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第2話

 電車の到着を告げるアナウンスが流れてきた。電車が停車してドアが開いたが、この駅で降りる客はまばらだった。少年は電車に乗った。相変わらずの満員状態に閉口しつつ、後方から押されるがままに座席のあるほうまで流されて、ようやく自分の場所を確保すると、吊革を掴んで窓の外に目をやった。流れていく景色にもなにもおかしなところはなかった。
 次の駅に到着すると、いつものように電車から降りて、各駅停車に乗りかえた。ここから五つ先の守口市駅が少年の降りる駅だった。少年の周りには学生の姿が多かった。ほとんどが少年の通う高校の生徒で占められている。
 電車に揺られること約三〇分くらいだろうか、目的の駅に到着したので少年は、電車から降りて改札を抜け、学校への道を歩いた。一〇分ほど歩くと学校が見えてくる。門から校内に入り、下駄箱で上履きに履き替えて教室へ向かった。
 大阪府立淀川高等学校、これが少年が通っている学校の正式名称だった。一学年四学級(クラス)で計十二クラスあり、ここ数年で一学年辺りの生徒数は減少傾向にあった。その要因は少子化問題にある。この国の一年間で生まれてくる子供の数は、明らかに下降線を描いており、政府の少子化対策でもそれを留めることはできないようだ。
 失われた三〇年という言葉は、テレビのニュース番組を見ていると自然に耳に入ってくる。賃金の上昇は雀の涙ほどで、中小零細に限ってはほぼ横ばいなのだそうだ。これでは結婚して子供を育てていくのに弊害ばかりが目についてしまい、そもそも結婚自体になんの魅力も感じていない若者も多いといわれている。夫婦別姓や扶養控除の撤廃、同性婚、経済を支える働き手の減少など、この国では課題が山積しているが、政権担当の与党には、それを改めようとする積極的な意欲も感じられない。あるいは、近視眼的な対症療法に終始していて、根本的、抜本的な解決策は見出だせないでいるのかもしれない。
 かといって野党に目を転じても団栗の背競べで、互いの足を引っ張り合っていたり、そもそも万年野党にはこの国の舵取りを任せられるかと問われれば心許なく、首をひねらざるを得ない。
 十数年前に「風が吹いた」と与野党の逆転が見られたものの、野党の体質が抜けきれられないのか、公約の撤回、意識の低さ、能力の欠如など、あまりの迷走ぶりに次の選挙ではあっさりと国民に見放されてしまった。それに、年配の人たちには変化を求めない傾向が見受けられて、若者の間にはどうせなにも変わらないのだという諦めの色が濃い。
 明治期の政治家と戦後以降の政治家には、全員ではないものの、質の低下は顕著に現れているように見受けられる。実際のところはどうであれ、この見受けられるという評価自体にもっと留意すべきであり、ぜひ襟を正してもらいたいものだ。少年もあと二年もすれば選挙権が得られる。どの政党に大切な一票を託すか、もっともっと知らなければならない問題点や情報は多かった。

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