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魂呼び子.3


 《千魔封(せんまふう)じの丘》がとぎれると混沌とした緑の森が始まる。

 そのあたりに馬を残してきたふたりは、動植物の競争がそこそこ激しそうな天然の樹林下にわけ入った。

 右の木立のさらに先で。
 朝の光を反射する透明な湖面が、きらきら、ぎらぎらと素のままのかがやきをふり撒いている。

 深緑の季節。

 足のおき場を迷うような地面に隙間を探し、おしのけ、踏みつけながらつき進む。

 その下映えの旺盛な緑にまぎれて、線状にのびた淡い青緑色の葉がちらほら群生しているのを見かけた。

「こうして見ると、君の髪に似てないこともないね」

「そこまで剛毛じゃない」

「いや。色だよ。いつだったかな…――君の頭には花が咲くんだって、こだわっていた子がいたけど、この植物が由来(ゆらい)かな?
 紹介しようか? 女の子だよ」

「そんなこと言うヤツとは、知りあいたくない…」

「普段はすまして聞きわけがいいふりしているけど、我の強いところもあってね――(いい子ではあるんだけど……)」

(…花なんて咲くわけないじゃないか。ばかにしてる…――)

 微妙に虫の居所がよくなかったセレグレーシュは、雑念に邪魔されながら無感動にもみえる顔をして、あるひとつの響きを頭の中で繰りかえしていた。


 ――アシュ…――


 ここにいたるまで、ずっと呼びかけている。
 それなのに家の方から来る人影もなければ、相手に届いている実感もない。

 心力や霊力、方向性、思いが確かであれば、肉声にして呼ぶ必要はないとアントイーヴは言ったが。
 伝えるには、なにかコツがあるのかも知れない…――そうも思う。

(いや。あいつは、来る気がないだけだな)

 言葉……または心の内で意識して(つづ)る音が、《真名(まな)》……霊的な韻をふくむ正名に根差すものであれば、彼ら稜威祇(いつぎ)や亜人には伝わることがあるのだという。

 個体や条件次第では、通名であろうと反応する。

 神鎮めが編みこむ《(きずな)》のような繋がり・縛りを持たないので、呼びかける(ほう)は、手応えを得られない欠点の多い伝達手段。

 やたらに意識されるとわずらわしくもなるので、彼らが名をおおやけにしたがらない要因のひとつでもあるが、呼ばれた闇人の感性そのものが鈍かったり、他に気をとられていたりすると聞き逃されてしまう可能性もあるもの。

 感知できる範囲も互いの相性や資質・体質・能力、認識力や意識レベル……感情など、状態や環境に大きく左右される。

 《絆》という契約の術式が編みだされるまでは、そのつかみどころのあるようでない関係が、多くの悲劇を生んだともいわれている。

 頭の中で他人の名を連呼することに嫌気がさしていたセレグレーシュは、その闇人の名を思い浮かべるのをやめた。

 協力する気がない者を呼びつけてもしかたないのだ。

 淡い青緑色の植物を見かけることがふえて、視界の片側を()めるようになり――まばらになりだした木立の下からぬけだした二人は、例の植物が旺盛に根をはりめぐらす大地にでた。

 膝のあたりまでをくすぐるその植物の葉を踏みわけてゆく。

 くぐりぬけてきた森林が背後になり、進むほどに遠くなる。

 かなり先で帯のように始まる森林にさえぎられるまで続く、白濁(はくだく)した青緑色の草原。

 根にアレロパシー作用を備える成分を育み、一定の周期(季節)で活性化する野草の群生地だ。

 他の植物の生育を妨げるとはいえ、そういった傾向が強まる時期が限られているため、その植物が、ここまで広い土地を占有している例はあまりない。

 向かっている方角。

 風にゆさぶられる淡いブルーグリーンの草生(くさば)えにまぎれて、金髪の女性が腰を低くしているのが見えた。

「あそこか……」

「そうだよ」

 先をゆくアントイーヴが足を休めることなく答え、
 そして、たずねた。

「彼は、まだなのかい?」

「来る気がないんじゃないか? どうする? 今日はやめるか?」

〔なんですって…〕

 向かっている方角から独り言のようでありながら恫喝(どうかつ)めいてもいる、低く抑えられがちな声が聞こえた。

 すっくと立ちあがった女性が、ずんずんと、ふたりの方へせまってくる。

〔どうしてちゃんと話をつけておかないのっ?〕

 彼女の足が現場を目指していたふたりの数歩手前で止まる。

〔わたし、自信がない…――今度にする? あいつがダメなら家に頼みこんでみる? いまから話をつけに……〕

〔いや…。やってみる〕

 アントイーヴが足を止めることなく告げた。
 その青い瞳は、すこし先の草生えの下方——地表に(ひそ)む法印を捉《とら》えている。

〔メルを傷つけたら、ゆるさない。承知しないわよ?〕

〔うん。力を借りられない可能性も考えて準備はしたんだ。ただ、ひとつふたつ、課題があってね……。すこし時間をもらうよ〕

 女稜威祇(いつぎ)の前を素通りして、異質な地上絵のように感じとれる収縮形態の中央を視野に、つき進んでゆく。

 そこにあるのは三次元的な視覚では確認できない代物(しろもの)だ。

 セレグレーシュは法印のはじまり――
 その影響が見てとれる場所の数歩手前で足をとめた。

 スカウオレジャ郊外の森で見つけたものとは比べものにならないほど小さい…。直径にして三〇歩ていどの円陣。

 周辺と変わらない密度の青白い植物に(まぎ)れながら、動的な不可視のラインが法印境界として多重のウェーヴを(えが)いている。

 立ち止まったのは、それを踏んで進むことに抵抗をおぼえたからではない。そばにいた女性に確認したいことがあったからだ。

 大切な友人に「触らない方がいいよ」と忠告されたこともあり……。
 法の家を訪れたばかりの頃は封魔法印であろうとなかろうと、不可視の人為的構造を徹底して避けようとしたものだが、その在り方をある程度知るいまの彼が踏むまい、触れまいとするのは、だいたいにおいて存在が封印されていているその中心部。
 《(むろ)》だけになっていた。

 次元的なズレがあるので、じっさいは踏むような位置に立っても接触しているわけではない。
 ふつうは周囲の構成をとっぱらった上で、干渉できる者がそのつもりにならないと(さわ)れないものだ。

 その場立ちに、不安そうな顔をしている女稜威祇(いつぎ)に目を向ける。

〔彼女の墓……。どこにするか決めた?〕

〔そんなこと…〕

〔遺体……とりだしてから決める気なのか?〕

 遺体を……その人を埋葬するという…――現実として受けいれたくない発想に反発して、セレグレーシュを睨んだ彼女だったが、瞳に困惑もあらわな藍色の光を宿してもいた。

 その問題に、いま気づいたというように、うつむきがちに思案している。

〔イーヴは考えているかな?〕

〔しらないわ…。……〕

〔…じゃぁ、このあたりに埋めるしかないかもな。ここからそう遠くないけど霊園に入れるには、いろいろ手続きが――…〕

〔いやよ、こんなさびしいところ! いくら、あの子があこがれた場所でも……。墓地も嫌。そうだ! 家の庭がいい! 中央…、東か西か南の図書棟(の)近くとか、あのへんの庭園……〕

〔家の敷地に勝手に墓(を)つくったら怒られるだろう〕

〔やっぱり、真ん中の庭にしましょう。承諾なんて後でいいわ〕

 ――事後報告で通るだろうか?

 適性考査のごたごたで問題になるような行動にこりていたセレグレーシュとしては、気の進まない提案である。

 疑念と迷いから表情も曇る。

〔《リセの家》とかいう建物のあるところよ。中央の三つの円庭なら、どれでもいい――メルが好きだった場所なの〕

(え…?)

 ひとりで決めて、なっとくの相槌(あいづち)をうっている女稜威祇(いつぎ)を右側に。そう耳にしたセレグレーシュは、自身の記憶をさぐりはじめた。

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