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魂呼び子.10


「…――ここにしよう」

 法印を置くポイントを選び定めたアントイーヴが形体()を練り立ちあげる準備に入る。
 そこでセレグレーシュがぽつりと彼にたずねた。

「それ、封じちゃうのか?」

「解き(はな)つわけにもいかないだろう」

 こころなしか覇気に欠けるアントイーヴの応答を耳に。セレグレーシュは、思い迷いながら(こうべ)()れた。

「そうか…」

 理由などわからないが、なんとなく理不尽で……。
 そこまでする必要などない気がしたのだ。

 けれども。どうしてそう思うのか自分でもわからなかったので、そのままに現状を受け入れて唇を結ぶ。

 ふと、視線を転じれば——
 そのあたりで、そわそわと泳いでいた女稜威祇(いつぎ)の目があった。
 セレグレーシュと目の焦点がかちあったそのタイミングで、彼女がここぞとばかりに視線を返してきた。

 ここに来るまで、どうして獣人だけ出したのか、メルがどうなったのかとしつこく彼女に問いただされていたが、必要に輪をかけて慎重になっていた彼は、いっさい応じようとしなかった。

 アントイーヴは彼が口を割らないことを達観してか、プルーデンスに下駄をあずけてか…。はじめから聞こうとはしなかったが、
 その男が彼女よりはるかに事細(ことこま)かに事実を解明したがっているだろうことは、想像するに(かた)くない。

 途中から無言の圧力に転じた彼らの要求――

 それをずっと無視しつづけていたセレグレーシュは、かなう範囲で思考を整理して意思を固めると、すこし前まで積極的に働きかけてきていたいっぽうの彼女…――
 プルーデンスのまなざしをあらためて受けとめた。

 ちらと見るだけにして、視界()を閉じる。

〔メルって子、まだ生きてるよ〕

〔っ! …それ、ほんとうに――?〕

 女稜威祇(いつぎ)口腔(こうくう)から、かすれた声がもれて、法具を選んでいたアントイーヴが彼らのほうをふりかえり見る。

 一度、セレグレーシュを映したアントイーヴの青い瞳が、驚愕からとまどいへ表情を転じて、空中()を泳いだ。

 当時の彼は、その()が受けた傷を致命傷だと……助からないと判断したが……。
 けれど確かに…。
 思い返してみれば、その命が絶えたことを確認したわけではなかったのだ。

(…ぼくはもしかして、とんでもないことを…――いや、そうなら…。それが事実なら、もしかして……。結果的には、ぎりきり彼女の命を繋いだことにもなるのか…――?)

〔だから呼ばなかった〕

 静かに響いたセレグレーシュの決断に、プルーデンスが困惑の混ざりこんだ、なにかつかみ切れていないような空虚な言葉を発する。

〔どうしてよ…。そんなのって…――〕

〔紙一重って気がしたんだ…。こっちに呼んだら、すぐ消えてしまいそうだった。たぶん、長くはもたない。片側の胴がずたずた(~ひどい怪我~)で……失血してて。…すぐ、逝ってしまう…。
 それでも、あの中から出したいなら君らがすればいい…。……そうしてやるべき……終わらせて、楽にしてやるべきなのかも知れないけど……。
 こんなの――勝手なのはわかってる。わかってるけど…。オレは――(まだ…わりきれていない。納得できない……できていないから自分()の手では…――)殺したくない!〕

 そこまで言うとセレグレーシュは、くるりと身をひるがえし、ふたりに背中をむけた。

 彼としてはそれ以上、詮索(せんさく)も追及もされたくなかったのだ。
 走りださぬまでも、そそくさと獣人を封じる現場から離れてゆく。

 セレグレーシュの行動を静観していた稜威祇(いつぎ)の少年の双眸が、飴茶色から紫色に移行して一度閉じられた。

 そのまぶたが再び(ひら)いたとき、彼の瞳の虹彩は感情を読めない琥珀色に変化していた。

 秘色の髪の少年が消えた方角をちらと映して、もどされたそのまなざしが現場に残されたふたりを(とら)える。

〔取引をしよう。手を貸した代価に――彼が闇人を…その(るい)を引きだせる事実を他言(たごん)しないことを要求する。
 ()めぬなら、こちらにも考えがある〕

〔…ど、どうしてよ。考えって、なにする気なの?〕

 しりごみするプルーデンスを稜威祇(いつぎ)の少年は見下すように見た。

 (ゆず)る気などまるでない、高邁(こうまい)なしぐさだ。

〔知る必要はない〕

口外(こうがい)しませんよ…〕

 目に(さと)い光を宿(やど)したアントイーヴが、冷静にきりかえした。
 ため息をつくともなく告げる。

()きにつけ()しきにつけ、権力は一種の集団心理のようなものだから……。
 目の()めるような指導力を発揮して物事を変えてゆくいっぽうで、不都合を……(――ときには公私とも、そのなかに生じる欲得(よくとく)衝動もとり混ぜて……)目前や先々の禍根を絶とうとするあまり罪のないものや弱者を(つぶ)して歩くことが多々ある。
 ……体裁(ていさい)…見せかけだろうと。本気で心血そそいでいようと…——。その寄りそおうとする姿勢・努力がどこを向いているのだとしても細部にまでは目がゆき届かず……規制や前例、身近な利得に(とら)われがちで……融通が利かない(小より大を、情より検閲を……場合によっては身内や自身の利を優先しがちだ。そうなってしまうのも、わからないわけではないけれど…――)〕

 こまごまとした思いをとり混ぜながら語るなかに、どこかうら寂し気な表情も見せていた彼だったが、表面上はブレを感じさせないフラットな姿勢を維持して主張を(つむ)いでゆく。

〔…そういう(そうゆう)ものだから……。まだ、見定めがつかない可能性を吊るしあげるほど、ぼくは(おろ)かでも臆病でもありません。
 たとえ後手を踏んでこの選択を後悔しようと、疑念に惑わされぬ小数でありたいので…――いま、これを(おもて)にしないことには賛成です〕

 自身の決断・方針を前面に押しだしたアントイーヴが、無感動な目をしている少年に、にっこり笑いかける。

〔――彼女にも、ちゃんと話しておきます〕

 相手がそれと明確な(受諾(受けとめ)の)反応を見せなくても彼は、恐いもの知らずにもうつる明朗な姿勢をくずすことはなかった。



 ▽▽ 予告 ▽▽

 次回、十五章【 いまはまだ、白でも黒でもなく… 】に入ります。
 お目通し、ありがとうございます(十五章がエピローグ【追憶】の前の章になります)。

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