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魂呼び子.2


「その馬は、あいつの分なのか?」

 おのおのが馬の手綱を手にする中。セレグレーシュが、それとない所作(しょさ)で残る一頭を示した。

「いや。監視の」

「監視? 監視がついてくるの?」

「ぼくについてるんだ(視てこいと言及されてるかはわからないけど。だから他に手配されなかったんだと思うな……)」

 不思議そうにしているセレグレーシュのかたわら、アントイーヴはつい今しがた(~先刻~)目にしてきた光景を思い起こしながら、あいまいに応じた。

「寝坊してるのかもしれないね……」

 疲労しているわけでもないようなのに、どこかかったるそうな反応だ。

(部屋の前で熟睡していたけど…。あれは、待っているうちに寝てしまったんだろうな――声かけても起きなかったし…。今朝は、ほんと珍しいものを見た。予定があれば必ず起きてくる人なのに…――機嫌は悪くなるけど……)

 思案しながら、ぼやきめいた()まりのないため息をついている。

「――ほっといていいよ。先に行ってしまおう」

「…なぁ」

「うん?」

「あの稜威祇(いつぎ)がいないと、まずいの?」

 セレグレーシュが灰色帯びた白っぽい牝馬(ひんば)の首をさすり(あやし)ながらたずねると、アントイーヴの表情がこころもち変化した。
 それまで(まと)っていた感情の(ゆる)みが、なりを(ひそ)める。

「その前に聞いてもいいかな?」

「なに?」

「彼は君に名を告げたかい?」

「…。省略名称だったよ」

 応じたセレグレーシュの声には、不服そうな抑揚があった。


 ――アシュ…


 その響きを聞いたとき、たぶん、そうなのだろうとセレグレーシュは受けとめた。

 あきらかになにか足りないが、その存在を示す音としてしっくりくる。

 省略されてはいても、ほぼそのままの音に聞こえた。だから偽名ではない――…。

 セレグレーシュは、闇人の名乗りにゆがみや嘘、間違いがあるとなんとなくわかるのだ。

 人間や混ざりの濃い亜人の場合はそのかぎりでもないが、生来の資質なのだろう――その存在の《真名(まな)》に関しては、(たが)えず正否を見抜くような洞察(どうさつ)……直感が働く。
 それなのに。
 聞いた名と人物を照らし合わせて不足は感じても、違和感はおぼえなかった。

 なによりそれが望んだ音、余韻(よいん)を含まなかったのがショックだったのだ。

 だからセレグレーシュは、まだその稜威祇(いつぎ)をその名で呼ぶこともしていない。

「だろうね。彼、ぼくには通り名も教えてくれなかったよ」

 セレグレーシュは、つかのま黙りこみ、すでに馬上の人となっているアントイーヴをちろっと横目にぬすみ見た。

「法印の攻略、難航しそうなのか?」

()くだけなら(やす)いよ。だけど、ぼくは……メルを傷つけずに獣人から離したいんだ」

「死んでるんだろ?」

「そうだよ。彼女の体には損傷(そんしょう)がある……。けど可能なら、その傷をひろげたくはない。構成の(コア)……《(むろ)》の中では、ほぼ時間の流れがない――そうなるよう組みあげないと対象を生きたまま埋葬(まいそう)することになっちゃうからね……――それを(ひも)()けば、とどまっていた血液も流れだす。獣人も動きだすだろう……」

 そこでひと呼吸入れたアントイーヴは、自身の迷いをふり切るように続けた。  

「どうしようもないことはある。でも、死しても冒涜(ぼうとく)はされたくないし、したくない。これはプルーの望みでもある」

「理解できないとは言ってない。来てくれるかわからないけど……呼んでみるよ」

「ありがとう」

 感謝の笑顔を向けられたが、セレグレーシュは、ちょっぴり複雑な気分になった。

 いいように踊らされた感じだ。

 故意か無意識か、そこに悪意はない。
 そして損害といえるほどのものもない。
 だから怒りまではわかないのだが……。

 彼と話していると時々、あれっ? と思うことがある。

 アントイーヴには、たまに相手(他者)の意向を無視して流れを自分の思う方へもってゆく身勝手さがあるのだ。

 聞くところによるとその彼は、何年も前に修了検定に(いど)める実力を身につけながら要領よく試験を先のばしにしていたのだという。

 そんな時、なにか不幸な出来事がたて続けに起きたとかで…。法印を使う道から退(しりぞ)くことを決意し、法具商人になろうとしていた。

 ぺリ一門で実力もあれば、周囲の期待はとうぜん大きかっただろう。そこから(はず)れるような選択には、けっこうなストレスが働いたはずだ。

 それを押し退()けて、あっさり法具店に入ってしまうあたりに、その人の並ならぬ性根をうかがうことができる。

 一度は蹴った(じっさいは複数回提案されながら、ことごとく蹴ってきた)検定を受けることにしたのも、真透映(まとうえい)湖畔にある法印をひも解くためらしい。

 法具商人になりたかったのではないかを問うと、彼は言ったのだ。


『目的のためなら、それくらいの不満はのむよ。面倒事が提起される(舞いこみがちな)業種(ぎょうしゅ)だからあまり気はすすまないけど、あって困る肩書きでもない。借金も早いうちに清算してしまいたいしね……』と。


 流れ歩くものであれ、(とど)まるものであれ、《法具商人》も法印を学んだ者が選択する職業のひとつだ。

 法印士がその職に身をやつしていることもないわけではないが、商人には商人のノウハウ・行動傾向があり、法印士は法印士で全盛期はその方面の仕事で多忙になる。
 兼業がないとはいわないが、ありがちな例ではなかった。

 ひとところに常駐するあたりに《天藍(てんらん)(の理族(りぞく))》が多かったりもするが、彼らの場合はそれが一族の本業のようなものなので、(わく)の外(埒外(らちがい))としても……。
 法具商人は、おおむね引退した者か法印士になりそこねた技能者が《家》とのつながりとして選びとる道のひとつなのだ。

 何事にも例外はある。
 実態がどうあれ、その彼が不正を働いた店員のまま罪をあがなおうとすれば、生涯《法具》に関わることを禁じられ相応の罰を科せられたはずだ。

 それでは湖畔の法印を攻略できなくなる。

 受講生にもどってしまえば、そのかぎりでもなく。彼には今後の活躍を期待できそうな実力があった。

 彼から言いださなければ、おそらく()しまれて説得——もしくは脅迫(きょうはく)・あるいは罰則として強要される流れにもなっていただろう。

 使える身内を欲する《家》が、多少手に(あま)ろうと特に性悪でもなく血統による未来(後続)まで約束するような存在……教え子を見逃すわけがないのだ。

 そしてそれは、《神鎮め》であれ《法印士》であれ、その人が背負った借金を返済するのに有効な肩書きを得られる選択でもあった。

 立ちはだかる不利益を排除し利益ばかりを追求するものではなくても、ほかならぬ彼自身が居心地のいい方へ持ってゆく。

 のらりくらり、他人や環境を利用して泳いでいくタイプだ。

 その行動は前向きで(そう)人間に近いものであっても、自分の能力や常識、まわりの損得(そんとく)をはかる思慮があるので病気ではない。

 男っぽい性格。自由闊達といえないこともないが、ある意味勝手である。

 小知恵が働くだけに(ぎょ)しがたく…。頼りにもなるが、ときには迷惑で……。

 本性がどうあれ、表向きはあたりがソフトで穏健な対応もできる優等生に見えるから味方は多そうに見えるが…。
 これは、敵も少なくないのではないだろうか?

 稜威祇(いつぎ)の少年の協力を(あお)ぐという、成るか成らぬか読めないその(こころ)みを承諾したのは自分で…。
 それも、大きな負担ではなかったから受けたのだが……。

 それまでセレグレーシュは、その稜威祇(いつぎ)の少年と距離を置きたいと思っていたわけで――
 うっかり情と状況に流されて相手の都合のいい方向に誘導されてしまったことが、かなりおもしろくなくもある。

 その闇人……稜威祇(いつぎ)の件に関しては、つい片意地をはってしまうだけに……。

 沽券(こけん)とまでこだわるつもりはなくても、自分で選び取っているつもりだった人生にケチをつけられたような心地なのだ。

「イーヴ……」

「ん? なんだい?」

「君、自分勝手っていわれないか?」

「…んー。〝自分の欲求にきたない〟と言われたことならあるけど…。まぁ、似たような評価だよね」

 こだわりもないのか、アントイーヴは世間話でもするように誰かにいただいた過去の酷評(こくひょう)を暴露した。

「自分の目的に弱い自覚はあるよ。どんな人間にだって、そういう(ゆう)ところが少しはあると思うし、人生一度きりだからね。これでも他人(ひと)に迷惑かけないよう、最低限、マナーは守っているつもりだけど――不快だったかい?」

「…。しょーじき、よくわからない」

 むかむかするのに否定もできないのは、欠点もそのままに認める(かざ)らない人柄が見えてしまったからだろう。

 それなりに状況を読んで行動しているので、おかしな説得力があるが。
 そつ(・・)がなかろうと我をとおせば風あたりは弱くないはずで…。不覚にも、その生き強さを尊敬してしまいそうになる。

 それでも巻きこまれた側としては微量ながら、理不尽な思い・苦々さが消え去らなかった。
 なので…。

「でも…。必要になった時、利用してやろうっていう気にもなるよ」

 セレグレーシュが(おもて)に出していいものか迷いながら口にした結論がそれだった。

 端的にいえば嫌がらせ。

 非難であり報復。
 人として、安易に執行(現実に)するつもりはなくても、警告であり不平不満の発露でもある。

「そうかい? 君とは良い友人になれそうだ」

 相手にとってそれは悪くない反応だったようで、アントイーヴは、ちょっぴりくすぐったそうに笑っていた。

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