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魂呼び子.4


 彼女があげたのは、セレグレーシュが、ほかより落ちつけるという理由から気に入っている区域だ。
 とうぜん、よく足をはこぶ。

 そこで夜を明かしたことも、一度や二度ではなかった。

 北から南へ〝く〟の字状に円が三つ重なりあう形。

 最大となる中央の円が、いくぶん西にずれた配置の、土が盛られることなく残された低い区域。

 真ん中のものだけでも七〇〇〇平米(へいべい)(=七〇〇〇平方メートル)にあまる広さ・規模があり、少数ながら、いくつか人工の建築物が存在し、植生も豊かなので、そのあたりに居たからといって必ずしも出会うものではなかったが……。
 それでも、おなじ時期、おなじ区域に出入りしていたのなら、見かけたことくらいはあったのかもしれない…――。

 セレグレーシュは、そう思ったのだ。

 《法の家》において、建物の大多数(だいたすう)が乗っている隆起は、後世に盛り土がされて形造(かたちづく)られた築山(つきやま)の丘、人工の台地で、自然の地形によるものではない。

 ほったんは、奇特な個人が三つの円の外——《千魔封じの丘》の敷地()に築いた小山だ。
 《家》には魔が封じられた土地を(いと)う存在も滞在する。
 そういった者が自身の心身を保養する目的で、千魔封じの土地に土を厚く盛り重ね、わずかなりとも落ちつける場をもうけたこと過去にあり。

 いまの地形は、当初、単発的だったそれを、ぐるりと放射状に整え渡しつなぐことで成立した。

 中核としてある三苑の周囲に建物をいただく小山がひとつ、ふたつと増えてゆくなか。
 いちいち用のある者が登り下りする(ろう)も問題視され。
 増加傾向にあった人口と土地利用の利便もふまえた解決策として、高さも場所も不均一であったそれらを組織の中枢のまわりに集めて、(なら)すという方策がとられた。

 初期から活動拠点としてあった中央付近の三カ所(三苑)は、埋める理由もなく残されたので、
 いまでは外径が真円に近い広がりを見せている《法の家》の敷地は、部分的に重なり並ぶ三つの円(+それに隣あう一施設の区画(一カ所))を中枢にすえ置いたまま、内からの登りが矩形のすり鉢状の起伏をみせる。

 わずかながら、周囲に比べて朝日が差すのが遅く、日が(かげ)りだすのも速い盆地のごとくあるその内部庭園は、ぶあつい土の層があろうと、血塗られた古い封土を感知してしまうセレグレーシュが、ひんぱんに足を向ける区域なのだ。

 彼はメルとか呼ばれている稜威祇(いつぎ)の容姿形容を知らなかったが……。

〔あの庭に…、よくいたのか?〕

〔そうよ。外にある茂みには近づきたくもないけれど、家の円は別だもの。いくつか法印があるけど、ほかにはなにもないから気分が悪くなったりしないの〕

〔外のだと気分が悪くなるのか?〕

〔あなたがいる時は行かないようにしてたけれど、いない時は、よく出かけたもの〕

〔なんで、オレのいない時……?〕

 セレグレーシュの疑問に冷めた一瞥(いちべつ)を投げ、あとはなにも聞こえなかったように無視した女稜威祇(いつぎ)は、千草色に変化した瞳をなつかしそうに細めながら……こころなしか悪童めいた微笑みをたたえた。

 あくまでも『近づかないようにしていた』というだけで、行かなかったわけではない。

 特にメルレインなどは見つからないようにしながら、よく出入りしていたりするのだが、そんな事実はおくびにも出さなかった。

〔どこにするのかはともかく。一度家に運ぶなら、運ぶ算段しないとな。イーヴ()にも考えはあるだろうし、ちょっと、イーヴに相談してく……。…〕

 言葉も終らぬうちに目のはしに人影を見たセレグレーシュが、そのあたりに確認の視線を落とす。

 そこに毛先が躍動的な流れを形成する金茶色の頭があって……ぱっちりした飴茶色(あめちゃ)の双眸が、彼の赤ワイン色の視点をしっかと捕捉した。

「……」
〔……〕

 手を伸ばせば、届く距離だ。

 セレグレーシュからすれば、いつからそこに居たのかもわからない。

 あまりに突然だったので、言葉が出てこなかった。

〔あ…、来たのね!〕

 少年に気をとられているセレグレーシュのとなりで明るい声があがった。

 どうやら、そんなに前からいたということもないようである。

〔イーヴっ、イーヴ、この子、来たわよっ〕

 女稜威祇(いつぎ)が、嬉々と(うった)えながら離れてゆく。

 セレグレーシュは、ひと呼吸おくことで、おちつく努力をしながら身構えて、自分ともども、その場に残された少年に話しかけた。

〔オレたちだけじゃ難しいんだ。手伝ってくれないか?〕

 黒く変貌した闇人の瞳が、ゆるりと伏せられた。

〔われが手を貸すまでもない。君には可能だろう〕

〔それって……、手伝うの拒否してるか?〕

〔法印を()く必要もない。死人は…、呼べないかもしれないな。その獣人をつかみ出せばいい。出てきた獣人(もの)は、われが捕らえよう〕

 セレグレーシュは、口もとをおちつかなくして、ごくっと、あるともなしの唾をのみくだした。

〔…おまえ、オレに首くくれって言ってないか?〕

〔いい機会だ。へたに魔神の塚をひも()くよりは安全だ。獣人……妖威は封じてしまうのだろう? ここにいる者が邪魔というなら、人払(ひとばら)いすればいい。対象を逃がして放棄するという手段もあるが、不備を問われ(のち)に査定が入るわずらわしさを考えれば彼らをとり込むほうが、まだ(やす)いと思うが〕

 稜威祇(いつぎ)の少年は、あくまでも提案として、独自の考えを()べていたが、セレグレーシュは、それより前になされた行動提起がもたらすだろう事態に気をとられて、ほとんどそれを聞いていなかった。

 法印に閉じこめられているものを呼びだす。もし、そんなことが可能なら——…

 考えたセレグレーシュは、ぶんと否定的に頭をふった。

〔そこから呼びだせるとわかれば違う! こっちにその気がなくても《家》にとっては脅威だ〕

 神鎮めが苦労して封じたものを法具や心力に頼ることなく呼びだせるとしたら、それは…、
 家が長年にわたって、あたため向上させてきた技術を根底からつき崩しかねない異能。

 彼のような(そんな)存在が、妖威が封じられた法印をあばいて歩くようなことでもあれば、この土地の平穏は崩れ去る。

 封じられている妖威と呼ばれるもの…——そう名指される魔神や魔人、魔獣など。
 妖威と呼ばれるものは、三者(人・亜人・闇人)……主に人間社会の平穏を(おびや)かし、荒らしたことで、神鎮めによって眠らされている。

 そんなものを解放されたのでは、鎮めの仕事が増えるどころの事態ではなくなるのだ。

 それができるならセレグレーシュは、人と亜人と稜威祇(いつぎ)が、この地に築いた均衡を壊す可能性を秘めた者…、くつがえせる者ということになる。

 する気がないことを主張しても看過してもらえるかどうか…——

 否だ。

 いまの状態では、それも叶わない。

 セレグレーシュは、その資質を制御できていないのだから。

 彼自身、認識があるようでない未知の領域なので、監視がついたとしても、その者に阻止(そし)できるかどうか――…

〔ふたりが君を(おびや)かす存在となるなら、われが始末をつけよう〕

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