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魂呼び子.1


 約束の二十日。起床時刻。

 昇りかけの太陽が山間(さんかん)の地平に陽射しを投げかけ、一割ほど顔をのぞかせている。

 その誘いは、《千魔(せんま)(ふう)じ丘》の北東。
 《真透映(まとうえい)湖畔(こはん)に築かれた法印攻略を目的とするものだった。

 アントイーヴが手ぶらに見えるいで立ち(~なり~)で現れた時、セレグレーシュはひとり。《法の家》の屋並みや庭木が途切れた、そのさらに先。
 人工的な隆起が大地になじみとけ合う平地の一郭(いっかく)――

 放牧場において《北表(きたおもて)》と呼ばれるポイントに立っていた。

 はるか遠方に確認できる森がはじまるまでは、きまぐれにちらばる《空白の円(緑の小山)》以外、(さえぎ)るようなものも、範囲を知らしめる看板(案内書き)もない。
 いま彼がいる、どこまでが敷地と認識されているのかも不明なそのあたりに、始まりが唐突なら、終わるのも突然な格子柵(こうしさく)が、なにを(かこ)うこともなく五メートルほど渡されている。

 支えつきのその格子杭…――ただ地面に置かれて(乗って)いるだけで、さらなる心力の干渉でもなくば不動であるそれには、早いうちから準備されていた馬が三頭、繋がれていた。

 あたりを見まわせば遠くや近くで中途半端な装備――鞍は外されているが、いくつか装飾的な法具を着けたまま――の馬をはじめ、(ひつじ)の群れ、種も属も多彩な牛や山羊(やぎ)、鳥類や鹿(しか)、犬、はてには猫など。家畜なのかペットなのか野性(野良)なのかも不明な生きものが広野に放されていて、気のままに群れて体を休めていたり、草を食んだり駆けたりしている。

「…。ひとりかい?」

「うん」

 確認の声をかけたアントイーヴの視線があたりを泳ぐ。

「彼は?」

「彼って?」

「このっくらいの背丈の癖っ毛の稜威祇(いつぎ)

「…。今日は見てないよ」

「頼まなかったのかい?」

 問われたセレグレーシュの口もとに、胸のうちの不平が有体(ありてい)に表れた。

「協力しろって? 君が頼んだんじゃないの? オレは知らないよ」

「そう…。じゃぁ、協力を依頼して喧嘩になったわけでもないんだね」

「ケンカ?」

「噂になってるよ。君と彼が喧嘩してるみたいだって。違うのかい?」

「まともに会話も成立しないのに。喧嘩になんか、ならないだろ。
 最近は、あまり会わ(見かけ)ないし(前みたいに笑わなくなったし……)」

「そうなのかい? でもそれは、喧嘩しているからじゃ――…」

「違うよ」

 セレグレーシュは、アントイーヴがしゃべり終えるまえにその指摘を否定し、心理的にも拒絶した。

「そうだとしたら、あっちが勝手に怒ってるんだ。もともと親しかったわけじゃない。考査の時、口きいたのが……初めなんだ。
 オレ…。あいつのことは、よくわからないよ」

 アントイーヴは「そうか…」と応じて、そっと息をはいた。

「じゃぁ行こうか。あまり遅くなると恐いしね」

 なにが恐いのだろうと不審に思いながらも、セレグレーシュは、それを追求しなかった。違う疑問を口にする。

「あの闇…――稜威祇(いつぎ)は? オレの考査の審査官だった女人(ひと)。来るんだろ?」

「プルーなら先に行ってると思うよ。確かめたわけじゃないけど、たぶん現場にいる。
 実は今朝()、たたき起こされて……。
 危うく、ぼくの部屋が暖炉になるところだったんだ。
 自在に消せるから上掛けに火を()けるなんて猟奇的なことができるんだろーけど…(上掛け以外は、空気燃焼だったみたいで……でも)あれは、ひどいよなぁ」

 かなり尋常ではないことを耳にしたセレグレーシュは、とっさには認識が追いつかなくて目をぱちくりした。

 なにも、相手の発言を疑ったわけではないのだが…――。

 彼が生まれた土地で、闇人・妖威といえば、人間にとって、勝手気ままな支配者や神出鬼没な隣人、または天敵のような存在だった。

 やたらに出遭うものでもなかったが、それは遭遇してしまったら逆らえなどしない〝触らぬ神に……〟的に語られる部類なのだ。

 そういったものが友人として生活空間に入ってくれば、いま耳にしたようなことも起こるのかもしれない。

 その人が体験した事を想像するのは、さして難しくなかったが、そんな状況に自分を置きかえてみると、そら恐ろしい気もした。

 それを呼びこむ能力()を持つので、闇人と過ごした経験がまったくないわけでもないのだが、彼にとっては遠い過去の現実である。

 それはそれとして。
 稜威祇(いつぎ)の少年の助けが必須なのだとしたら、どうして彼が直接、頼まないのか?

 セレグレーシュには、そのへんもわからない。

 問いただせば交流がないというようなことを口にされるが、このあたりの闇人と一般の人間のあいだには、不可侵めいた距離がある。

 その種との懇意(こんい)をいわれる《法の家》でも、《神鎮め》はかなり特殊な存在なのだ。

 一度なりとも、闇人が人に力を貸したという事実は重い。

 アントイーヴから依頼することに不都合があるのかもしれない…――そんなふうに、やぶ睨みすることもできるが、ここぞというところで橋渡しを提起されるので、自分が動かなければならないような気にもなってくる。

 訳あって名前に重きをおくその種に、省略形であれ、真名(まな)()びた名をたむけられたのも事実で――

 そうおうに、その闇人の関心を得ている自覚はあるのだ。

 現実を見れば、未熟な自分がついて行ってもたいした助けにはならない。せいぜいが荷物持ち・会話相手ていどだ。
 にもかかわらず協力を求められている。

 アントイーヴの意図・狙いは明らかだ。
 はじめから仲介するよう、彼に働きかけてきたのだから。

 だが、セレグレーシュとしては、とうぶんのあいだ、例の少年と距離を置きたいのだ。

 考えるほどに迷いも疑問も、それに抵抗も深くなる――こんな、うやむやな状況で姿を消してしまわれても困るが、あまりかまわれたくないし、ちょっかいを出したくもない。

 名前を聞いてさえ、ふっきれない。

 そのものに思えてしまう声ばかりではなく…。ヴェルダが人間だったら、ありえない外見の若さ……年格好だというのに、闇人だった可能性が()ぎって、重ねて見てしまいそうになる。

 その声を耳にするまでは、そんなことなど一切(いっさい)なかったのに、どうしてこうなってしまったのか。

 やはり自分は、その彼をヴェルダだと思いたいのかもしれない。

 特別だった友人が、そばにいないから…――その稜威祇(いつぎ)を見かけるたび、声を聞くたび、心が不安定になる。

 不本意にも混乱してしまうのだ。

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