出来れば、せめて供養して差し上げられるのですが。しかし、街を襲っているのは、何故か死なない魔物達ばかり。頭を落とそうが、胴体を真っ二つにしようが、関係なく襲って来る。これではキリがありません。生存者を探し出し、救助船に乗せるだけでも一苦労だったこの状況で、亡くなった方々を船に運ぶ余裕はありません。申し訳ないのですが、ご遺体は諦めてくれ、と言う他ありません」
「そう、ですよね……」

 分かってはいたし、この状況で島に戻ってくれとも、遺体を回収してくれとも言えるわけがない。

 それ以上求める事が出来ずにムナールが言葉を詰まらせれば、親しい人を失ったリプカやシェーネもまた、無言で視線を落とした。

「この先はどうするんですか? 島の生存者達は?」

 そんな彼らに代わって、アトフが船の行き先についての疑問を口にする。
 
 するとヴァルターは、「ああ」と頷いてからその説明をした。

「このままオルデールに向かうつもりです」
「オルデール!」

 ヴァルターが口にしたその街の名に、ムナールが真っ先に反応する。
 するとアトフが、驚いたような目をムナールへと向けた。

「え、お前、オルデールは知ってんのかよ?」
「知ってるよ。一年とちょっとくらい前に災厄があったと言われている街だろ。雷の精霊憑きが災厄を呼びよせて崩壊した街だって。そんなの常識じゃないか」
「いや、それだったら何でエストリア事件は知らねぇんだよ……?」
「だってそれは……」

 と、そこまで口にして、ムナールは口を噤む。

 そうしてから、アトフの問いには答える事なく、ムナールはその視線を改めてヴァルターへと向けた。

「ところでヴァルターさん。オールランドの事件は、もう本州には知れ渡っているんですか?」
「いえ、おそらくはまだ。でも我々がオルデールに着く頃には、ニュースになり始めている事でしょう」
「そうですか。なら、本州にいる知人や家族は、まだ何も知らないんですね」
「……?」

 そっと視線を落とし、それ以上は何も語ろうとしないムナールに、ヴァルターは訝し気に首を傾ける。

 するとリプカが、ムナールに代わってその事情を軽く口にした。

「知り合いがいるんです、オルデールに。魔物に殺されてしまった子のお姉さんです」
「そう、でしたか……」

 ムナールが俯いてしまった原因を知り、ヴァルターもまた言葉を詰まらせる。

 それでもリプカが話を続けるようにと促せば、ヴァルターは「ああ」と頷いてから、ムナールを気にかけながらも話を続けた。

「ご存知の通り、オルデールは一年半前に災厄に遭いました。雷の精霊憑きが災厄を呼び寄せたために街は壊滅した、と言われています」
「その雷の精霊憑きはどうなったんですか?」
「はっきりとは分かってはおりません。ですが、死体が発見されなかった事、そして闇の精霊憑きと関わっている事から、おそらくは闇の精霊憑きとともにいるのではないかと予想されています」
「闇の精霊憑き!?」
「何だ、リプカ。それは知らなかったのか?」

 オールランドを破壊した原因、闇の精霊憑き。
 その人物がオルデールをも破壊していたという事実に、リプカはギョッとして声を上げる。

 するとその詳細を知っているらしいアトフが、ヴァルターに代わって説明を続けた。

「確かに世間一般的には、雷の精霊憑きが原因だと言われている。けど、生存者の報告では、自分達を襲ったのは、甲冑の兵士達と、黒くて髪の長い男だったらしいんだ」
「それって……」
「エアストリアと同じヤツらだろ? だから実際は、雷の精霊憑きが闇の精霊憑きと手を組んでオルデールを襲ったんじゃないかってオレ達は思ってんだよ」
「……」

 雷の精霊憑きと闇の精霊憑きが手を組んで、一つの街を破壊した。
 そして、氷の精霊憑きであるカルトが、闇の精霊憑きと手を組んでオールランドを破壊した。
 と言う事は、少なくとも精霊憑きである三人は協力関係にあるという事になる。
 ならば、彼らは既に組織と化しているのではないだろうか。
 そして他にもまだ、協力関係にある精霊憑きがいるのではないだろうか。

(闇の精霊憑きの目的は、自分達が住みやすい国を作る事だって言っていた。その住みやすい国を作るために街を破壊して回っているのだとしたら、オールランドを破壊して終わり、と言うわけではないのかもしれない)

 だとすれば、被害に遭う街はこの先も増える事だろう。
 一体どのくらいの街を破壊すれば気が済むのかは、分からないけれど。

「エアストリア、オルデール、他にも闇の精霊憑きが原因で災厄に遭ったとされる街はあるのですが……。しかしオルデールは、その中で最も復興が進んでおり、尚且つ海から近く、我ら保護団体の支部もあります。復興の街として、オルデールで新たな生活を送っている災厄の生存者達も多いんです。そこで一時的な避難先としてオルデールへと向かい、そこで生存者達一人一人、今後どうするのかを決めて行こうと思います」
「オレ達はオルデールに着いたら、一足先にミモザのある街、ハルパゲに戻ろうと思う。お前らも一緒に来るだろ?」
「そうだね。でもその前に、オルデールにいるリトちゃんに挨拶して来なくちゃ」
「リトちゃん?」
「僕が付き合っていた女の子のお姉さんだよ。オルデール復興のために、そこに移住しているんだ。リプカちゃん、キミも来るだろ? リトちゃんとは親しかったんだし」
「そこまで親しくはないよ。ただの同級生だっただけだし。でも……うん、みんなの事、報告くらいはしなくちゃ、だよね」
「冷たい言い方だなあ。それ程大きな学校じゃなかったんだから、それなりに面識はあるんだろ?」

 何とも冷たいリプカの返事に、ムナールは眉を顰める。

 するとヴァルターが、「ところで」と話を切り出した。

「次はそちらのお話をお聞かせ願えますか? オールランドであった事。それと、知っている限りで構いませんので、闇の精霊憑きの事。情報の共有を願いたい」
「だったら、それはオレからお話します」
「え?」

 ヴァルターとしては、実際に被害現場にいた、ムナールかリプカから話を聞きたかったのだろう。
 しかし自分から名乗り出たのは、その二人ではなくてアトフ。

 意外な人物が名乗り出た事に眉を顰めたヴァルターであったが、そんな彼に対して、アトフは困ったように苦笑を浮かべた。

「話は二人から聞いていますので、オレが代わりに説明します。それに、色々ありましたから。二人には少しでも早く休んでもらいたいんです」
「そう、ですね……」

 出来れば当事者が良かったのだろうが、アトフの言う事も最もだろう。
 戦闘に秀でているギルドの隊員とは言え、彼らもまた被害者なのだ。確かに今日はもう休ませてやるのが優しさなのかもしれない。

「分かりました。では、いい加減、立ち話も何ですし、先に隊長室で待っていて下さい。私は部下達に指示を出してから参りますので。他のみなさんは空いている客室でお休みになって下さい」
「はい、ありがとうございます。では、お先に失礼します」
「アトフ、ありがとう」
「おう」
(アトフ君、余計な事言うなよ)
(誰かさんじゃねぇし、ンなヘマしねぇよ)
「はあ!? 僕がいつそんなヘマしたよ!?」
「四六時中してんだろ。それにすら気付けていないだなんて、相変わらずお可哀想な頭してんな!」
「ンだと、コラ! 表に出ろ!」
「上等だ! 返り討ちにしてやる!」
「ねぇ、何で二人はそんな器用なアイコンタクトが出来るの?」

 器用なアイコンタクトから何故か口喧嘩に発展している二人に、リプカは呆れた溜め息を吐く。

 そんな二人が表に出る前に、リプカとシェーネは、さっさとムナールを回収して行く事にした。

しおり